Kazu IIDA

education and learning

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最近の記事

書くことの目的

5月に取り組んだ、一か月毎日ブログを書くチャレンジについて書く。今回は、昨年に引き続き、2回めのチャレンジだった。 いきなり反省になるが、改めて実感したのは、この一か月という期間がとても長く感じられたことだ。前回は、途中で書くネタが枯渇していき、絞り出すのがきつかった。今回は、比較的に書くことの苦しさは軽減されたものの、書くことに飽きを感じて、中だるみしてしまった。なぜ飽きたかといえば、書くことそのものが目的になってしまって、それ以上の目的を見失っていたのかもしれない。そこ

    • 南相馬に行ってきた①

      6月16日、17日の2日間、福島県の南相馬に行ってきた。私にとっては初めての福島入りだった。 南相馬市は、3.11の地震と津波による被害に加え、原発事故の影響をもろに受けてしまった地域ということが、私の予備知識のすべてで、ほとんど何も知らなかったに等しい。なお、3.11の直後、都内にいる少なくない人たちがボランティアとして被災地に足を運ぶのを尻目に、私は、東京で悶々としながら自分の目の前の仕事に取り組んでいて、それには自分なりの明確な理由はあったけれども、どこか後ろめたいよ

      • 病、市に出せ

        先日の児童の虐待死事件の投稿の続きになってしまうが、ハフィントンポストで、事件発生までの詳細な経緯がわかる記事を読んだ。 これを読んでまず気づいたことは、児童相談所の職員の奮闘ぶりだ。ニュースに最初に触れたときには、実は脊髄反射的に、行政対応のみっともない不手際を想像してしまったが、失礼な話だ。ここまでちゃんと仕事していたことに敬意すら覚えた。香川から東京への事案の受け渡しに落とし穴があったことは残念だったが、属人的な要素のあるこのような仕事では、引継ぎにはどうしても限界が

        • ダークペダゴジー

          以前の自分の投稿で、話題にすることの嫌悪感を表明した日大アメフト部の不祥事だが、これに関連して興味深い論考を読んだので、禁を破って、改めて話題にしてみたい。 Huffington Postの「「ダークペダゴジー」が、危険タックルを引き起こした。教育学者が指摘」だ。やや長文ではあるが、読み捨てるところのない記述で、全編読み応えがあった。 まず、ダークペダゴジーの定義を、本文から引用してこよう。 ダークペダゴジーは、倫理的に問題のある手法を用いて他者の成長発達、価値観や

        書くことの目的

          純粋にかなしむ

          5歳の女の子が、両親からの虐待で命を落とすという、とても痛ましい事件があった。たまたま同じ5歳の子がいるからか、このニュースを目にしたとき、胸がしめつけられるような気持ちになった。 ニュースによれば、被害者の結愛ちゃんは、「もっとあしたはできるようになるからもうおねがいゆるして」と、ノートに書き残していたらしい。どれほどのつらさ・くるしさだったか。同時に、このような理不尽さに対するおぞましいほどの怒りもこみ上げてくる。 現実は、とても暗い。今回のように死亡に至るような児童

          純粋にかなしむ

          5歳児の自我

          昨日、5歳の長男と一緒に、近所の公園に遊びに行った。ボールなどの遊び道具持参で、彼の野球の真似事に付き合ったり、ボールを蹴りっこしたりする、ありふれた他愛のないひとときだった。 ふたりでフリスビーを投げっこしていたときに、小さな事件が起こった。彼が思いっきり投げたフリスビーが、近くで遊んでいた小学生の女の子の頭にスコンと当たってしまったのだ。柔らか素材なので大したことはなかったのだが、それでもちゃんとごめんなさいと言うべき場面。しかし、このとき、息子はビクッと硬直してしまっ

          5歳児の自我

          不確実さと向き合う

          主に社会人向けの研修という文脈で、学びの場のデザインやファシリテーションを手がけるのが、私の仕事だ。この仕事の目的や成果物を顧客と擦り合わせるときに、コミュニケーションの難しさを感じることがある。 研修という商材は、人の学びという無形の成果を追求するものなので、成果は曖昧になりやすい。それでも通常の研修であれば、「ロジカルシンキング」、「クリティカルシンキング」「文章作成力」などのフォーカスがまがりなりにもあって、話が早い。 こういった、教え手から学び手へ伝えるべき知識や

          不確実さと向き合う

          多様性の力

          昨日、社内のミーティングで、どんな価値観を社内に共有していきたいかというテーマで話をした。そのとき、社長の澤田さんが真っ先に提唱した言葉が、「多様性のパワーを信じる」だった。恥をしのんで告白すると、この言わんとしていることが、私には即座に理解できなかった。多様性がパワーをもたらすのは、一体どんなときなのだろう。 多様性やその英訳のダイバーシティという言葉は、よく耳にする。ダイバーシティ経営という言葉すらある。重要なキーワードなのは間違いなさそうだ。それにしても、カタカナにな

