物を減らしたいなら、空間や物を「眺める」のがコツ

部屋に物があるとノイズがあるような気がするのは何でなのでしょうね。手放すとスッキリしますし、心なしか部屋の空気まで澄んだような気さえします笑

物を減らしたら、スッキリした気持ちや空間も手に入るのはわかっているけれど、なかなかそうはいかないのが人っていうもの…。

ただ捨てればいいのか、でもそんなすぐには捨てられない。。。あちこちからジレンマの声が聞こえそうです。

今日は私が物を減らしたい!スッキリした空間を作るぞ!と思っている時にやっている、たった一つのことを根掘り葉掘り書いてみたいと思います笑

ただ「眺める」と見えてくるかもね

前から、部屋の模様替えやインテリアを考える時によくやっているのが、ひたすら「眺めること」でした。

この棚はどうやって収納すれば、もっと整理整頓できるのだろうか、と思って棚をじっと眺めていたり、どうしてこの洗濯機の周辺は散らかって見えがちなんだろうか、とかを歯を磨きながら眺めていたりします。

しかもその時間が結構長い。

だって眺めないと、イメージが浮かばないから。

こう…色々突き詰めて考えていくより、ふぁっとした感じで見た方が色々アイデアとか、工夫がものすごく、それはもうものすごく閃くんですよね。それはもう刑事コロンボばりに。

物を減らしたいなら眺めると「見えてくる」

見えてきますよー!今まで何でそんなに悩んでたんだろう、と馬鹿らしくなるくらいの解決策を自分が生み出したりします。

片付けや断捨離の時に必要なのって、

客観的な視点
視野を広げること

だと思うんですけど、「眺めて」いると自然と視野が広がるんですよね。これまで対象だけに絞って見ていた視線がものすごくぐわっと広がる。そうしてぐわっと開いた時に、ひらめきが降りてきてくれるんですよね。

考えてもすぐに思いつかないことって、考えている観点の置き所をしくってると思うんですよ。だからうまい結果を自分で導き出せない。

だからちょっと違う視点を切り込んであげることが大切だと思うんですよね。

目の使い方というのは結構考えと繋がっていると思うんですけど、なるべく対象との距離を、物理的にも気持ち的にもとってみる、すなわち「眺める」っていう感覚が、自分の執着をふと気づかせてくれるんだろうなぁと自分の「眺め」を見ていて感じます。

どう見えてくるのかっていうのは、私個人の感覚ですけど、パズルのピースがパチパチっとあうような「わかった!」という閃きですね。

パズルをする時って、感覚を使ってパチパチはめていくじゃないですか。凸凹をはめていくのって、形として記憶してるだけで、パズルのピースの個体差も「右上のちょっと欠け」みたいな適当な名前をつけて覚えていたりするんですけど笑 ああいう感じですね。

具体的にはちょっとよくわからないけど、きっとそれだろう

という確信の感覚が導いてくれる気がしますね。

上手くはまらないとなんとも言えない不一致感が生まれますし、上手くはまった時は

うおっしゃーーーーー

みたいな気持ちになりますね。その瞬間を楽しみに「眺めて」いるのかもしれないなぁと思います。

物を減らしたいなら眺めると「感じてくる」

物のことを頭で考えずに気持ちだけで感じようって、最初から取り組むのはいきなりはやっぱりハードルが高いと思うんですよね。

だからその序盤として「眺める」っていうことをすると、頭から自分が徐々に離れていってFeelっていう「感じる」っていう感覚がむくりと起き上がる気がしています。

前もどこかに書いた気がするんですけど、画家の人が風景をスケッチするような目がちょうどいいんじゃないかっって思っているんですよ。

絵が好きだったり、描いたことある人ならわかるかもしれないですけど、目の前の対象をデッサンする時って、ちょっと離れた視点の気持ちで対象を見ているんですよね。それでいて対象の特徴をつかもうとしている感じ。

全体像の把握から細部へ徐々にフォーカスしていくっていう、どんどんカメラの解像度が上がっていくような感覚だと思うんですけど、そういう風に物を自分自身でスケッチしていくと、物と自分との距離感とか関係性などが浮かび上がってくる気がします。

そこで、その物に対して自分がどう思っているのか、感じているのかっていうのがようやく具体性を帯びた感情となって表面に出てきてくれるように思いますね。

ちょっとそれは私は瞑想に近いなぁと思っているんですけど、「物を眺めることで自分を見つめる」っていう不思議なことが起こってきます笑 これは本当です!

