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ダークペダゴジー

以前の自分の投稿で、話題にすることの嫌悪感を表明した日大アメフト部の不祥事だが、これに関連して興味深い論考を読んだので、禁を破って、改めて話題にしてみたい。

Huffington Postの「「ダークペダゴジー」が、危険タックルを引き起こした。教育学者が指摘」だ。やや長文ではあるが、読み捨てるところのない記述で、全編読み応えがあった。

まず、ダークペダゴジーの定義を、本文から引用してこよう。

ダークペダゴジーは、倫理的に問題のある手法を用いて他者の成長発達、価値観や知識の獲得に介入する行為を指すものです。より具体的には「暴力・強制・嘘・賞罰・欲求充足の禁止・条件付き愛情・心理操作・監視・屈辱」などを用いた教育行為がダークペダゴジーに当たります。

この「ダークペダゴジー」という概念そのものは、私はこの記事で初めて知ったのだが、それは単にこのような名付けのことを知らなかっただけで、このような指導のあり方そのものは、昔から知っている。程度の差こそあれ、私たちはこれを受けて育っているし、いま子育てや教育のなかで、しばしばこれを使っている。

私自身の子育てを例にあげよう。息子が「ごめんなさい」のひと言を言えなかったという、つい先日の出来事でも使った方法だが、私は、鬼さんや妖怪さんの力をよく借りる。息子が嘘をついたり、他の子に暴力を振るってしまったときに、「嘘つきは、鬼さんのおうちの子になってもらうよ!」というと、効果はてきめんだ。また、道路でフラフラ歩いていて危ないときには、頭をひっぱたいて泣かせることもある。このようなことは、私の感覚では日常茶飯事だ。

暴力的で強迫的なやり方に訴えるのではなく、話して聞かせて納得させて、というやり方だって決して不可能ではないはずだが、すぐ効果がでるやり方が自然と採用されるのだ。

教育の分野でも、状況は大差なさそうだ。教育の質は、求める成果をいかに少ない時間と労力で達成できるかで、ある程度は語られるものだし、それは一面では間違いなく正しい。つまり、もし学校の成績が劇的にあがるのであれば、精神的・肉体的な追い込みも正当化されうるということだ。

私が中高で通った学校は、多くの卒業生を東大や医学部に送り込む進学校だった。そのために徹底的に勉強させることが、この学校のスタイルだ。教師の指導は厳しかったし、成績の冴えない生徒たちに対する冷たさは特に印象的だった。慣れとは恐ろしいもので、人としての価値が、勉強の出来具合と連動しているような感覚になり、自分も駆り立てられるように勉強というノルマと向き合う日々だった。学校生活は楽しくなかったが、東大合格という結果はついてきた。

このような「成功体験」は、長い目でみれば、弊害もある。他者の指示に忠実に従うことに最適化されてしまい、自分の頭では考えられなくなっていくということが、ひとつの問題だ。いつまでも子どもでいるわけにはいかないので、どこかで決別する必要があるのだが、依存してしまって辞めどきを失うと、厄介だ。そして、その悪影響に拍車をかけるのが、この手法の逸脱と濫用だ。

しかし、このように論評することだけであれば、たやすい。問題は、ではどうするの?ということだ。

ひとつは、他の選択肢を耕すことだろう。暴力や圧力を伴わずに、それを超えるないし匹敵する教育的な効果の実例が、ひとつでも多く示されることで、倫理的に問題のある方法の撲滅をはかっていくことはできるだろう。

もうひとつは、場合を分けること。この「ダークペダゴジー」をすべて断罪し否定することは、良い効果を生まない。原理的な否定は、イデオロギーの対立、永遠に勝敗のつかない泥仕合を生むだけだ。このような無益な信念闘争のかわりに、どのような場面ではこの手法が効果を発揮し、逆にどのような場面では問題を生むのかを、冷静かつ中立的に検討していくべきだろう。殺すのではなく、封じ込めることが有効なのだ。

最後に大事だと思うのは、美意識だ。美しさやかっこよさという軸を、ひとりひとりがもつこと、そしてそれらが人々のあいだで共有されていくことが大切だ。

日本の古典的なドラマや映画では、こんなシーンがよくある。愛と情熱にあふれた教師・親・年長者が、素直にいうことをきかない子に対して、とっさに手をあげてしまう。殴られた子は、その頬の痛みで相手の本当の気持ちに目覚め、涙を流して改心する。このような表現のコードは、日本に独特のものだと聞いたことがある。古い例だが、1940年の映画『志那の夜』では、中国人の娘を演じる李香蘭がこのパターンのラブシーンを日本人の長谷川一夫を相手に演じて、中国人の観客たちが「日本人に殴られてよろこぶとはなにごとだ」と怒り狂ったという逸話があるそうだ。

こんなところにも、私たちの教育や子育ての感覚が反映されているということで、こういった感覚を変えることがもしできれば、「ダークペダゴジー」は、効果はあるけど、かっこわるい、ダサい、残念な指導法として、廃れていってくれるかもしれない。

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Kazu IIDA

education and learning
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