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ご飯をちゃんと食べる。ー長文ー

こんにちは!みはるです。

今日は、いきなり本題に切り込みますが(笑)、自分で曲を書くアーティストの間で使われている言葉に「曲先(きょくせん)」と言うモノが有ります。

これは

"詩"を先に書くか。
"曲を先に書くか。

そのパターンを表しています。
"曲先"と言うことはつまり、"曲"を先に書くと言う意味。

アーティストと並べて例えるのは、おこがましいのですが、みはるは、"タイトル"と"本文"なら圧倒的に"本文"が先。
なので、この"○先"になぞらえると、差し詰め"文先"と言うことになります。

でも、今日は"タイトル"が先に思い浮かびました。

"タイトル"が先に思い浮かぶと、如何にその"タイトル"に本文を寄せていくか?
即ち、かなり技量が試される所ですが、是非TRYしてみようと思います。

ご飯をちゃん食べる

そのまんま、です。

今日は【摂食障害】のお話。

結論から言いますと、みはるは23年間、この病と闘っていました。
実は、克服してまだ4年です。
長い長い闘いでした。

みはるは、双極性障害(双極症)と睡眠障害、そしてこの摂食障害のトリプルMix合わせ技だった訳ですが、摂食障害を克服出来た時、心から"幸せだー"と実感出来ました。

とても難しい病気です。
みはるがコレを書いたからとて、直ぐに誰かの【摂食障害】を治せるワケではありません。

特効薬は(残念ながら)有りませんので。

でも、いつか、この病に苦しんでいるひとが、"そう言えばみはるっていうひとがこの病気について書いていたな"って思い出して貰えたら良いなって思っています。

みはるは、恐らく"食育"に失敗したひとです。
うーん。
失敗させられた、と言うべきか…。

幼稚園時代から鍵っ子でした。

小学生になり、少しずつ"台所仕事"を言い渡されるようになりました。
とは言え、料理をするように言われた訳ではありません。

熱いお湯を触っても良いとか、そんなレベル。

或る日の土曜日。
母が言いました。

「みはるちゃん、自分でお湯使えるよね?」「うん。」
「じゃあ、みはるちゃんの好きなカップ焼きそばを置いておくね。」

土曜日のお昼ご飯が、カップ焼きそば「だけ」。

みはるはソレに何の疑問も感じないまま大人になりました。

数十年後、この話を友人に聞かせた所、目をまん丸くして驚かれました。

「嘘でしょ?!有り得ない!!」って。

みはるはこの時初めて
"あぁ、みはるは食事の面で親に大切にされていなかったんだ"と気付きました。

20代になった間もなくの頃には、仕事から帰って来てお腹ペコペコなのに、何故か何日も食事を作って貰えないと言う憂き目にもあいました。
仕方なく、職場の近くにあった不二家で結構カロリーの高いお菓子を買って帰り、食べたりして。

アレ、何だったんだろ?

食べること(食べさせること)を大事に扱って貰えない子どもは、割と悲惨です。

それとは別に、違う角度から当時のみはるを見たとき。

圧倒的な

"体型コンプレックス"

が有りました。

もう、コロンコロンなんです。体型。

中学になると"制服"を着るようになる訳ですが、みんなはスリムにカッコよく着こなしているのに、みはるだけ不格好。

その思い込みは高校に入ると、更に強まりました。
仲の良かった友達が、みんな痩せていて、それこそスカートのプリーツがキレイに出ている。
でも、みはるのプリーツはパツンパツン。

友達と並んで歩くのがイヤだった。

年頃ですから好きなひとも出来ます。
でも、この"不格好なみはる"ではどうすることも出来ないんです。

(みはるから告白なんてされたら、相手のひと迷惑だよね)

元々、自己肯定感が恐ろしく低かったみはるは、思春期に決定的に自分を見放してしまいました。

自分なんて、キライ!

と…。

お店には可愛い洋服が溢れています。
着たくて着たくて仕方がなかった。

でも、サイズが細すぎて入らない。

痩せていること=美徳

そんな文化に拍車が掛かり始めた頃だったのだと思います。

みはるの徹底的な"ダイエット作戦"が始まりました。

「食べちゃ、ダメ!」

どんどん自分を追い込んで行く。
少しでも体重を落としたくて縄跳びなんかもやりました。

でも、痩せない…。

所が、社会人になると様々なストレスが掛かり、あっと言う間に細くなりました。
先述した通り、母が食事を作ってくれない等も重なりました。

体重、急降下。

けれど、それが嬉しくて嬉しくて。
  
可愛い洋服、バンバン買える!
好きな洋服、着たい放題!

毎日、仕事の帰りに洋服屋さんを覗いては目をキラキラさせる日々。

痩せてるって素晴らしい!

そんな誤った"幻想"に陥り始めました。

となると、どうなるか?

