感情の名誉回復 その2

昨日は、人の判断において感情が果たす役割について書いた。今日は、学習という視点で、そこからどんな示唆が得られそうかを考えてみよう。

複雑で不確かな状況下で適切な判断を下す力は、現代という不確かな時代をいきる人にとっては、ぜひとも獲得したい能力だろう。前回の投稿で書いたとおり、この判断力を養うためには、感情のデータベースを充実させていくことが求められる。それは、体験の質、感情の質のふたつの要素にわけて考えられる。

体験の質というのは、のっぴきならない状況に現実に直面したときに、参照できるような拠り所になる体験を得ているということだ。とはいっても、同じシチュエーションが繰り返しあらわれることはないので、似通った体験、通じるところがありそうな体験で事足りる。『習得への情熱』のジョッシュ・ウェイツキンは、チェスのトーナメントでの数々の体験を、後年の太極拳の試合のなかで大いに生かしている。

子育てや教育を例にあげれば、大人になってから直面することになるであろう様々な試練を踏まえて、そのとき参照できそうな体験の機会を、親や教師やコーチが用意してあげることができるだろう。このような機会を幅広く、十分な頻度で持てると、感情のラインナップに不足しないで済むだろう。

感情の質も、ひとしく大切だ。

感情には固有性があるということを改めて確認しておこう。同じ刺激、同じインプットであっても、受け取る人が違えば、その知覚の仕方は異なる。苦境にあって愚痴だけをいう人もいれば、前向きな試練として受けとる人もいる。また、同じ人でも、成長とともに感情のうまれかたは変化していく。体験に意味を与え、重み付け、格付けをするのが感情の役割ともいえる。

感情は知覚現象なので、客観的に測定することはできない。言葉にすることによって、本人にとっても、第三者にとっても初めて認識・観察が可能になる。つまり、感情の質を高める第一歩は、それを言葉にしてみるということだ。

さらには、それを他者と共有しあうことも効果的なはずだ。対話をすると、同じことに対しても意味の与え方が人によって様々であることがわかる。他者の言葉を自身のなかに取り込むと、自身の言葉を再度吟味することができ、また他者との比較により自分のこだわりや個性が際立って理解できる。

このように、感情のログを丹念に自分の中で言語化して蓄積していく営みが、その人の直感を養ってくれる。

これらのポイントは、プロジェクト型学習のような体験的な場をつくる際には、基本として押さえておくとよさそうだ。

(明日へつづく)

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