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様々なポジショニング

こんにちは(^^♪

いろんな方の影響を受けて久しぶりに書いてみたいなと思いました

今回のテーマは「ポジショニング」です

ポジショニングはあらゆる分野で使われる専門性の高い用語で少しググるとこんな説明がでてきます

ポジショニング(positioning)
① 適当な場所に置くこと。位置を定めること。
② スポーツで、攻撃や守備などの態勢の適切な位置どり。

僕はサッカーファンとして、視覚障がい者(弱視)として、この2つの観点でポジショニングを語ってみることにします

実はスポーツに置いても日常生活においてもものすごっく大切にしていることがポジショニングからわかります


サッカーにおけるポジショニング

現役のプロ選手にとっても、指導者にとっても、もちろんサポーターにとっても、サッカーを語るうえで「ポジショニング」は永遠のテーマのひとつでもあると思っています
サッカーにおける「ポジショニング」とは、自分がボールを持っているかいないかにかかわらず、どの位置にいることが最善なのか、あるいはどう立ち位置を変えることでプレーの選択肢をより増やせるか、それは攻撃でも守備でもそれぞれの立場でプレーを検証・分析する上でとても重要なことだと僕は考えています
細かいことを言うとほんとにキリがないけど、例えば自分がピッチのどこでどんな体の向きでどこにボールをトラップしたら次は味方や相手がどう動くかをイメージして…というふうにひとりの選手のボールの受け方ひとつひとつが結果に繋がっているのがサッカーなのです
もしAI技術がいまよりもっと発達していくと、ゆくゆくは最適な「ポジショニング」がデータ化されていくのかもしれない

いまこの「ポジショニング」について明確な正解を持っている人は世界にひとりもいない
「いまのポジショニングは90%ぐらい正しいかな」
「いまのポジショニングだと20%ぐらいかな」
こんな具合に「ポジショニング」に100%の正解もなければ0%の間違いもありません
ただ外から客観的に連続するプレーをみたときにおこったことを説明していくと、その過程で「誰のポジショニングが良い・悪い」が議論され、もっとこうポジショニングしたら良かったのではという解決方法を誰もが見つけ出そうとする
その導き出した答えがとても多様であり、見る視点や立場によっていろんな考え方ができるのがサッカーの面白いところです
これは数億手ある選択肢の中から勝つための最善手を探っていく将棋とかなり似ていますね

僕自身がサッカーで選手としても観戦者としても大事にしている「ポジショニング」だけ伝えます
まず僕が選手の場合は自分のスキルやテクニックをじゅうぶんに理解したうえで自分がどこにいたいかを優先します
たぶんこれはただのワガママなんですが、味方にとっていてほしい場所が違っていたとしても、僕は自分のプレーを発揮するためには自分のテリトリーでチャンスを探らないといけません
現代サッカーはピッチを広く動き回る選手が貢献度が高いと称賛されるけど、その選手が本来の特性を活かすために必要なのは自分のテリトリーを把握することと、その範囲内で「ポジショニング」を考えて味方をサポートし相手と駆け引きをすることが大事で、そういう意識がピッチ上の全員に必要なんじゃないかと思っています
これが自分がやるべきこととできることを実行する最もシンプルな共通認識になるので、選手たちは自分だけでなく多くの選手との視点やイメージを共有できないといわゆる「良いサッカー」はできないんだと感じますね

はい、けっこう難しいお話してしまったので脳が爆発しそうになったらいったん休んでポッキーでも食べてくださいね(^^♪
おそらくサッカーに情熱的でないとナニ言ってるかわかんねー!って内容です
とにかくサッカー談義なんてしたときに「ポジショニング」の話になったら終わりがないぐらい深いテーマなので半端な覚悟じゃ踏み込めない世界だ
ただ進化した現代サッカーは「ポジショニング」が試合の勝敗を左右するほどに重要だということが伝わればいいかなと思います


