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再生

先日、銀行に行って、振込用紙の日付の欄に日付を記載した瞬間、不意を突かれて、手が止まってしまった。カウンターの向こうの若い銀行員さんが「お名前と住所を...」と言うのを聞いて我に返ったのだが、何が起きたか俄には理解できなかった。日付欄に、もちろん「今日の日付」を書く訳だが、それが奇妙なことに、自分の「生年月日」と同じだったのである。

その日、63歳になった。昭和という時代は63年間存在していたので、昭和30年7月の誕生日と平成30年7月の誕生日は、すべて同じ数値になる。銀行を出てから良く考えてみて頭の中が整理できたのだが、これは特別なことではなくて、今年63歳になる人は、皆が体験する出来事である。去年は昭和29年生まれの人が同じ体験をした。来年は、昭和31年生まれの人が同じ体験をするだろう(元号が変わるので4月30日までだけど)。

さほど特別なことではない。けれども、何かが符合するということには、何かしらの霊力があるようで、不意を突かれただけではなく、私の心理の「淀み」に、新しい水脈を送り込んできたようだ。63年間にいろいろあったけれども、もう一度生き直してみようという気になった。身体が少し軽くなった気がした。

昭和という時代は長かった。次に符合するチャンスは93歳だから、少し難しいかなと思う。

妥協せず、捨て身で、放埓に、真摯に、佳きことに関わりながら......これが、昭和という時代と同じ時間をかけて身に付いた人生訓であるように思う。そのことはそのままに、あと少し、妥協せず、捨て身で、放埓に、真摯に、佳きことに関わりながら、やれることをやりたいと思う。

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