          多様性の力

          観察する

          昨日は、某自治体の若手職員向けの研修に、サブ講師として参加した。本研修では、行政職員としての企画立案の実践演習を、3日間かけて行う。昨日はその1日目で、軽いイントロダクションのあと、実際に街にでて、人々の行動を観察してインサイトを探るフィールドワークをしてもらった。私は、「子ども」というテーマのチームが歩き回るのについていき、観察の様子を観察した。 「観察」という営みは、奥が深い。普段のワークショップのファシリテーションでは、参加者の姿勢、目線、呼吸や表情などから、いまこの

          観察する

          現代史と映画の関係

          映画『タクシー運転手』の感想を書く。多少のネタバレを含むかもしれないので、これから視聴するつもりの方はご注意ください。 本作品は、1980年の光州事件を題材に、潜入取材するドイツ人ジャーナリストと偶然行動を共にすることになったタクシードライバーの物語だ。これらふたりは、実在の人物がモデルになっている。 光州事件の基本情報を確認しておこう。Wikipedia によれば、軍事独裁政権に対して光州の住民が起こした大規模抗議行動で、政府軍による容赦ない鎮圧によって、約一週間の闘争

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          なぜテーマパークのメシは不味いのか

          今週の土曜日、東京ディズニーシーに家族で行ってきた。まだ暑すぎない天候と、GWシーズン終了後というタイミングのおかげかそれほどでもない混雑状況で、おかげさまでとても楽しく過ごせた。 私の家族は、ディズニーリゾートには年に1回いくかいかないかくらいの、とてもライトな客だ。今回も、2年ぶりくらいに足を運んだ気がする。妻とふたりで共有しあった感想を、ここで紹介しよう。 混雑はそれほどでもないとはいっても、アトラクション1回あたり平均して30分以上は行列にただ並んで待っていたので

          なぜテーマパークのメシは不味いのか

          VRと学習

          私は、それほど物欲はつよくない方だと自分では思っている。知的好奇心はわりとあるので、本はよく買う。読むスピードは早くないので、買うペースに追いつかず積ん読が増えていくのが、大きな悩みだ。ほかにも、任天堂のダンボールなど、気になるものはいくつかある。それらのなかで、いちばん気になっているのはVRのヘッドセットだ。自分の周囲でOculus Goが流行りだしているため、その影響を受けてしまっている。 アダルトに興味があるわけではない、念のため。それがすごいという噂もきくので、まっ

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          世界平和の実現のために(後編)

          前回の投稿では、世界平和の実現にいち個人としてどう取り組むかという、なんだかとても壮大なテーマについて書き出してはみたものの、前段の世界平和の定義を考えるところまでであえなく力尽きた。ここから、ようやく本題に入っていく。ちゃんと着地できますように。 すこしおさらいしておくと、人には欲望がある。そのひとつの帰結として争いがあり、争いのひとつの帰結として暴力がある。 また、暴力とそれに伴う不幸には、伝染する力がある。職場でうけたハラスメントの腹いせで、家で子供に手をあげる人も

          世界平和の実現のために(後編)

          世界平和の実現のために(前編)

          我ながら大層なタイトルを付けてしまった。 先日のある対話の場で、ワールドピースゲームプロジェクトの日本代表をしている谷口真里佳さんが、「自分の目標は世界平和の実現だ」と話した。それに対して別の友人が、「私たちのすべての仕事はつまるところ、世界平和の実現のためのものなのだから、それだけではなにも言っていないに等しい」という厳しい指摘をしていて、なるほど確かにそうかもしれないと思えたのだった。 では、私は、自分の仕事や生活のなかで、どんなふうに世界の平和に寄与しうるのだろうか

          世界平和の実現のために(前編)

          浪費される時間

          チャイルディッシュ・ガンビーノのセンセーショナルなミュージック・ビデオ「This Is America」が、話題になっている。映像に二重三重の仕掛けがあって、見返すごとに新たな発見があるつくりになっている。その検証動画で教わったのだが、映像の後景で起こっているなにかを、前景の歌やダンスが覆っていて、その全貌は明らかにならない。なにか大変なことや悲惨なことがすぐ近くで起こっていても、それから目をそらされていて気づかない人たちのメタファーだと解釈できる。これが、アメリカだというわ

          浪費される時間

          伝わらないことの価値

          少し前に、ほぼ日の糸井重里さんが参加するパネルディスカッションをみたことがある。鎌倉投信の新井さんと、ふんばろう東日本支援プロジェクトの代表だった西條さんと、糸井さんの3人の対話だった。そのとき、とても印象に残ったことは、糸井さんの話がとてもわかりにくかったことだった。 糸井さんの話しぶりは、実際、凄まじかった。小学生でも知っていそうな平易な言葉だけをつかい、噛んで含めるように、ゆっくり、ゆったりと話す。それでいて、わからない。正確にいうと、わかりそうで、わからない。そして

          伝わらないことの価値