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音楽について(amazarashiの魅力)

ここ数年、私はamazarashiというバンドにはまっている。
ボーカル(ギター)であり、作詞作曲を担う秋田ひろむさんの紡ぐ歌詞、そして曲が魅力的である。ライブには行ったことがないが、彼らのライブ映像では本人の顔は隠され、会場に投影される映像と音楽の演出でこれまた魅力的な空間を作っている。
彼らの曲はいずれも秀逸なのだが、私が好きな曲を少しだけ挙げてみようと思う。

「未来になれなかったあの夜に」という現時点における新曲では、秋田さん自身の過去の体験にも基づいて作られたとされている。
例えばこの部分

 僕の過去の轍を見る人よ
 ここで会うのは偶然じゃないさ
 夢も理想も愛する人も
 信じることも諦めたけど
 ただ一つだけ言えること僕は
 僕に問うこと諦めなかった

そしてもうワンフレーズ
 孤独な奴らが夜の淵で
 もがき苦しみ明日も諦めて
 そんな夜たちに「ざまあみろ」って
 今こそ僕が歌ってやるんだ
 未来になれなかったあの夜に

いろいろな過去があり、夢が破れたこともあったけど、自分自身に問うことだけは諦めなかったから、今があるということだろう。そして諦めなかった俺がざまあみろって歌ってやるんだとくるから、曲全体の中では好きなフレーズだ。

次にテレビアニメの「どろろ」(手塚治虫先生の名作)のエンディング曲だった「さよならごっこ」この曲もわりと新しい曲だが、この中ではこの部分

 別れは何度目でも
 相変わらず悲しいから
 別れるふりをするんだよ
 さよならの遊びだよ
 いつか必ず会えるって
 自分を騙す遊びだよ

この気持ちはすごくわかる。40も過ぎると出会いも別れも幾多に経験してきた。どうせまた会えるしと思いながら別れることがほとんどだけど、結局二度と会わない人が何人いたことか。この歌のように自分を騙して別れを繰り返してきたんだなぁと思う。

今回はちょっと長くなってきたから、最後に1曲だけ。
「フィロソフィー」という曲なのだが、哲学という意味なのだが、この曲の中にはこんなフレーズがある。どこか自分を奮い立たせるフレーズだ。

 死ぬ気で頑張れ 死なないために
 言い過ぎだって言うな もはや現実は過酷だ
 なりそこなった自分と 理想の成れの果てで
 実現したこの自分を捨てることなかれ

 君自身が勝ち取ったその幸福や喜びを
 誰かにとやかく言われる筋合いなんてまるでなくて
 この先を救うのは 傷を負った君だからこそのフィロソフィー×3

彼らの曲のメッセージ性は、曲全体を聴いてこそのところがあるため、今日あげたフレーズだけではわかりづらいと思う。気の向いた人は是非聴いてみてほしい。
彼らの曲の多くが、歌詞が暗くて、鬱っぽくなるものだが、みんな苦しい世界の中でももがき苦しみながら生きていて、だけどみんなが幸せになれるわけでもなくて、先にあのは希望だけではないけど、どこか救われる世界があればいいという感じのメッセージが多い。
彼らのおかげで心が救われた若者は少なからずいるのではないか。
自分は若くないが、やはり彼らの多くの曲に共感し、どこか救われた部分がある。
また、遠くないうちに、amazarashiの他の曲を紹介していきたいと思う。

ではまた。