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週刊金融日記 第211号 小中高公立で子供の教育費を大幅カットしながら学歴社会で勝つ 実践編、日米金融政策に注目、新橋のガード下で牡蠣三昧、歓迎される失敗と許されざる失敗、他

// 週刊金融日記
// 2016年4月27日 第211号
// 小中高公立で子供の教育費を大幅カットしながら学歴社会で勝つ 実践編
// 日米金融政策に注目
// 新橋のガード下で牡蠣三昧
// 歓迎される失敗と許されざる失敗
// 他

 こんにちは。藤沢数希です。
 すっかり温かくなってきましたね。そして、来週からはゴールデンウィークです。月曜日と金曜日を休めれば10連休ですけど、そうでないと3連休止まりですね。会社員の方はしっかりと休んでください。フリーランスの方は、ゴールデンウィークは働きどきでしょうね。
 連載中の『ぼく愛』コミック版が発売されています。今月号では、わたなべ君が街に繰り出しております。

『アフタヌーン 2016年06月号』 
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 橘玲さんの新作について書評を書いたのですが、もうすぐアップされると思います。犯罪や知能と遺伝の関係など、面白いトピックが網羅されています。

『言ってはいけない 残酷すぎる真実』橘玲
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 今週も読者からの投稿が盛り沢山です。見どころは以下のとおりです。

―子供が公立小学校に通っていますが授業中に同級生が騒いでうるさいそうです
―入籍日直前に結婚を破談にしようか迷っています
―アジアにいるのですが狙っている女の子がお酒を飲めません
―いい感じだったのですがホテルがなかなか見つからずゴールを逃してしまいました

 それでは今週もよろしくお願いします。

1.公立小中高で子供の教育費を大幅カットしながら学歴社会で勝つ 実践編

 日本の公立小学校や公立中学校、そして、公立高校は実際のところ大変優れている。もちろん、ほとんど無料の教育機関としては、だが。また、市場原理の中で生き残ってきた日本の塾の教育力も、とても素晴らしいものがある。PISAなどの国際的な学力調査では、日本の子供の学力は世界の中で常にトップクラスで、世界中の国が日本の初等中等教育から学ぼうとしてきた。そして、日本のこれらの教育の大部分は私立ではなく、公立で担われているのだ。
 一方で、日本の大学以降の高等教育は、何の研究業績がなくても終身雇用を約束された教授のレジャーランドと化しており、学生は高い金を払っても(学費を払うのは親だが)ほとんど付加価値を付けることなく卒業していく。また、企業側も日本の大学は教授のレジャーランドだとわかっているので、そこでの教育に関しては期待していない。就活では、入り口の偏差値により学生の事務処理能力が測られる。そして、大学時代には、サークルやアルバイトや海外旅行などの多様な経験をして、社会人になる準備をするとともに、4年間のロングバケーションで英気を養った協調性のある学生が企業に採用されるのだ。このように社会が大学の教育に期待していないので、大学での教育はますます質が低くなっていく。そして、ますます学生は大学では勉強する意味を見い出すことができなくなり、サークルやアルバイトに励む、というわけだ。大学を卒業するころには、日本人の学生の学力は他の先進国にあっさりと抜かれている。このような悲惨な日本の大学教育の現場から、何かを学ぼうという奇特な国は、世界中を探してもどこにもない。
 じつは、世界的に評価されている日本の高校までの初等中等教育と、まったく世界から評価されていない日本の大学以降の高等教育は、ひとつのコインの表と裏の関係なのだが、そのことに気がついている識者は意外と少ない。

 日本の高校までの教育が優れているのは、擬似的な市場原理が働いているからだ。教育の成否は、難関大学に何人合格させたかで測られる。私立中高一貫校などは、どこの学校もホームページには、東京大学〇〇名合格、国公立大学医学部△△名合格、と誇らしげに載せている。関西の高校なら、京都大学◇◇名合格、などとやはり掲げられている。地方の名門公立高校は予備校化しており、その地域の中学からかき集められた偏差値の高い子供に、高2までにカリキュラムを終えさせ、高3で大学入試に向けて勉強させている。そして、同じく、▽▽大学(その地域にある旧帝国大学など)の合格者数を競っている。東大・京大・国公立医学部は金メダル、他の旧帝大や東工大、一橋、早慶などの難関大学は銀メダル、その他の有名難関大学は銅メダルである。
 資本主義社会がたいへん素晴らしいのは、金の多寡という単一の指標で、物事の善し悪しが決まるということである。どんなに立派な経歴の人物が作ったビジネスモデルでも、実際に金が稼げなればゴミ扱いだ。人は金の下に平等なのであり、数字は人格であり、この世界では人格は数字に表れることになっている。そして、この金という判断基準があるので、普遍的な価値観やモラルが醸成され、そこに規律が生まれる。競争原理が働き、絶えずより効率的な金の稼ぎ方を求めて人々が邁進することになる。こうして資本主義社会はどんどん豊かになっていくのだ。
 会社にとってのボトムラインは利益だが、日本の高校までの教育のボトムラインは難関大学合格者数である。会社で利益が減れば何が悪かったのかをみなが考える。経営者が悪いとなればクビだ。利益が増えたら何が良かったのかを考えて、強みをさらに伸ばしていく。みなが金という基準で物事の善し悪しを判断できるので、絶えずPDCAサイクルが回り、競争に勝ち残る企業はどんどん洗練されていく。あるいは、洗練された企業が競争に勝ち残る。学校や塾も同じように、難関大学合格者数=金と見なし、絶えずPDCAサイクルを回している。今年は、東大の合格者数が減ってしまった、何が悪かったんだろう……。生徒の模試の成績を見ると、どうやら英語が弱かったようだ……。新しく雇った英語の教師のやり方がダメだったんじゃないか。よし、彼を校長室に呼んで詰めてみよう!というわけだ。偏差値を上げられない高校教師は、売上ノルマを達成できない証券会社のセールスと同じだ。
 この擬似的な市場原理が働いているから、世界的に見ても、日本の初等中等教育や塾の質は高いのだ。資本主義社会で重要なことは金の価値が安定していることだが、日本の高校ではこの擬似的な通貨の価値は極めて安定している。東大はいつでも金メダルである。最近はたくさんの予算の割にはぜんぜんノーベル学者を出していないから、扱いを銀メダルにして、名大辺りを金メダルにしよう、とはならない。大学間のヒエラルキーが固定されているのだ。だからこそ、日本の高校以下の教育は、明確な数値目標を持って、PDCAサイクルを回せるのだ。社会に出たら金が人格を表すように、高校生までは偏差値が人格を表す。難関大学にたくさん合格させる高校は、豊かな人間性を醸成する素晴らしい高校だと見なされ、そうした高校の教師もまた人格者となる。
 逆に言えば、大学にはカリキュラムを改善したり、講義を面白くしたり、これから伸びそうな分野の研究室を増やしたりするインセンティブがない。日本では大学の価値は、入試の難易度で測られるからだ。何をやっても序列が変わらなければ、何もせずに楽をするのが一番だ。こうして教授たちのレジャーランドが誕生した。日本には大学間競争がないのである。残念ながら、共産国家のソ連が滅びたように、競争がない日本の大学は淀む一方だ。これがひとつのコインの裏側なのだ。

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