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『アナ雪』にヒロインが2人必要な理由

2歳の娘がいる。
いま、彼女の頭の中を覗いてみると、半分くらいは『アナ雪』成分に支配されているかもしれない、と思うほどに大ブーム中だ。

アニメ映画を鑑賞する頻度も高いので、年末に育児視点でのアナ雪レビューを書いてみた。

こちらは主にエルサとアナの両親の教育が、ふたりの個性に及ぼした影響に関しての内容だが、今回はより本編の内容にそった考察レビューをお届けしたい。

※以下は作品のネタバレを含みます。

「氷」は何のメタファーか

本作における「氷」は何の象徴だろうか。

一般的にも「冷たい」「固い」というイメージがあるため、多くの創作作品において、氷系の能力に属するキャラクターは、クールでポーカーフェイスな近寄りがたい人物として描写されがちだ。

主人公・エルサも例にもれない。
生まれ持った魔法の力をコントロールできないため、妹とすら距離を置き、ダークな服をきて表情も暗い彼女は、無口で気難しい雰囲気がある。

エルサにとって氷は「災い」に近い存在だ。
望まずに背負ってしまった「不幸」そのもので、秘密を打ち明けられないために「孤独」でもある。
とにかくネガティブなものなのだ。

一方で、本作は山男たちが氷を切り出し、運んでいくシーンから始まる。
大柄な男たちが歌いながら作業する様子は、楽し気でまとまりがあり、パワフルで生命力にあふれている。

氷は彼らにとって生きていくための糧であり、敬意を払っているような印象もうける。以下は『氷の心』歌詞の一部である。

氷の持つ力魔法の力とても強くて誰にも支配できないぞ
木枯らし吹けば川さえ凍る切り出せ 掘り出せ 氷の心を綺麗で硬い氷求めて深く切り込めよ 引き上げろ 力合わせ

オープニングソングなので物語の印象づけや展開の示唆を担っているはずだが、ここで語られるのは氷の「美しさ」と「強さ」だ。

幼少期のクリストフとスヴェンもいるので、長い時間魅力を失わないという「継続性」や「安定感」も感じる。

また、集団で流れ作業をしていることからも、「ひとりで向き合うものではなく、仲間と力を合わせて制御しよう」という本編の核メッセージが織り込まれている。

私はダブルヒロインの華やかな本作が、あえてオジサンひしめくこの曲からはじまることに感動を覚える。

「氷の魔法」は「個性」や「マイノリティ」を具体化したものであると同時に、「誤解されやすいもの」「理解ひとつでプラスに好転するもの」のメタファーとなっている。

『氷の心』はエルサへの応援ソングだ。
戴冠式では氷の力に恐怖し、逃げまどい赤ん坊を隠す国民たち。
しかしラストでは、夏のアイススケート場は笑顔でいっぱいになる。

エルサの魔法が暴走して国中が雪に覆ってしまった時も、多くの人々は困惑するが、氷の城を見上げるクリストフは感嘆する。

人とちがう力や思想、感覚は理解されにくい。
無知ゆえに不安と恐怖心をうむ。

しかし「ありのままが自分(その人)なのだ」という自信と理解さえあれば、少しも困難はないのだと、「氷」という美しいアイテムを通して訴えることが、本作のキモであったのかな、と私は感じる。

アナは伏線回収の名手

本作のメインテーマは「真実の愛」と「個性との向き合い方」だと考えているが、どちらもエルサひとりでも描くことは可能だったはずだ。

妹のアナは姉の葛藤など露しらず、天真爛漫で社交的なキャラクターなので、エルサとの対比という役割はたしかにある。
しかしそれだけなら、オラフにも担えそうなので疑問が残る。

本作でダブルヒロインが起用された理由はなんだろうか。
個人的には、エルサが「氷問題」にロングスパンで答えをだすあいだ、物語に深みをだすショートでの伏線回収役だと思っている。

例えば、アナはトロールによってエルサの魔法の記憶を失うが、思い出は残っているので、雪が降っているのを見て、『雪だるまつくろう』を歌唱する。

この曲、幼児期・少女期・思春期の3つの時間軸をたどるのだけど、最後の思春期シーンでは、劇中の季節は冬ではない。

これは記憶をなくしても「季節に関係なく雪で遊んだ思い出」が残っている証拠で、長老トロールが言った「頭は簡単にまるめこめるが、心を変えるのはとても難しい。」のアンサーシーンにもなっている。

魔法の力で遊ぶことは何よりも楽しくて、何年も邪険にされていても、姉のことが変わらずに大好き。
その気持ちは失っていないのだと、曲の構成で魅せているのだ。

もうひとつのメイン歌唱曲「生まれて初めて」では、ソファーでジャンプし、お城の絵画をとびまわり、人物画のポージングを次々に真似ていく様子がユーモラスに描かれている。

明るい曲調とうらはらに、家具や絵の位置を正確に把握しているということは、『雪だるまつくろう』で歌っていた「♪あんまりひとりでいると~壁の絵とおしゃべりしちゃう~」の結果であり、アナがひとり遊びばかりしていた膨大な時間を感じさせ、もの悲しい。

同様に「♪突然気が付くの~素敵な若者に~」と歌った直後にハンスに出会うのだが、こちらは馬で転ばされたので、アナが気づいたわけではなく、不慮の事故だ。

むしろトロールの歌『愛さえあれば』で優しさを認識したクリストフの方が素敵さに突然気が付いており、こちらも自己完結型の伏線回収をしている。

ラストシーンでもエルサに伝えた「大丈夫、ぜったいできるよ!」を言い返されているし、一貫して本作のブーメラン担当であったように思う。

大事な人を守るために魔法をひた隠しにしたエルサと、それに気が付かないアナの構図だったのに、最終的に「自分を犠牲にしてでもエルサを助けたい」と願う「真実の愛」を手に入れ、自身の心にささった氷を解かす、という演出も粋だ。

