8度の自然気胸を経験した私が語る気胸のリアル

皆さんは自然気胸という病気をご存知ですか? 気胸経験がまだ少ない人や全くない人はこの記事を見て、自分の症状が自然気胸であるのか、手術をした方がいいのか、などの参考にしていただければと思います。もちろん気胸経験の多い方にも新たな発見があるように(そんな発見をしたくはない)詳細に書いていくつもりです。 8度も経験したことのある著者だからこそわかる気胸患者の"リアル"を書いていきます。

・気胸との出会い(1回目/左)
何事も初めては怖いものである。

最初の気胸は高3の夏休みであった。受験生にとって最も重要なこの時期に気胸になってしまったのである。

それは突然やってきた。

夜、いつものようにシャワーを浴びているといきなり胸に激痛が走ったのである。まっすぐ立っていられないくらいの痛みですぐにかがんで呼吸が楽にできる態勢に切り替えた。この時は気胸の存在を知らなかったため心筋梗塞か何かで死ぬんじゃないかとも思った。とにかくすぐに風呂を出て楽な態勢を取った。体操座りのような姿勢でいれば何とか息はできたためしばらくその姿勢でいたがもう寝る時間も近づいていたので横にならなければならなった。

ここで怖かったのはこの原因がわからないことだ。無知とは恐ろしいものである。

その時丁度エナジードリンクを飲んでいたのでそれが胸に響いたのかとも思っていた。とにかく寝たら少しは落ち着くのかと思い、とりあえず寝た。

しかし、次の日起きてみるとまだ余裕で痛い。これは呼吸が苦しいレベルで放っておくとやばそうだったので病院に行った。

すると、自然気胸と診断された。当時はなんだそれ?という感じであったがナイナイ矢部がなった病気と聞いて少しピンときた。気胸の程度は軽度であり自然治癒できるレベルとのことで手術や処置は特になかった。初めての気胸だったため軽度でも痛みが強く感じられたのだろう。

2週間ほど経つと楽になり、肺の膨らみも無事戻った。これが最初の気胸体験であった。

・気胸の再発(2,3回目/左)
気胸は再発しやすい病気である。

一度なると3割ほどで再発し、一度再発すると8割くらいの確率でまた再発するらしい。

手術をすればその確率は7%(玉川気胸センターは3%)程度になるが。

2回目と3回目に関しては原因が全く分からない。

ただ座っていたらある瞬間を境にしていきなり肺に穴が開いたのである。

これはどうしようもできない。気胸は運動などとの相関がはっきりしていないらしいが全くその通りである。

2回目と3回目はいずれも軽く痛いくらいであったため、病院には行かず、自然治癒に任せた。

いずれも2週間ほどでよくなり、ここまでは気胸といっても自然治癒するものだという認識でしかなかった。

・初めての手術(4回目/左)
とうとうやってしまった。重度の気胸である。順に説明していこう。

3月末、仮面浪人の方の記事からも分かる通り4月からいよいよ大学生になるという時期である。この重要な時期にやってしまったのである。

忘れもしない、3・29事件。

地元の友達と春休みということで久々に会い、その夜に回転寿司へ行く予定であった。

しかし、思いのほか早く回転寿司の予約を入れてしまいその回転寿司店まで少し距離があったため走らないと間に合わないくらいであった。その回転寿司店はかなり混むため何としてもその予約の時間を過ぎるわけにはいかなかった。そのため、結構なスピードで走ってそこへ向かった。

これが全ての始まりである。

その夜、帰宅していつもと同じようにシャワーを浴びた。

すると、初めて気胸になった時と全く同じ痛みに襲われた。

しかし、今回は初めてではなかったため、前ほどの恐怖はなかったし前回はあんなに痛かったのに軽度だったから今回も呼吸はかなり苦しいがまあ大丈夫だろうと比較的落ち着いていた。

ここでふと思ったのは初めてなった時もシャワーを浴びる前少し走っていたから気胸は走る→シャワーの流れでなりやすいのだろうかということだった。

まあとりあえずその日はすぐに寝て次の日様子を見ることにした。

次の日起きてみるとまあ痛い。背中を曲げてかがんだ状態になっていないと息ができないくらい苦しかった。

が、慣れというものは恐ろしいものである。無知も怖いがそれと同等に慣れも怖いものである。

前回もこんな感じだったから、とその日は病院に行かなかった。

病院に行かない理由に慣れももちろんあったが、その日に大学生活のためのパソコンが届き、そのセットアップを行う必要があったからである。パソコンのセットアップは座った状態で行うことができ動く必要もないので気胸で肺に穴が開いていてもなんとかできた。