やっぱり自分に食べ物を与えないんです。

太っちゃ、ダメ!

みはるは金融機関でOLさんをやりました。
大手の金融機関に較べれば、その業務量など1000分の1に満たない程でしたが、ヤハリお金を扱っている窓口に座っていた為、神経はかなり削られました。
忙しい時には、血眼になって為替の伝票を処理したりもして。

完璧に、頭脳労働なのです。

当然お腹が減ります。

でも"痩せていることこそ最上級の自分"幻想に囚われているみはるは、自分のお腹を満たしてあげない毎日を平然と送り続けました。

やがて、精神疾患発症。

実は、この時はまだ【摂食障害】ではありませんでした。
強いて言えば、予備軍。

でも、23歳の時、プライベートに激変があり、これが決定打となってしまいました。

《過食症》の始まり。

難しく考えなくとも当然の結果です。
当時、身も心もボロボロで、加えて異常に忙しく、気付いたら食べられなくなっていた…。

なので、体重は40kgを大きく割り込んでいたのです。

一気に、ばーん!!と弾けちゃいました。

食べて食べて食べ捲くる!

その食べ方は、最早、人間の食べ方ではありません。
まるで猛獣。

そうしてみはるは、"過食"と"拒食"の間を常に揺れ動き、23年間ずっと15kg〜30kg程の体重の増減に苦しみました。

食べないでいると、脳みそが"飢餓状態"に陥ります。
とことんまで"飢餓状態"に晒され続けた脳みそは、生命維持の為に

食べてー!

と、体に(心に)命じます。

そりゃそうです。

ひとには"生存本能"が備わっているので。

で、この"食べてー!"信号が発せられると、"飢餓状態"を一気に解消させようと、猛獣と化す訳です。

今、思い返すと

"みはるはみはるを虐め抜いちゃったな"

って思います。

けれど、或ることをキッカケに"虐め"の影が薄くなり始めました。

それは"ハングル"を習い始めたこと。

みはるは、"自分のやりたいこと"を親に封じられて来ました。

自分の意志で何かを決めて始めてみる。

それは誰にも後ろ指を刺されることではないし、勿論、親の顔色を覗う必要もない。

習うと決心するまで逡巡を重ねましたが、"えいやっ!"と飛び込んだ"ハングル"の世界は楽しいモノでした。

恐らく、この

"自分で決めた"="誰にも指図されない"

その決意の下で下した決断が、みはるの自己肯定感を少しUpさせたのだと思うのです。

それからと言うもの、歯車が良い方向へと回転し始めました。

〘あすぴれんととの出会い〙

長いこと学びたい!と願っていた"精神疾患"について学ぶ機会を得て、毎日にハリと充実感がもたらされました。

みはるはみはるだ!

みはるが歩く道を誰も阻害することは出来ないんだ!

この時、みはる、46 歳。

漸く、ホントのみはるがこの世に産声を挙げたのです。

充実した日々は、みはるの"命"に力を与えてくれました。

力を与えられた"命"は、無駄に痩せている必要が無いことを肌感覚で実感して行きました。

漸くの、克服です。

今では、1日3食。
余程のことがない限り、キチンと食べています。

実際、3食食べられるようになって解ったことなんですけど、常にある程度、脳みその"食"を司る部分が満たされているので、無駄に食べることを欲しないんです。

コレ、正に、健康的。

今、みはるはコロコロしています。

けれど、コロコロしたみはるでも、あすぴれんとの仲間は決してみはるを仲間外れにしたり、嘲り笑ったりしません。

大切なんだなー。

自分をありのまんま受け入れてくれる場所。

ボロ雑巾のようだったみはるの心と体が、みはるとみはるの周りを取り囲むひとたちによって、大切に縫い合わされていく感じ。

今、【摂食障害】に苦しんでいるひとに安易に「食べてください!」なんて言いません。

ただ、ちょっとだけでも解っていて欲しいことがあります。

どうか自分を大切に出来る"時間"を持って頂けますように。
1日全部じゃなくて良いから、"コレをやっている時の自分はスキ。楽しい!"って、自分を可愛がれる瞬間を持てますように。
  
ホントはそんな条件付きじゃなくて、どんな時の自分も大切で愛すべき存在なんですけど、みはるもこの域に達するにはまだまだですから。

いつか、治ったら良いよね。
いつか、心から笑えたら良いよね。

痩せていてもいなくても、自分を丸ごと大切に出来たら良いよね。

沢山苦しんだみはるからの、ちょっと実感のこもったメッセージ。

誰かに届くと良いな。

本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。m(_ _)m

みはる

〜2019'8'22(木)

本日の写メ→この記事のタイトルが正しく浮かんだ、ある日の夕食=豚肉と野菜の蒸し鍋定食。by大戸屋(笑)

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