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パパしかできない、母乳育児

ここ数年で育児に主体性を持つ男性がグンと増え、妻に任せきりじゃありません、父親なのだから、当然なんでもやってます、という夫婦二人三脚型の子育てが珍しくなくなった。

しかし、そんな育児パパたちがよく口にする言葉に、私は少しひっかかりを持っている。

「育児、なんでもやりますよ!授乳以外はね!!」

授乳。
定義的にはミルクも含まれているが、おそらくパパ達がこう話す際の授乳は、直母乳のことを指しているだろう。

当然、男性である父親から母乳はでない。
これは生物学的な問題なので、責められるべきことでも、申し訳なく思うことでもない。

ただ思うのだ。
低月齢育児の中心と言っても過言ではない授乳という育児行為に、父親は本当に参加できないのだろうか。
母乳を分泌するのは母親だが、人生と育児のパートナーである父親だからこそできる、「母乳育児」の参加方法はないのだろうか?

謙遜から授乳を除外するパパもいることと思うが、
私が考える、「父親ならではの母乳育児」を書いてみたい。

母乳が出る、は当たり前じゃない

「母乳」でイメージするものと言えば、幸せそうに吸い付く赤ちゃんと、穏やかにほほ笑む母親の姿だろうか。
実際に画像検索をかけると、そういった場面がPC画面を埋め尽くす。

これは知っている男性も多いと思うのだが、母乳をだす、という生理現象は母体に大きな負担をかける。

まず、これがなかなか出ない。
産後でボロボロの体でありながら、スキあらば赤ちゃんに吸わせるように指導され、懸命にその通りにするのだが、初産の胸はうんともすんとも言わなかったりする。

激痛のマッサージに耐えたり、これまた悶絶級な乳首のダメージと戦って、コントロールできない分泌物と、体当たりでスクラムを組む。

常に乳腺炎の影に怯えて、食べるものや飲ませる姿勢にも気を使い、赤子の体重増加に脳内が支配される。
特に小さめの赤ちゃんを育てる場合、どれだけ飲んだか視認できない母乳育児は、さらなる心配を呼びおこし、しょっちゅう体重を計ってしまいたくなる。

赤ちゃんに母乳を与える妻の姿は、いかにも「母親」そのもので、パパからすると、自分にはできない育児行為を行う、とても頼もしい存在に見えるかもしれない。

ただ、その心の中は、これでいいの?本当にあってる?と不安も多く、
次の授乳まで間隔をあけなきゃ、
正しい生活リズムをつけさせなきゃ、
添い乳はやめたほうがいいのかな…と
ネットを探しても意見が割れている疑問で埋め尽くされている。

低月齢の赤ちゃんにはできることが少ない分、「正しい授乳」をきっちりしないと、こうなる、ああなる、といった情報が実に多く、ママたちはそのプレッシャーと向き合いながら授乳を繰り返している。

一度立ち止まってゆっくり考える時間が欲しいのだが、何せすぐに次の授乳時間になるので、寝不足の頭のなかはスッキリせずに散らかってしまう。

赤ちゃんが泣いたとき、
「おっぱいじゃないの?」
「母乳足りてないんじゃない?」
と夫に言われてカチーンとくるママが多いのは、そうした背景があるのだ。

授乳行為を続けながら、ずっと授乳のことを考えているのだから、専門家以外の口出しには神経質にもなってしまう。

それは裏返すと、この苦労を認めて欲しい、手探りな努力を否定しないでほしい、という切なる願いでもある。

母乳量を気にしてくれるのは、父としての当事者意識の表れでもあるのだけど、何分デリケートな問題なので、もうちょっとだけまろやかに、

「ずっと母乳のこと考えてなきゃだから休まらないよね」
「大変なのに、母乳続けてくれてありがとう」

と表現してくれたら、ママの心は軽くなり、もしかしたら何十年後も思い出す、嬉しい出来事になるかもしれない。
これは他の「誰か」じゃダメで、ママ以外に唯一赤ちゃんの親である、パパにしかできない救済なのだ。

ママ友には、だいぶ気を遣う話題

繰り返しになってしまうが、母乳というのはまず分泌量をコントロールできない。
生んでみるまで出るのかどうかもわからないし、足りているかどうかも実感しにくく、急にでなくなったりもする。

出ない人はもちろん最大に悩ましいが、「出すぎる」というのも困った問題だ。
赤ちゃんの飲む量よりも分泌量が多い人もいて、乳腺炎のリスクが跳ね上がるので、わずかな睡眠時間を削って搾乳して調整したり、痛みに耐えて過ごさなくてはいけない。

外出するにも、胸元が濡れて恥をかかないように、いつも母乳パットの具合が気になるし、胸がはってうまく寝付けないことも多い。
あげく目覚めたら服や布団が母乳まみれで、乳くさくなった大量の洗濯物の処理から一日がスタート…なんて惨事も日常だ。

この「母乳量が思い通りにならない」はめっちゃくちゃ強いストレスなのだが、母乳問題のセンシティブさから、あまり気軽にママ友に詳細を吐き出しにくい。

多い悩みは少ない人に嫌味・自慢と思われてしまうこともあるし、出ない悩みは言葉にすると惨めさや悲しさが高まるので抵抗がある…。
そう、同じ母親だからこそ、その苦しさがわかるから、言葉にするのをためらうのだ。

