第十一章 暗示とはどんな事か(4)

会長がある肺患者を治療した時、
その患者と会長が向かい合っていた。
患者がゴホンと咳をした、
その時その咳とともに飛び出した痰唾は
ちょうど会長の口中に具合よく飛び込んだ。
しかし真剣になって治療中に会長は
このタンを吐き出しもせず、
また拭き取りもせず
そのまま真剣に治療を続けていてついには、
それを忘れて飲み込んでしまった。
家に帰ってからそれに気づいたが、
すでに5,6時間も経過しているのであるから
「なにくそ、ベッテンコーフェル氏や
エンメリッヒ氏がコレラ菌を飲んだことを思えば、
結核菌など恐れるに足らずだ」
と観念して精神を統一して
これに打ち勝つ観念を作ったのである。
それ以来十一年間なにもなかった。

その後のある日、
自動車で奇禍にあって
胸部を痛めこれが原因でか
胸部に種々の疫病が併発したのである。
これを病者諸氏の参考までに初めから述べてみよう。
 

ところで会長は
生来胃腸病で悩んでいたが
17歳の頃に過度の独学が原因でか
重い脳神経衰弱に罹り
医療は申すまでもなく
あらゆる療法を施しても効果なく、
ついには自殺しようとして
鉄道線路からある人に連れ返されたことさえある。

斯くして
悩み続けている中に
またもや神経痛を併発し
これまた医療は勿論、
療機注射、
鍼灸その他種々の療法を試みたが効果無く
遂に片足が不随になってしまったのである。


今度こそ死のほかにはない
と覚悟してある夜半にそっと起きて
布団の上に座り込んで考えていると
いつとはなしに夢中になってしまった。

その時神が現れて
「病は氣から治るのだ。
貴様は物質の迷信療法にのみ囚われていないで氣から治せ」
という意味をコンコンと説諭された
夢を見たのである。

精神療法等といえば
一も二も無く迷信視して冷笑していた
会長も
この夢によって大いに考えさせれれて、
この時初めて
精神療法を試みる氣になったのである。

早速当時有名な
東京の某精神療法の大家の治療を受けたが効果無く、
次から次にと諸流書式の
精神的治療を試みたが
これまた効果がなかった。

しかしながら
「病は氣から治る」ことは
絶対に信じていた
のである。

そこで今度は
自分の力で治そうと思って
諸流諸式の心身鍛錬法や
静坐法や
精神統一法や
健康法や
自己催眠術や
その他のこれに類似の方法を実行したが
どうしても自分の病は治らなかった。

そこで
もっと容易に
もっと合理的にできる方法を
考案しようと思って
心理学や
生理学等を研究

だんだんと
精神的心霊的哲学的方面の研究に趣味を持ち
この道の研究に没頭して
人からはキチガイ呼ばわりされたであった。

しかし
遂にはそのかいあって
容易に精神を統一して
合理的に種々の病や癖を治す方法を考案

したのである。

斯くして
自殺まで覚悟した
永年の脳神経衰弱も
不随になった足も
胃腸病も
全治せしめたのである。

また好きな酒も煙草も嫌いにしてしまった

かつまた内気な小胆者であったのが
その性質も全然一変してしまったのである。


それ以来は
病や癖で悩んでいる人々が
四方から訪ねてきて
或いは治療を乞い、
また或いは治療方法の伝授を乞うので
遂にやむを得ず
ここに帝国心身鍛錬会を創立して
その道に専門に従事することになったのである。

かくして
まもなく前述の通り肺病患者に治療を依頼されて
その肺患者のタンが口の中に飛び込んだのであったのが、
その後11年間も何事もなく経過したのである。

この頃のある日の事、
自動車で奇禍にあい
胸部を強打したのである。

その後折々痛むので
東京の某病院長なる医学博士の診断を受けた所
「肺病、助膜炎、縦角膜炎、
心臓、腎臓病等である。
乗り物は勿論入浴や談話も禁じ、
絶対安静を要す。
胸部の内部がめちゃくちゃになっているのだから
治療手段がない、
まず絶対安静にして療養して
一日も長く生きるようにする他はない、
しかしいかに手を施しても
二ヶ月は難しい、
万一この病体で二ヶ月以上生きられたなら
当に奇跡である

と言われたのである。

それより博士の薬を服みつつ
療養したのであるが、
どんどん悪化して
喀血する少し動いても激しい動悸が起こる、
寝れば呼吸ができなくなってしまうので、
布団によりかかって夜を明かしたことも
四晩程続いた、

もう死も寸前に迫ったと観念して
遺言状を認めて
何時死んでもよい用意をした。
この遺言状を書いて寝ると
いつになく良い気分で
ぐっすり眠れてしまった。

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