こうして、痛みに耐えながらもこの日を終えることができ、もう少し様子を見ることにした。

痛みに耐えながらパソコンのセットアップを行った翌日、私はいったいどうなったのか・・・

次の日起きてみると、全く痛みが和らいでいないことに気が付いた。これでは日常生活を送ることができず、さすがにやばいと思い、病院に行った。

レントゲン結果は衝撃であった。

なんと左肺の80%がしぼみ、左肺がほとんどなくなっていたのである。

最初、レントゲンを見せられた時は肺の境界線があまりに下にあったのでこれは肺が下からしぼんでいる(つまり20%ほどしぼんでいる)のかと思った。

が、違った。上からしぼんでいたのである。片肺がない状態でよく昨日一日生活したなと思った。そして、すぐにこう言われた。

緊急入院です。と。

いや待ってくれ、今日は3/31だ。

4/1から大学が始まり、4/4には入学式がある。

そんな、いきなり休んだら大学生活出遅れてしまうじゃないか、そんな気持ちであった。

何としても入学式には出させてくれ!と懇願したら3/31入院4/1手術4/2退院という恐らく気胸患者史上最も短い入院日程が提示された。

これは凄い。

それならなんとか入学式にも間に合う。入院の決意もできた。

入院の詳細を書こうと思うのだがこの後実はもう一度もう片方の肺の手術をすることになる。最新の手術の方が記憶に新しいためそちらで気胸手術のリアルを書いていくことにする。

・安堵からの気胸(5回目/右)
左肺の気胸手術を終え、もう気胸とはおさらばだと思っていた。

だがしかし、4月に気胸手術を終えてからたった2ヶ月、今度は右胸に違和感を覚えたのである。過去4回も気胸になるとこの痛みが気胸なのかどうかは分かるようになってくるものである。今回も気胸の痛みであった。

そして今回のも原因は不明であった。普段の生活中に突然肺に穴が開いたのである。

左が終わったかと思ったらすぐに右か・・・と左の再発時よりもショックが大きかった。ただ、症状としては自然治癒できるレベルだったので2週間ほど痛みはあったものの (これも嫌ではあるが) 回復することができた。

・物理的な気胸の再発 (6,7回目/右)
タイトルにもある通り、今回の気胸の再発は原因不明の突発的なものではなく、はっきりとした原因があった。それを6回目、7回目と順に紹介していこう。

6回目の気胸は前回の気胸からまたしても2か月後の8月であった。所属していたサークルでのイベント準備をしていた時である。

イベント準備には荷物運びがつきものであるが、その荷物運びの際、事件は起こったのである。

たまたま、30kgほどはある吸い殻入れを動かさなければならない機会が訪れた。持ち上げて運ぶことは困難なので引きずって運ぼうとして力を入れたその時であるー

ズキッとあの痛みが訪れたのである。

ここで私は学んだ。気胸持ちは重いものを持つのがダメだと。これまでは突然気胸が降りかかるようなことが多かったので原因ははっきりしないと思い込んでいた。

しかし、今回のように肺に強い物理的衝撃を加えると穴が開いてしまうこともあるのである。

そして、右肺も再発してしまったのでこれで次の再発率が大幅に上がってしまうことが確定した。気胸の再発率は一般に30%と言われている。しかし、一度再発してしまうとその後にまた再発する確率は80%にまで上がるのである。

そしてあっという間にその時はやってきた。またも2か月後。10月である。この年はとんでもない年だ。4,6,8,10月と2ヶ月おきに気胸になっている。

そしてこれもまた物理的要因によるものであった。

人はすぐに油断してしまう生き物である。前回肺に物理的衝撃を加えれば気胸になることを学んだというのにまたしても衝撃を加えてしまったのである。

たまたま、縄跳びをする機会があった。自分は昔縄跳びが結構得意であったため、調子に乗っていろんな難しい技をやっていた。後ろ交差二重跳びに挑戦していた時に事件は起きたのである。

交差跳びの時点で肺を締め付けるような形になるので危険なのにそれを後ろ向きにしかも二重跳びでやってしまったのである。今回の痛みは尋常ではなかった。軽度の痛みで自然治癒できるレベルではないことは経験上すぐに分かった。少なくとも中度の気胸ではあった。

