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世界平和の実現のために(前編)

我ながら大層なタイトルを付けてしまった。

先日のある対話の場で、ワールドピースゲームプロジェクトの日本代表をしている谷口真里佳さんが、「自分の目標は世界平和の実現だ」と話した。それに対して別の友人が、「私たちのすべての仕事はつまるところ、世界平和の実現のためのものなのだから、それだけではなにも言っていないに等しい」という厳しい指摘をしていて、なるほど確かにそうかもしれないと思えたのだった。

では、私は、自分の仕事や生活のなかで、どんなふうに世界の平和に寄与しうるのだろうか。

まず、「世界」という言葉の意味を確認しておく。世界と日本を区別する言説をよく目にする。「日本を飛び出して世界で活躍」とか、「世界との力の差を痛感」とか、そんな文脈だ。これは明らかに行き過ぎた島国意識が招いたお粗末な幻想であって、日本も世界の中にあり、世界そのものだ。世界には境界はなく、私たちが暮らすなにげない日常そのものが、世界だ。目の前の現実に目を向けてそれに働きかけることは、そのまま世界への貢献になるわけだ。

では「平和」とはなんだろう。

直感的にまずイメージされるのは、争いや諍いのない、穏やかで安寧な世界だ。しかし、そんなものあるわけないよな、と心の声がすぐに打ち消す。人には誰しも、欲望や希望があり、他方で機会やリソースには限界がある以上、それらを巡っての摩擦が起こるのは、避けられそうにない。

争いは、ときに暴力に行き着くことがある。殺すとか殴りつけるといった露骨な暴力は日本ではめったに見かけないが、組織のなか、家庭のなか、町や電車のなかでよく目をこらせば、より微妙な形で、これらは依然として健在だ。自分や他者を傷付ける行為を暴力と呼ぶならば、暴言や無視も、その定義に含めてよさそうだ。

いまの自分に差しあたって最もしっくりくる「平和」の定義は、このような暴力のない世界だ。自分の欲望を実現したいときに、その手段として暴力を用いる必要のない世界。どんな人も、暴力に怯えずにのびやかに生きれる世界。このような世界の状態を、平和と呼ぶことにしよう。

まだ前置きなのにここまでで結構な文字数になってしまったので、つづきは日を改めて。

(つづく)


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Kazu IIDA

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