視覚障がい者(弱視)にとってのポジショニング

こっちが僕にとっては専門というか、生まれつきの弱視なのでほぼ人生のすべてです
弱視とは視力や視野が著しく欠けたりしていて目が見えづらいことを言います
よく「眼鏡とったら俺も見えんよ!」という一般人がおられますが眼鏡かけたら見える方は障がい者とは言いませんし弱視とも言いません
僕の場合は数十センチ先までがはっきり見えて比較的中心部分しか見えてなくてあとはモザイクのごとくぼんやりしている感じですね

さて弱視にとっての「ポジショニング」とは何かをお話しします

例えばみなさんは、初めて行く建物の広い部屋に入って「部屋の中央に立ってください」って言われたら特に意識しなくても「あ、はい」と返事してスタスタ歩いて行けますよね?
それはパッと見て視覚から部屋の広さや形と奥行き、さらには障害物となる机や椅子があるかないかを目で見てどこが部屋の中心なのかを頭で理解できるからです
僕たち弱視が部屋の中心に行くためにはまず入り口を入って壁つたいに1周して部屋の広さや形を記憶した後、さらにぶつかる柱や物がないかを慎重に確認しながら歩いて、ようやく部屋の中心はここらへんだなと見当づけるわけです
弱視の度合いは人それぞれなので全員がこうなるわけではないですが、見える範囲が少ないということは自分が近づくことでちょっとずつ見たり触ったりしながら全体を感覚で把握する必要があります
これがまず視覚障がい者にとっての第一の「ポジショニング」
目の見えるみなさんにわかりやすく想像してもらうために極端に言うと、初めて行く部屋でしかも夜に電気もつけてない真っ暗な部屋だった場合に「真ん中にどうぞ」と言われても無理というか怖いですよね
それと同じで視覚障がい者はパッと全体が見渡せないぶん恐怖や不安を感じます
なので些細な事でもひとつひとつ慎重に確認していかないと思わぬトラブルが起こってしまいます
そして視覚障がい者にとってはその確認したことすべてが記憶として自然と頭にインプットされていきます
一度訪れて確認した部屋ならば、翌日や翌月にまた来た時には感覚が記憶されていますので、よほど部屋を模様替えしたりイジワルでもされてないかぎりはスッと部屋の中心に行くことができるでしょう
こうやって僕たち視覚障がい者にとっては「経験」と「記憶」が蓄積されることによって日常生活が成り立っています
もしこの世界が毎日ランダムで変化するダンジョンのマップだったらたいおうのしようがないですね
でもありがたいことに世界はそう不気味に一瞬にして変わることがないので、日々の生活の積み重ねて得た情報を武器にいろんなことをやっていくのです
弱視でもわりとふつうに見えてるように思われることがあるんですが、それは経験と記憶が補助してくれてるだけであって、実際はほんとに目で見ているわけじゃなかったりします
そんなわけで僕たち視覚障がい者の「ポジショニング」とは、まず自分がそういう立ち位置かを知るためには、自分のいる場所がどんな場所かを歩いたり触れたりして把握して、次に存在する物体や人がどこにどれだけあるかをイメージし確認すること
視覚障がい者というのは基本的にこの作業の連続で日常をおくっています

余談ですが僕は人で混雑している場所であまり人とぶつかることはありません
縦横無尽に人が行き交う場所でなぜかと言うともちろん人が僕の事を避けてくれる部分も大きいんですが、スピードとリズムを微妙に変えて歩いています
人と同じペースで歩こうとすると視覚の誤差でぶつかりやすいので、自分が人の流れが速いと感じたらそれより少し遅く歩くし遅いと感じたら速く歩くということです
幼いころからそうしているうちにリズムの違いで生まれる時間差を自分で作ることで緊急事態で体が反応するようになったので、仮にぶつかりそうになってもキュッと止まったり避けたりすることもかなりできます
それでも死角から何か飛び出してきたり透明なものについてはビックリしますけどね