これはやばいと思ってしばらくうずくまり、楽な態勢でいた。

すると、これは自分の気胸史上最も謎であるが、しばらくして痛みが消えたのである。しかもほぼ完全に。その所要時間わずかに15分ほどであった。

これまでは一度気胸になると軽度でも2週間ほどは痛みが続いたというのに (一般的にもそうであろう) 今回は症状が重かったのにも関わらず一瞬で痛みが消えた。なぜだろうか。この理由が分かったらまた記事に書きたいと思う。

ただ、絶対に肺に何かしらの悪影響が出たとは思ったので、次に気胸になったらどんな程度でも病院に行こうと思った。

しかし、これを機に次はなかなか訪れないのである・・・

・1年ぶりの気胸、そして手術 (8回目/右)
 前回の気胸から1年が経過しており、もう再発はしないだろうと考えていた。しかし、その時は来てしまった。

11月上旬

寝不足が続いていたからか、右肺に違和感を感じる。ただ、まだ気胸かどうかも怪しいくらい。しばらく気にしていなかった。

11月中旬

痛みがやや増し、自然治癒できるレベルの気胸と判断。ただ、そのレベルでも1年以上ぶりであったためショックではあった。

11月下旬

自転車通学の影響により、気胸が悪化、軽度から中度に変わったと予感するも自然治癒を信じてその後安静にしていた。しかし、数日たっても痛みが治まるどころか増していたため、入院を覚悟で病院へ。案の定中度の気胸で入院。

しかし、病院の都合ですぐには手術ができないことや試験が近かったこともあり、胸腔ドレーンよりも一回り小さい携帯型の管を肺に入れる処置で1泊2日で退院。その後の肺の膨らみも良好であった。

が、いざその管を抜くという日に肺がわずかにしぼんでいることが発覚。管も抜けず翌週に再び入院、手術が決定。

入院1日目

この日は手術の説明を聞くくらいで特に何もやらなかった。

入院2日目

14時から手術の予定であったが3時間前倒しの11時での手術となりあまり心の準備ができていない状態での手術となった。

手術については少し詳しく書いていく。

手術

手術は二回目だったため、漠然とした手術に対する不安のようなものはなかった。

が、手術開始予定時間が3時間も早まるとなるとさすがに心の準備ができていない。12時くらいまでブログの設定をいろいろとしてその後1時間ほど手術への気持ちを作っていこうと考えていたのに早くも11時に呼ばれてしまった。時間を変えることもできないのでおとなしく手術室へ向かった。

手術室に入室すると早速手術用の帽子をかぶせられ、いよいよ自分が手術されるのかという気持ちになってきてやや緊張し始めた。そしてすぐに横になるよう言われた。

ここで手術前日にリクエストしていた有線のことを思い出した。耳を澄ますとリクエスト通りの落ち着いた曲が流れていたがリラックスできるというよりかはお葬式のような雰囲気になってしまっていたので有線を自由にリクエストできる場合はできるだけ明るめのポップな音楽にすることをおすすめする。

さて、まずは全身麻酔の前に背中の麻酔、痛み止め注入から始まるわけだが(1回目の手術の時はなかった)これが猛烈に痛かった。まず、麻酔を注射されるわけだが、これがものすごく痛い。注射直後、痛みが背中にじゅわっと広がる感じだ。

そしてその麻酔をした後に術後の痛み止めを入れるための管を背中に入れていくわけだがこれもまたものすごく痛い。しかも研修生がやっているのか知らないが固い~とかのんきなこと言って全然奥まで入らない。そしてこっちは必死に痛みを我慢しているというのにのんきに入らない理由を分析し始めた。そんなのいいからさっさと入れてくれ。そんな気持ちでいた。

その後も何度も失敗し、痛みとともに怒りもこみ上げてきた。そしてその後、わき腹が痛くなったら教えてくださいと言われたが、ドンピシャにわき腹が痛くなったため、すぐに言った。

すると途中まで刺さっていた管をいったん抜いて再び猛烈に痛い麻酔を打たれた。おかしい、最初に麻酔を打っているはずなのに余裕で痛い、、どうなっているんだ。そして再び管を入れるも相変わらず固いな~と言いながら全然入らず何度も抜き差ししてそのたびごとに全然効かないくせに痛い麻酔を打たれ全身麻酔前に全体力を使い果たしてしまった。

