ひとに読ませる文章

今回、ブログ投稿を再開するにあたって、自分に求めたいことがある。それは、一緒に毎日ブログ生活をしている仲間たちの投稿にもくまなく目をとおすことだ。前回は、恥ずかしながら自分の投稿のことでいっぱいいっぱいになってしまい、よそに気を配る余裕がなかった。反省している。

ということで、昨日から早速、仲間たちの投稿を都度チェックしているわけだが、はやくもその効用を見つけた思いがある。他者を見ることによって、自分への理解が深まるという、よくある体験だ。

河原塚さんは、「読者を想定して情報を最適化する」ことを心がけます、という所信表明をしている。さすがマーケッター、やっぱりそれ大事だよね、と思いつつ、自分にはそれはちゃんとできないだろうな、という心の声もきこえてきてしまう。

ブログという媒体は、紙の日記とはことなり、他者に対して開かれたものだ。誰にでも読まれる可能性はある。だから、読み手をまったく意識しないこともないのだが、だがしかし、自意識としては、自分のプライベートな領域を扱っている感覚がどうしてもあり、純粋にパブリックなものとは考えられない。

たとえていうならば、自宅の周囲の壁をとっぱらって、だれでも入れるように庭をオープンにして、小道やベンチをおいて、草花も楽しんでもらえるようにしている感覚、とでもいうべきか。自分のプライベートとパブリックの境界をあえて曖昧にして、内側をさらしてみせる営みが、私にとってのブログを書くことなのかな、もしくは自分のまなざしの特徴なのかな、と思った次第。

そんなノリで書いているので、バズりうるような可能性はきっとない。大して面白くはない。しかし、それがゆえの地味な面白さも、またあるのではないか。そんな気がしている。

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