あとこれも余談ですが「ポジショニング」についてです
弱視だと常に周りと自分との位置関係を意識しがちになるんですが、例えばスーパーに買い物に行くとしましょう
家族での買い物ならショッピングカートを使って店内を歩き回ることが多いです
「このショッピングカートが常に邪魔にならないようにどう置くべきか」
極論を言うとハッキリ言ってショッピングカート自体そもそもでかいので狭い店内のどこにあっても邪魔なんです
でもやっぱりなるべく迷惑かけたくないという想いから、人の少ない場所を見つけてはショッピングカートと移動してます
主婦のみなさんは野菜やらお肉やら売り場で非常に悩まれていて自分のショッピングカートが邪魔になっているのにまったく気づいていませんよね
でもちょっと気を利かせて「ここは横にしたらいいかな」「ここは左側に置いたらいいかな」「あの角にちょうどカートがおさまりそうだな」と意識してみると周りの人にとってもスムーズな買い物になると思って僕は自分なりに「ポジショニング」してます
レジに並ぶときも自分なりにですが工夫はあります
混雑してるとレジから商品棚のほうまで列がのびるなんてよく出くわす光景ですよね
僕は縦一直線に並ぶとレジそばの通路が通行できなくなって迷惑になると思っているので、並ぶときはあえて前の人の真横か斜め後ろに並ぶか、一直線にならざるをえない場合はあえて前の人と距離をとって通行人が横切れるように並んでいます
僕はよく見えてないですけど、レジ前通路がぐちゃぐちゃしてて迷惑そうにしてる人のオーラをよく感じているので気を付けてあげないといけないなと思ってこう「ポジショニング」しています

こんなふうに視覚障がい者であるからこそ自分のためだけでなく他人の立場から「ポジショニング」を考えて自分の世界を広げていくことが大切なんだろうなと感じる毎日です


視覚障がい者にとってのポジショニング(番外編)

番外編なんて意味ありげにするほどのことじゃないけど上で書いたことを少し視点が違うので分けてみることにしました
僕は見える人の感覚がわからないのですが、みなさんは物と自分との距離感ってどれぐらいありますか?
例えば僕はいまこれをパソコンで書いてますが、パソコンのマウスの場所っていちいち見ますか?
僕はそこにパソコンがあればその画面の右側に手を伸ばせばマウスがあるだろうと勝手に思い込んでいます
左側にはエアコンのリモコンがあって、スイッチの並びも覚えてるので観なくても操作できます
ただ、あるときいつもどおりに手を伸ばしてもマウスやリモコンがちょっと遠く感じる時があるんです
それが不思議でなんでかなと考えて、家族に聞いてみると「あ、さっき机の上拭いたから動かしたんやわ」とか言われるんです
ようは手を伸ばした時に触れる感覚が違うだけでその者が動いたかどうかはわかるんですよね
神経質な人が机のペンが1ミリ動いただけでみて気づくって聞いたことはありますが、視覚障がい者は普段から使ってるものがわずかでも動いてると触れる距離や角度や温度で「いつもと違う」というのに気づくことが多いです
こんなところでも経験や記憶の蓄積と重なる部分かもしれません
視覚障がい者にとって物体の「ポジショニング」というのは実はGPSより精密に位置以上の情報を持ってるのかもしれませんよ



以上、様々な「ポジショニング」について書きました

僕の文章力でどれだけ伝わるか心配ですが…

たぶんもっと違った視点で語れる「ポジショニング」が人によってたくさんあると思うんです

僕もサッカーで「ポジショニングが~…」なんてよく言いながらポジショニングってなんだろうって考えだしたのがこれ書いたきっかけです

結論として共通してるのは自分のためのポジショニングと誰かのためのポジショニングが両立してはじめて「良いポジショニング」って言われる気がしますね

うん、たぶんそうなんだと思う(自信ない)

僕はいま人生のポジショニングに悩んでいますね

自分がこの先、どうやって世界に関わっていくべきかを日々考えています

春が近づいてきてなおさら何か新たなことができないかと勝手にワクワクしています

そんなことを考えながらサッカーとツエーゲン金沢を応援しています

ツエーゲン金沢にだって春はやってきます

石川県にだって春はやってきます

石川県を元気にするためにみんなで頑張りましょう!

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