そしていよいよ全身麻酔のステージに突入した。

背中の麻酔で全体力が消耗されたため、その後の全身麻酔の点滴は30秒ほどで目が開かなくなるくらいになり、1分ほどで完全に眠ってしまったと思う。

正直、痛みがひどすぎて早く眠って楽になりたかった。

全身麻酔はさすがによく効き、ここだけが唯一楽であった。

そして前の手術の時もそうだったがなぜか自分は全身麻酔から覚めるのが早いため、完全に手術が終わり、ベッドの上でゆっくりと目を覚ますということがない。いつも、手術は一通り終わっているもののまだ手術台にいる時に目が覚めるのである。

今回は丁度手術台からベッドに運ばれるところで目が覚めた。

前回の経験から、全身麻酔から覚めた直後は鼻から息をすることができないことが分かっていたため今回は覚めた直後は口呼吸でやり過ごした。しばらくして鼻と口を覆う呼吸補助具のようなものがつけられ、鼻からも息をすることができるようになった。

そして疲れからか再び眠り病室のベットで目が覚めた。

目が覚めてまず思ったのは尿道が痛いということである。全身麻酔の際は尿道カテーテルを入れられるのであるが前回の手術の時はその痛みがなぜか全くなかった。が、今回は激痛であった。何よりも下が痛い。早く管を抜いてくれ、そんな気持ちであった。

その後30分くらい管が入っていることへの痛みに苦しんだが、痛み止めも効いてきたのかその痛みは治まった。

しかしここから彼の本当の地獄が始まるのである。

尿道の痛みも落ち着き、ふう、と落ち着いていられるのも束の間、すぐに強烈な吐き気がやってきた。

これは背中からの管の痛み止めの副作用らしい。

あまりにも気持ち悪かったため寝てごまかそうとしたが、気持ち悪すぎて眠れるはずもなかった。3分くらい寝て起きてを永遠と繰り返していたような気がする。

何がつらいかって、もちろん手術をした胸のあたりも痛いから動くことが全くできずに同じような姿勢を保たなければならないという苦痛の上に吐き気が重なっていることである。

まさに生き地獄であった。

時計を見ることもできない、今何時と聞く声を発することもできない、そんな状況であり、後自分が何時間この姿勢を保ちつつ吐き気に苦しまされなければならないのかわからない。かなり苦しい状況であった。

吐き気はもちろんであるが同じ姿勢を続けていることに限界が来たため、ベッドを起こしてもらい態勢を変えた。恐らくこの時点で手術が終わり病室で目が覚めてから3時間は経過していた。

なぜここまで態勢が変えられず吐き気止めを要求することもなかったかというとナースコールを呼ぶ気力もそばにいた親に話しかける気力も残っていなかったからである。3時間たってようやくその気力が少し出てきたのである。

そして態勢を変えたことによって楽になったかと思ったらまた束の間、今度は吐き気がさらに強くなり、5分に1回くらいのペースで吐いていた。ただし食べ物は食べていないため物は出てこないのが幸いではあった。

吐いても吐いても気分はよくならない。

吐き気止めは投与したばかりでまだ投与はできないとのことでありその後しばらく吐き気と戦っていたが死にそうであった。

結局、背中からの痛み止めを弱くし、それでも変わらないので完全に痛み止めを止めた。痛い思いをして背中から管を入れたのに結局すぐに止めてしまった。あれはなんだったんだ。

それでも吐き気は治まらず最終的に座薬まで使った。その後しばらくして、それでも結局17時から19時半くらいまで、約2時間半強烈な吐き気と戦っていた。

そしてようやく吐き気が落ち着いたと思ったら束の間、今度は痛み止めを止めたために強烈な痛みに襲われた。

これまでももちろん痛みはずっとあった。が、それは吐き気のインパクトに消されるほどの耐えられる程度のものであった。

しかし、それがとても耐えられるものではない程度になったのである。どれ程かというと説明するのは難しいがイメージとしては胸に毒入り薬物を注射で入れられ、その毒が注射で刺された部分から自分では制御できない感じでじわじわと体全体に広がっていくような、そんな痛みである。

