旅行7 「宮古島」
最初の施設には、2月22日からお世話になっていて、翌年の9月から11月に慰安旅行があり、私は9月のグループで宮古島に行きました。
当時はデイケア勤務で、他部署の職員との接触があまりなく、知らない人ばかりで緊張しました。
その年の旅行は、ほとんどが自由行動になっていました。
添乗員もはじめての宮古島だったらしく、珍道中の予感しかありません。
到着して最初に、レンタカー3台に分乗して、昼食でソーキソバを食べにいく予定だったのですが、添乗員さんが、全く機能せず迷いに迷い営業時間ギリギリに滑り込んで、何とか食事にありつけました。
気を付けて取り直して、ホテルに移動しました。
2泊3日の旅行だったのですが、3泊目は台風が上陸する予定だったので、私と旅行で仲良くしてくれていた先輩2人の3人で、2日目は海に行き遊んでいました。
他の職員は海にはきておらず、しばらく遊んでいるときに添乗員さんが海に来て、みんな車で出掛けましたよと、教えてくれました。
「聞いてないよ~!」
それもそのはず、この日は完全フリーでした。
ということは、昼食も夕食も自分達で何とかしなければなりません。
3人とも運転免許をもっていませんでした。
添乗員さんにたのべばいいとお思いでしょう……。
何とか、レンタカーの1台がバーストして使用不可でした(笑)。
今ばらば、ホテルのレストランなどで食事をすればいいと思い付くのですが、そのときは20代気がつきませんでした(笑)。
そしてプチ会議の結果、レンタルサイクルで食べるところを探そうということになりました。
そして、走り出しましたが、どこまでいってもサトウキビ畑しかなく、お店や民間すら見つけられませんでした。
そして、やっとお店を見つけたのですが、そのお店はおみやげ物屋さんでした。
取りあえず、グアバジュースを頼み、結局それがお昼ごはんになりました。
ホテルに戻ろうとしたとき、他の職員から電話があり、そのときに私たちがいないことに気がついたそうです(笑)。
何をしてるのと叱られ、お昼ごはんの心配をしてくれて、買ってから戻ってくれることになり、早くホテルに戻るように、オカンのようなリハビリの先生に言われて、ダッシュで戻りました。
その後、カップラーメンを買ってきてくれて、私たちが昼食を食べていないことを知って、みんなも昼食をとらずに戻ってくれて、ホテルの部屋でみんなでカップラーメンを食べました。
その夜からは、台風の影響で大荒れの天気になりました。
台風直撃なんて経験のない私たちは、数人で買い出しに行き、サトウキビの大きさにビックリし、強風で傘がひっくり返り、その傘をみんなに見せたくて、背中にかくしてホテルに持って帰り、みんなで大笑い。
きっと、翌日は台風の影響で飛行機が飛べないと信じて、着替えを洗濯してまだまだ、みんなで盛り上がるつもりでした。
がしかしです………
欠航の文字が並んでいるなかで、関空行きだけ飛んでいました……。
みんながっかりです。
「機長に、無理したらあかん!考え直せ!」
って言ってこようかなんて、みんな言い合っていました(笑)。
観光もなにもしていないのですが、この慰安旅行が一番楽しく、思い出に残りました。
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