図書館

父の図書館-知識と記憶の整理法-

コノビー編集部に社内移動でやってきてから、約半年。
「編集」「メディア」「SNS」「出版社」…消費者としてではなく、ビジネス上での対面はとにかくすべてが「初めまして」だった。

自分が今知っている情報は、全体からみて何%なのか、どの程度重要なのか、他のどんな要素と関連していて、どんな時に役に立つのか…。

この半年間で、自分の責任において自走できる業務は増え、新しい情報もいくらかインプットしてきたはずだが、「きちんと理解できている」「ばっちり把握できている」という実感は、実はあまり持てていない。

微妙に完成していない、ところどころ穴あきだらけのジグソーパズルが、頭の中に複数枚点在していて、なんとなくどんな絵なのかはわかるものの、じっくり眺めてしまうと心もとなく、誰かに見せるには、ちょっと恥ずかしい。
そんなスッキリしない気持ちがある。

もちろん、WEBメディアという急速に進化している媒体の性質や、「子育て」という絶対的な正義や正解が存在しないテーマを扱っているのだから、何もかもを筋道付けて理論的に解釈することが難しいのは、承知しているつもりである。
化学や数学の教科書のようには、きれいに整理できないのだろう。

こんな風に頭の中が散らかってくると、いつも思い出す、父の言葉がある。

私の父は、いわゆる「本の虫」だった。
記憶の中にいる父は、自室でも、食事中でも、市民プールのパラソルの下でも、いつでもどこでも文庫本を眺めていた。

確か私が小学校3年生くらいだった頃、
音楽の授業でベートーヴェンの生い立ちを習うことを、ひどく無意味に感じたので、父に疑問をぶつけたことがある。

当時の私に言わせれば、「音楽」とは歌ったりリコーダーを吹いたりすることで、偉大な音楽家の人生や、名曲の時代背景を知ることは、まったく「音楽」らしくない、「音楽の授業」にふさわしくない内容だったのだ。

私の話を聞いた父は、珍しく文庫本を閉じて置き、ゆったりと話し出した。

この時に父が読んでいた本のタイトルは忘れてしまったが、茶色い紐状の栞が挟まっていたことはよく覚えている。
本の半ばからチョロっとはみ出た栞は、まるで「あっかんべー」をしているようだと、9歳くらいの私は思ったものだった。

父曰く、頭がいい人の共通点は、「知識と知識がつながっていること」だという。
学校の勉強は、教える側の都合で「科目」や「単元」に分かれているが、現実世界の知識はそうではない。
「音楽」を深めるには、音楽史やそれを取り巻く時代背景、楽器の原材料や制作方法、声楽家の平均賃金や建物の音響理論も知らなくてはいけないかもしれない。
いつ、どんな場面で役に立つかわからないのが「知識」であって、知識と知識の紐づけが繊細にできている人のことを、僕は「博識」と呼んでいる、というような内容だった。

子供だった私が、うまく咀嚼できていないと感じたのだろう、父はさらにこう続けた。

「頭の中に、大きな図書館を作るんだよ。」

この言葉が、大人になった今も、繰り返し思い出される。

新しくインプットした情報は、背表紙にわかりやすく題名を描いて、
頭の中の本棚に、きちんと戻しておく。
まずは似ている知識同士を近くにおいて、何冊か集まったら、棚に見出しをつけて、もっと種類が増えてきたら、細かい見出しを足していく。

「音楽」の棚に並んでいる、ベートーヴェンやリコーダーの本を「音楽史」「楽器の使い方」「小学校の思い出」と細分化した見出しに分けていき、時には棚自体を移動させる。

すると、「世界史」の棚、「ロマン派」の見出しにも、ベートーヴェンの本が存在し、「外国語」の棚、「嬉しかったこと」の見出しに、「初めて覚えたドイツ語の歌」という本が存在することに気付く。
表紙をめくれば、「喜びの歌」のドイツ語詞が踊っている。

つまり私は、自分の記憶と知識の「司書」になり、検索と蓄積に最適となる、棚の見出しを生涯「編集」し続ける、ということなのだ。

私はこの、父らしい脳内整理の表現が、とても気に入っている。
いつか娘が本当に「編集者」の職につくことを、預言していたのだろうか。

この半年で得た知識、起きた出来事には、まだ上手な見出しはついていない。
そんなときは「今」最適だと思える題名をつけて、同じ棚にしまえそうな知識を意識的に集めていく。そうすると、いつか立派な本棚に、きっとなる。

実際に、20年前この話を聞いたときには「題名のわからない茶色い栞の本」だけだった棚に本が増え、「当時の新刊で栞がついていたのなら、きっと新潮社の文庫本だったのだろう」という推察ができる。
(スピンと呼ばれる紐の栞がついた文庫本を発行している出版社は、現在新潮社だけである)

こうやって、今は穴あきパズルのように思える頭の中が、秩序ある棚に変わったときは、誰かを招待して、ゆっくりと本の自慢がしたい。
すべての本にいつかやってくる、「必要な日」のために、私だけの図書館を今日も編集しているのだ。

きっと父の頭の中にある、ハリーポッターの世界のような、広大で美しく、不思議でワクワクできる、どこまでも特別な図書館に憧れながら。

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