物から何を感じるのか、そういうのって頭や思考からちょっと離れないと見えてこないことなんですよね。

だから「眺める」っていう思考と気持ちの距離感を保つと、自分にとってそれが必要な物なのか、そうでないのかっていうのが見えてくる気がしています。

物を減らしたいなら眺めると「整理される」

片付ける前って、本当に部屋がカオスになりますよね…。というよりは、私自身は片付ける前は「カオスにした方がいい」「とっ散らかった方がいい」という風にも思っています。

だって、色々細々したところも自分の目に見えるようにして出しておかないと、意識できないですからね。

うわあああっていう状況から、一つ一つの物を”畳んで”いくんですけど、その着手する前段階でごちゃごちゃっとした物を群れを眺めていると、持ち物全体像の特徴みたいなものも見えてきたりするので、カオスな状況を「眺める」っていうのも大事だなぁと思います。

状況がとっ散らかっていればとっ散らかっているほど、最終的にはそっちの方が整理できるんですよ。

中途半端に綺麗にしまったりしてしまう方が、いらない物を後回しにしてる気がしますね。

あとはカオスになった後から、一つ一つ、物を先に手に取っちゃうことは私はあまりしなくって、眺めてなんとなく把握してから、ちょっとずつ触っていくっていう流れの方が多い気がします。

自分の持ち物の群れを見て、どのジャンルの物が濃いのか薄いのか、何か群れに特徴はあるのかっていうのを眺めていると見えてくるっていうのはありますね。

あー、100均ばっかだなぁ
気に入っている物ほど使わないなぁ

とか、なんかそういう自分の行動の一連の動きっていうのが、カオスから浮かんでくるんですよね。

物がまるで「あなたはこういう人間ですよ」と言葉を投げかけてきてくれているように。

だからそれを把握できるようになるのが「眺める」っていう目なのでないかなぁと思っています。

物を減らしたい!そんな時には「眺めてみる」

物ってだいたい、引き出しや押入れ、収納に生息していますよね。普

段はそういう引き出しや収納の外側だけを目にすることが多いので意識しないんですけど、床やテーブルなんかに適当に物を並べてみて眺めてみると

いつも潜んでいる時とは違った物への印象

というのが自分から浮かび上がってきて、はたと気がつくことが多いです。

物を減らしたいと思ったら、どこかで自分の執着っていうのをどんどん手放していく過程が出てくると思うんですけど

執着っていうのが目の凝り固まりだとすれば

ちょっと「眺める」

ことで視界をふっと広げてあげる行為が、自分の考えや視野を緩和させてくれる動作の一つなんだろうなぁと思います。

それにちょっと私たちは普段から考えすぎだと思うんですよね笑

だからそういう「頭さまのご意向」からは距離を置いて「心さん」のことも気にかけてあげたいなぁっていう感じです。

頭さまはちょっと休んでいただいて
心さんを今日は前に


っていう風に、最初は自分のギアを切り替えていくのが良いのかなぁと思っています。

物を減らすって何も、禁欲的に暮らしたり、我慢したり、ただひたすら捨てまくったりっていう、それだけでは一概には言えなくて

自分の人生全体で物を減らしていくには
物に頼りすぎないようにするには

っていう所を見た方がいいですね

そのためには「心さん」が登場してもらわないと、どこかでひずみが出るんだと思うんです。

絵とか見ている時って結構「眺める」っていう感じだと思うんですけど、「眺める」のは感性とペアになっているなぁというのを感じます。

だから「眺める」で自分の感性をふるふると震わせてあげることが、物を自分を健全な関係に持っていく大切なキーワードなんでないかって思いますね。

あなたの「眺め」はどこに向いていますか?

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かぜのたみ

人と物との関係を研究する、かぜのたみです。ミニマリストの生態について話題にします。ブログ:ミニマムなライフ→https://small-days.com/
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