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南相馬に行ってきた①

6月16日、17日の2日間、福島県の南相馬に行ってきた。私にとっては初めての福島入りだった。

南相馬市は、3.11の地震と津波による被害に加え、原発事故の影響をもろに受けてしまった地域ということが、私の予備知識のすべてで、ほとんど何も知らなかったに等しい。なお、3.11の直後、都内にいる少なくない人たちがボランティアとして被災地に足を運ぶのを尻目に、私は、東京で悶々としながら自分の目の前の仕事に取り組んでいて、それには自分なりの明確な理由はあったけれども、どこか後ろめたいような気持ちもあったため、今回訪問できることだけで、なんだかホッとするような思いがあった。

東京から南相馬へのアクセスは、あまり充実していない。今回は、有志によるバスツアーに参加させていただいた。このツアーは、須磨さんという方が個人的に実施していて、累計で41回めということで、その継続ぶりに、まず驚かされてしまう。

朝の7時に東京駅前を出発して、10時30分頃には浜通りの双葉町や浪江町のあたりに着き、家やビルが全てバリケードで封鎖された、人の気配のない、時間が止まったような街を、バスの中から覗き込んだ。津波の被害を受けていない地域のこの有様には、言葉が出ない。

このあと、浪江町と南相馬の、津波に襲われたエリアをまわる。

海岸から少し離れて小高いにもかかわらず、すべてを波に押し流された、ある場所に降り立った。ボランティアガイドの方のお話によれば、まさにこの場所で、ここまで波がくることはないだろうといって、逃げ遅れてしまい、津波に飲み込まれたおばあさんがいたそうだ。

このとき、目にうつる草花の一面の緑、そこからたちのぼる土と草の香りが、被害を雄弁に語りかけてくる廃墟たちよりも、強く印象に残った。ただ生い茂る草花たちを眺めていると、そこにかつて人が暮らしていたことや、それらが失われたことの痛切さを、リアリティをもって想像することが、どうしてもできない。

戸惑いを感じて、私は無口になった。

(つづく)

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