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弘法筆を選ばずといいますが…

昨日は、手をつかって考えることについての文章を書いた。このブログのように、なにかを書くという営みも、手をつかって考える活動のひとつといえる。

書く方法も色々とある。かつては、鉛筆やペンをつかって紙に書くのが当たり前だった。というかそれしかなかった。いまは、他に、パソコンに向かってキーボードで書くこともできるし、スマホで指フリック入力もできる。タブレット端末とスタイラスペンの組合せが現れて、手書きという体験の質も大きく変化している。

私がなにかの文章を書くときには、普段はパソコンにキーボード入力を使っている。また、iPadとApple pencilの組合せを入手したことで、手書きへの原点回帰が起こっているところだ。

今の私は、パソコン入力と手書き入力を、なにかまとまったものを書くときにはパソコン、自分の散らかりがちな思考を書き留めたり頭を整理したり、速くなにかをメモしたりといったときには手書き、と使い分けている。

私のなかでの手書きの再評価について説明する。手で文字を書くというのは、手と指を複雑に動かして筆先をコントロールするということだ。文字のひとつひとつの軌跡を指先でつくりながら、同時にその軌跡をなぞって感じとることができるのが特徴だ。これは、声にだして文章を朗読することで、自分の耳にそれを聴かせることに似ているかもしれない。

たとえば、「愛」という文字を書く場合。パソコンであれば、キーボードのAとIのキーを順番に叩き、そのあと変換ボタンを数回叩くという動作になる。それはどの文字を書くのでも同じことで、単純なキーパンチの動作に分解できる。また、ローマ字入力なので、言葉の意味よりも発音が意識される。

手書きは、一本一本の線や払いを手と指先でつくっていく。「愛」の文字を書く途中には「心」という文字も書いている。脳に与える刺激は、だいぶ異なる。文字ごとに固有の動きをしなければいけないから、キー入力より明らかに複雑だが、手書きの方がよりスムーズに感じられるのは、指先でひとつひとつの意味を感じとれているからかもしれない。

従来の手書きの欠点は、書いたものの管理が難しい(嵩張って持ち運びにくい、整理・保存がしにくい、すぐに交換が必要、なくしやすいなど)ことと、書き損じのときに消したり書き直したりが意外に不便ということだったが、タブレットの登場で両問題は一挙に解決し、今では書く方法の主役に返り咲いた感がある。

話は変わるが、パソコンでものを書くときの最大の欠点は、機動性の無さだろう。今回、毎日ブログ企画に参加してみて、改めてこの問題に直面している。ノートパソコンでもどうしても場所をとるし、立上げにも時間がかかるので、ちょっとした空き時間を活用して書くようなことはできない。そして、毎日スタバに足を運んでしまっており、お金がもったいない!

そこで、この投稿では、スマホでの執筆にチャレンジしてみることにした。フリック入力で長い文章を書いたことは、これまでなかった。でも、なんとなく食わず嫌いをしていただけで、意外にいけるかもしれない。なので、今回、スマホのnoteアプリを使ってみている(今この瞬間は、散髪の待ち時間で書いている)。

やってみての気づきは、予測変換機能のおかげでスピードとしては思ったよりサクサク書けること。ただ、左手の親指以外はまったく働いてくれないので、ひとつの指ばかりが疲れてしまうのはどうしたものだろうか。しかし最も深刻なのは、スマホの入力画面が小さいせいか、文章の全体を見渡せないことだ。なので、結局最後の工程では、パソコンを開いてしまっている(そして今スタバにいる)。

まだ試行錯誤はつづきそうだが、書くことへの心地よい取組み方をじっくりと探していきたい。まだまだこの企画はつづくので。

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