結局のところ、マジョリティでもマイノリティでも、自分の個性と向き合うことは自分しかできず、本当の答えを持っているのは他人ではない、というメッセージも感じる。

アナを王女なのにやたらと庶民的な人物にしたのも、そういった狙いだろう。

ハンス王子とオラフのメッセージ

本作には2人のヒロイン以外にもメインキャラクターが何人かいる。

中でも裏切りの王子・ハンスは監督自身が「ハンスは鏡の存在」と明言していて、人物でありながら、自分と対峙する人々の心を映す役割だ。

アナが紳士的な王子に憧れているときは、理想の男性そのものであり、共通点が多く気が合い、気持ちが盛り上がるとプロポーズもしてくれる。
兄弟とうまくいっていない孤独も共有できる。

エルサにたいしても、その戸惑いや孤独の表情をそのまま返し、頼ってくる国民には優しく、横柄な他国の伯爵には威圧的だ。

アナを利用したひどい奴、のような印象が先にたつが、実はあのお城の暖炉を消されるシーンも、アナが「エルサの魔法にやられた」と、さも意図的に攻撃されたかのようにハンスに申告している。

実際にはアナがエルサの気持ちに寄り添わずに、一方的に自分の意見をぶつけた結果、エルサの感情が爆発してしまったのだが、その経緯をはしょりエルサだけを悪くいうようなテイストだった。

そのためハンスはその「裏切り」を鏡として映したのだ。
アナ自身、ハンスが好きかどうか深く考えもせずに、氷をとかすために利用しようとしたので、逆に利用されたともとれる。

エルサを剣で仕留めようとするシーンも、自分のせいで妹が死んだ、自分は死神だと泣き崩れるエルサの心情をコピーしている。

はじめから殺人までするつもりなら、アナにちゃんととどめを刺すなり一旦結婚してきちんと王位継承権を手に入れなさいよ、ツメが甘いわね、という疑問も、彼は別に本気でアレンデールを乗っ取りたいわけではなくて、単に鏡なのだと思うと腑に落ちる。

ハンスの存在はストレートに「相手は自分の鏡である、不当に扱われるときはそれに近いことを自分もしていないか顧みなさい」というメッセージであって、多様性を体現するうえで切り離せない考え方なので、納得である。

本作の人間以外のキャラクターは感情に惑わされずに、物語の本質を示唆する役割を果たしているのだが、雪だるまのオラフが「ハンスってだれ~?」とギャグっぽく口にするシーンも、彼は人であって人でない、というヒントをくれている。

エルサが作った割にはずいぶん陽気なオラフが「ぎゅーっと抱きしめて」としつこく言ってきたり、「お空が起きてる」と幼児だったアナのセリフを反芻することが、胸に刺さる。

本当はアナのように明るく無邪気に成長したかったエルサの、叶わなかった願いを、純白の雪で転がし大きくしたものが、オラフという存在なのかもしれない。

ディズニーがチャレンジする新しい女性像

実写の『マレフィセント』(2014年)でも「真実の愛」の正体を男女間の恋愛ではなく、母子愛においたように、近年の女性の権利を訴える世界的な動きに合わせて、ディズニーは自社が創作してきた「プリンセス像」をぶっこわしにいっている。

本作の2人のヒロインに共通していえることは「王子様の助けを待ってるだけなんてもう古い、自分の未来は自分で切り開くもの」という自立した強い女性像がひとつの答えになっている点だ。

いつか白馬に乗った王子様が、悪者をやっつけて自分を幸せにしてくれる…という展開は、「白雪姫」「眠りの森の美女」「シンデレラ」など歴代名作の鉄板であったのに、アナとハンスを通して、そんな時代の終息を描く。

美しさと強さ、冒険心に夢をかなえる努力。
これらが合わさった女性こそが、いまの時代のプリンセスだと、過去作にツッコミをいれる形式でスタンスチェンジしていく姿勢は、さすがの一言である。

こうした進化に貪欲な作品づくりが、ディズニー最大の魅力に感じる。

詳しくは割愛するが、最新作の『シュガーラッシュ オンライン』では歴代のプリンセスが大集合し、かなり直接的に女性がどうあるべきなのかを名言する。こちらも面白いのでオススメだ。

現代の日本では、共働き率は増えているが、若い世代は専業主婦希望の女性がまだまだ多い。

これは体感だが、働きざかりと言われる30~50代の女性も、男性に比べてキャリア意識は低いように感じる。

もちろん、働くことだけが自立や自己実現ではないので、専業主婦は何ら悪い選択ではないし、男性の家事育児時間の短さや社会リソースの少なさなど、女性個人で解決できない課題も山積みなのは大きな問題だ。

しかしながら、もし心の底に「さいごは男性がなんとかしてくれると無根拠に信じているが故に努力を怠ってもよい」という思考があるのなら、それは危険な生き方かもしれないよ、という警笛を、私は本作から感じている。

女性にだけイバラの道が待っている世の中は間違っているが、それでも塔の中で祈っているだけでは、もうにっちもさっちもいかないのだ。

「大丈夫、ぜったいできるよ!」

両親を亡くしても、姉妹で支え合い王国を守る2人のヒロインが、みえない未来にすくむ足を、ポンっとたたいて、明るく笑ってくれる。

私にとって『アナ雪』は、そんなエールをもらえる作品なのだ。

記:瀧波 和賀

こちらにもアナ雪レビュー書いてます^^

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