that place is burning(2)

前に、KID FRESINOの「that place is burning」について考えたことがあったけれど、また別の視点で書きます。

この曲で歌われる日本語の歌詞が好きだ。
ハナレグミパートについては、前に書いた文章で少し書いたので、フレシノパートの日本語を見てみたいと思います。



この猛暑は続く
冬が吹いてもまだ街の地図は燃え続けている




街の地図が燃えるというのは、メタファーとして読んだ方が面白いかと思うのですが、もはや人が生きていくにあたっての価値観、道標のようなものがないと言っているのかなと私は思っています。猛暑が続くというのも、同様に、苛烈な人生のことかと。




眉と鼻を繋ぐ線を倣って描いた顔
続けて描く横顔



正面から描いた顔に続けて横顔も描くと言っているので、ピカソの絵のような顔を想定すれば良いのでしょうか。それとも、ジョンレノンが描くようなスケッチ風の線だけの顔?
フレシノさんのアーティスト写真に横顔の写真がありますが、私はここを聴いてあの写真を思い浮かべました。一筆書きのような美しい横顔ですね。


奪い取れないきらめきと魔術的な美?


これこそ、「私」を惹きつけてやまないその人のオリジナリティです。




人香辿る蝶と今日覚えた歌を今日のうちに歌ってしまうよ


「人香(ひとが)」なんて言葉、古文でしか見たことなかった。最初、聞き間違いかと思って私は歌詞を見ました。体臭ではなく、香(こう、今なら香水)の移り香のことですけど、いつぐらいまで生きてたんだこの言葉は。ほぼ死語だと思うけど、2023年にソウルミュージックでラップしてる人によって蘇りました。あの人の移り香を辿る蝶みたいに、寄る辺ない私。

「今日覚えた歌を今日のうちに歌ってしまうよ」と歌い、畳み掛けるようにラップしていくさまは、何かに追われている人のそれ。今日生まれた感情(歌)は、今日のうちに歌わないとと、心が急かしている。


昼間襲う私の空洞
夜長無色透明な空砲



ここだけを読んでいても、人生の虚無感が端的に表現されていると思う。空洞は突然昼間に私を襲い、その人の夜は長く、その人の声は誰にもキャッチされない空砲。

時間の許す限り許されたい事を幾つ話す?



結局何も話せないように思います。




この傷を開いたままにしておけば二度も三度も出会える


でも、その傷を開いたままにして、何度もそんな自分や君に出会うのです。




君の胸に耳を当てて聴く心臓音は悲しい響き
これは褪めたの色の叫び


「君」が生きていることを確認すること自体が悲しい。でも、聞こえた心臓音はおそらく静かで単調でいつ止まるかも教えてくれない。
「これ」は褪めた色の叫びの「これ」は、君の心臓音ではなくいつ止まるか知らない君の心臓音に怯える私の叫びでは。「褪めた」と言っているのは死ぬことは当たり前だから。曲を聴いていると、慟哭に近い叫び声が入っていて、
当然の事実だから褪めたとしか言いようがないけど、やはり君の心臓音が止まることがあるというのは悲しい事実でもある。


海は枯れて尚も底は見えていない
溺れる痛みは太陽の赤のように治ることがない



私の溺れている海は底なしで、枯れているはずなのに溺れ続けている。「溺れる痛み」とは、呼吸がしんどいということでしょうか。生きにくい自分の人生とその痛みが、(自分が生きている間ずっと)永久的に照らし続ける太陽のようだという比喩は斬新でした。灼熱の苦しみ。


🟠前に書いた文章です。

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