しかしほとんど24時間頭にある悩みを、わかちあう相手がいないこともまたしんどい。
なので、「安心して弱音と困った出来事を吐き出せる場所」は、やはり父親だけのポジションだろう。

パパの出番は、ここにある。

ここまでは、声のかけ方やコミュニケーションの取り方など、精神的な支え方の話を書いたが、母乳育児当事者として、パパに起こしてみてほしいな、と思うアクションが2つある。

まずひとつは、おでかけ時の授乳場所の調査と確保

「授乳はママの仕事」と線引きしてしまうと、ついつい行動導線から「授乳タイム」がもれてしまいがちだ。
1食くらい抜いても問題のない大人とちがい、赤ちゃんには必ず授乳が必要であり、また、出先でぐずった際にも母乳は有効なので、ここは是非パパに頑張ってみてほしい。

例えば、ショッピングモールに出かけるとき、何階のどのあたりに授乳室があるのか調べておいて、近くのレストランを提案したり、赤ちゃんの授乳時間が近くなったら、近辺に移動しておく、などだ。

無計画に歩いていて、赤ちゃんが泣きだしてから、ママが抱っこしつつ場所を探して移動するのは、大変な上に周囲の視線が痛くて焦ってしまう。

そんな「困った場面」を想定して、リスクを減らす工夫をしてくれると、ママのおでかけハードルもかなり下がり、より休日を楽しむことができる。

新幹線などの座席は、通路から死角になりやすい窓際を予約する。
ママが授乳室に向かうときには、身軽になるように荷物を預かる。
小さなことでも、夫が授乳の工夫を考えてくれることは、本当に大きな支えになるのだ。

そしてもうひとつの大事なアクションは、授乳中の写真や動画を残すこと

これは「絶対にイヤ!」という人もいるかもしれないので、ママの希望を確認してほしいのだが、個人的にはオススメしたい。

赤ちゃんの授乳中の安心しきった表情や、そのまま眠りに落ちていくまどろみの瞬間が、可愛くて愛しくてたまらない、ずっと見ていたいから卒乳が寂しい!というママは多い。

私自身は、授乳にそこまでの思い入れはなかったタイプなのだが、とっくに卒乳した今、授乳風景の写真を残しておけば良かったと、ちょっとした後悔を感じている。

多少の気恥ずかしさがあったので頼まなかったのだが、ある程度離れて撮影したり、角度に気を付ければ、胸が映りこむようなことはないのだし、ベビー服や哺乳瓶と異なり、母乳という育児行為は、子どもが成長してしまうと、何も証拠が残らない。

この部屋で、この椅子で、この佇まいで、さも当然のように、小さい我が子を抱きかかえ、日常の一部として母乳を吸わせていた風景。

子供の顔のアップはママにも撮れるが、ママの全体像を部屋ごと納めた一枚は、自力で撮影することができない。

子供が動くようになると、多くの家庭で部屋のレイアウトやおもちゃの量が変わっていき、赤ちゃんと静かにすごした配置は、再現できないものになる。

後の完全なる子供中心の部屋ではなく、「大人の都合」がまだ強い自宅の一角で、そんな時間があったことを、切り取って残すことも、パートナーのパパだけにできる、尊い仕事だと思う。

嬉しかった、名もなき育児

少し前に「名もなき家事」という表現が話題になった。

料理や掃除のようにしっかり名前はついていないが、タオルを交換したり、シャンプーを詰め替えたり、窓を開閉したり…見過ごされがちだけど、積み重なるとそれなりの負担になる家事行動のことを指しており、夫が思うよりも妻は多くの家事をこなしているよ、という文脈だった。

これは育児にも言えるのではないか、と私は思う。

自分の話で恐縮なのだが、夏の出産だったからか、母乳量が安定する4か月頃まで、授乳のたびに、私は猛烈にノドが乾いた。

それを夫に伝えてからは、座って授乳をはじめると、コップに水を入れてもってきてくれるようになった。
時にはテレビのリモコンやスマホまで、授乳スペース内に届けてくれる。

これらの行為に名前はない。
だけど、本当に本当に、嬉しかった。
私の授乳ライフが少しでも快適で楽しくなるように、夫が自分で思考してくれた行動達は、「母乳育児」そのものだったように感じる。

母乳を出せなくてごめん、などと思わなくていいし、
母乳があってズルい、母乳のおかげで子どもがなついている、などのひがみだって意味はない。

ただ、毎日10回を超えるこの育児行為を、「授乳はママの担当、自分にできることはない」と言いきるのではなく、「家族の生活の一部」として、大事に考えていてくれたら、工夫する意思を見せてくれたら、それはママにもできない、パパだけの母乳育児なのだと、私は実感を込めて言い切りたいのだ。

授乳によって育ったものは、娘の身体だけじゃなく、パートナーを気遣いながら生きていく、夫婦の在り方そのものだったのかもしれない。

私の夫は、育児はなんでもやってきた。
もちろん「授乳」も。

母乳を出すのは私だが、母乳育児は、夫婦2人でのりこえた。

私のツラかったこと、頑張ったことを、夫は知っていてくれて、
夫が駆使した「名もなき育児」を、私は生涯、忘れることはないだろう。

記:瀧波 和賀

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