第十一章 暗示とはどんな事か(2)

以上の各例は
自己暗示(または内部暗示)が
有利に作用した実例であるが、
かくの如き威力ある暗示が
これと反対に
有害に作用する時
実に恐るべき結果となるのである。


一例を示せば、
肺病等で死んだ者があると、
その家族や親戚の者や
または親友等はその病を恐れて
「自分もあの病に罹らなければよいが」
と絶えずそれを気にしている。

こうしていると 肺病を恐れる
恐怖観念ができる

この観念が
反射的に「病を製造する観念」を作ってしまう
のである。

そしてこの観念が
心身に作用して、
即ち自己暗示作用となって
生理的機能を悪くする

だんだんと悪くなって
ついには自分にも
その変化の起こったことが感じられてくる。

いよいよ気分は悪くなる。
顔色も悪くなる。
胸のあたりも変な気がしてくる。
喉等も変な気持ちがしてくる。

こうなると
生理的に咳が出たくなってくる。
ゴホン、と咳をする。

こうなるといよいよ
本物になったと思って
悲観する、
懊悩するから
ますます
生理的機能が不完全になってくる

こんな人の身体には
結核菌が住み込むのに
最も好適なのであるから
結核菌は
「待ってました」
とばかりに
どんどん繁殖するのである。

こんな具合に
一人の肺患がでると、
その家族や近親や
親友等の中から肺病に罹る者が、
後から後からとでる実例は
各地に見受けられるのであるが、
これはほとんど
自己暗示で製造する肺病
なのである。

かくあればこそ、
肺患を見舞いに行って来て、
着物を日光にさらしたり、
手足を薬液で消毒したりして
注意に注意をした者が
肺病に取り憑かれて死んでしまって、

肺患で死んだ人の古着をもらって
着ている人は丈夫でピンピンしている、
というごとき実例は
いくらも世間にある事実である。


前に述べた、ベッテンコーフェル氏やエンメリッヒ氏の如く、
コレラ菌でも飲んでしまう勇気があれば、
結核菌など何でもないものである。 

肺病のみではなく、
これと同じ道理で
家族や近親にある病気で死んだり、
または難渋している者があると、
「自分も同じ血統だからあの病に罹るかもしれない」
などと気にしたり
心配したりする、
またそれが伝染病であれば
「自分はあの病人に接近したが病気が感染しなければよいが」
等と心配したり気にしたりする、

こうした想像観念が自己暗示作用となって
想像通りの病を製造する

ものである。

故にそれを気にせぬ者はなんでもない、
例えば赤痢病の子供を
抱き寝て看病していた母親はなんでもないのに、
お隣の娘が赤痢病にかかった、
こういう実例はこれまた各地にあることである。

これらは子供の病を
治したい一心の母親は
気が張り切っているからなんでもない、

これに反して
隣家の娘は
その伝染病を非常に恐れたために、
その恐病観念が自己暗示作用を起こし
生理的機能を不完全にした所に
病菌が入った
から
病菌はどんどん繁殖したのである。

どんな病菌にでもどんな病毒にでも
頑強なる心の持ち主は
決して冒されない
ものである。

然るに
どんな頑強な身体の人でも
恐怖心があれば恐怖観念ができてしまう


そしてその観念が
自己暗示作用を起こして、
病を製造するものである。

肺病を恐れているものは、
肺病に罹った夢を見たり、
または肺病で死んだりする夢を見たりするものであるが、
それは
肺病を恐怖する潜在観念が内意識に作用する
結果である。

故にかくの如き恐怖観念は
一刻も早く除去するべき
である。

然らざればその恐怖観念が作用して
自己暗示で病を製造するものである。

肺病のみではなく
その他の如何なる病気でも
これと同理のものである。

またすでに病にかかっている人が
死んだ夢を見たり、
あるいはすでに死んだ者が迎えにきた夢を見たりするのは
「死ぬ観念」
が内意識に作用する結果である。

こんな観念が心身に作用すれば増々重病となり、
ずんすんと死へ近づくのみである。

故にこんな観念は
速やかに除去せねばならぬのである

これらの有害観念を除去する方法は
第二期で伝授することとする。
なおまた、
一度助膜や肺病に罹ったことのある者は
申し合わせたように
再発を極度に恐れている。

この恐怖観念が自己暗示となって作用するから、
わずかのことが動機となって
再発するのである。

否、再び病を製造するのである

斯くして病人自身は
「とうとう再発した。もう今度は駄目かもしれぬ」
等と想像して
悲観し落胆し懊悩する、
かくして
増々強力なる自己暗示となって
その病を不治より重病へ、
そして墓穴へと
行進曲を続けるのである。

故に再発した病人は
大概は死んでしまうものであるのである。


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