速攻でナースコールを呼び、点滴から痛み止めを入れてもらった。点滴からでもいいなら背中からはやめてほしかった。そんな思いであった。

それからしばらくして痛みも落ち着きこれでようやくすべてが落ち着いた。この時恐らく20時半くらいであった。18~20時半はひたすら病室で叫んでいた。他の患者の方がいなくて本当に良かったと思う。痛みと吐き気がある程度落ち着いたのでその日の夜は途中何度か目は覚めたもののそれなりには眠ることができた。

入院3日目

多少痛みはあるものの昨日の苦痛に比べたら大したことはないという感じであった。そしてそのまま順調に4日目で退院したのである。

しかしこの後、さらなる地獄が待っていたのである。

退院した日やその翌日は手術した右胸の辺りが猛烈に痛く腕が上げられない程であった。また、微熱も出ていたため全体的に体がだるかった。

そして尿道カテーテルの影響でトイレに行くたび激痛が走りしんどかった。術後4日間くらいは胸の痛みと尿道の痛みに苦しめられた。トイレは一日に何度も行くのでその度ごとにきつかった。また、ネットでは1~2日で治ると書かれていたのに4日も痛みが続いたときは焦った。全く痛みが弱まっている気配もなかったので。

ただ、5日目にしてその痛みが突然消えた。それはまさに歓喜の瞬間であった。

さて、術後5日目以降の話へ進む。

この辺になってくると腕も上げられるくらい痛みも治まり、熱による体のだるさも少なくなってきたがまた1つ新たな問題が生じた。

それは、傷口に貼ってあったシールをはがしたことによる体液の流出である。

術後5日経過し、かゆみもあったので特に何も言われていなかったこともありシールをはがしたが、それが間違いであった。

次の日、シャツを見てみるとなぜか右胸と右わきの辺りが肌色になっている。なんだこれはと思い傷口の辺りを確認してみると少しべたっとしていて体液が出てきている状態であった。最悪である。

しかも、それだけではなく、傷口の周りに赤い発疹のようなものができていたのである。とても気持ち悪くて見るに堪えなかった。が、どうすることもできないのでティッシュを当てるなどしてやり過ごしていたがその発疹のようなものが日に日に広がっていきかなり広範囲に発疹ができてしまった。体液も一向に止まることなく発疹も日に日に広がるのが実感できた。もう最悪である。もう最悪である。。。

そこから次の外来までは数日あったためその間はずっと止まらない体液と広がる発疹のことを考えていなければならなかった。

健康な時は感じないが自分の体の中で1箇所でもおかしい場所があると無意識にそれを考えてしまい疲れがどっと来るのである。歩いているときもガーゼがずれていないか、とかいちいち考えるのが疲れるのである。

そして病院に行ったら消毒液のかぶれということで塗り薬と飲み薬が処方された。それで少しはよくなるかと期待していたのだがそこから1週間、次の外来までほとんど変化はなかった。

ひたすら溢れ出る体液のことを考え続ける日々。

悲しくなってきた。

そして次の外来でさらに強力なステロイド軟膏を処方された。これはかなり強力でどんどん良くなっていき、体液も出なくなった。

胸の辺りはしびれが残るくらいで気にすることもなくなった。よかった...!と喜んでいるのも束の間(どこかで聞いたことがある、、)、次の問題がやってきた。

それは全身のかゆみである。耳、首、両腕、腹、背中、尻、両足、すべてがかゆい。かきすぎて皮膚が傷だらけになってしまった。冬で隠せたからまだよかったが夏だったら悲惨でった。本当に最悪である。

かゆみというのは嫌でも頭の中に入ってくる。忘れようと思ってもかゆいのだから絶対に忘れられない。この、脳の思考部分の大半をこういったことで占められるのが本当に嫌なのである。

おかげで暖房を切り忘れて家を出たり、洗濯するべき日にそれを忘れてしまったりと、日常生活に支障をきたしている。もちろん、勉強に集中などできない。

そして、このかゆみはたちが悪く、睡眠を阻害してくるのである。11時に布団に入ったものの、かゆいのが気になりすぎて、4時まで眠れなかった日もある。(なぜか4時から7時は眠れたのだが。)

腹が立ち、病院に電話すると、以前処方された飲み薬の副作用が原因だとのことであった。ここの病院とはことごとく薬が合わない。ちなみにその薬はアレルギーを抑える薬なのだがその薬の副作用でアレルギー反応が起こってしまったのである。笑える(ない)話である。

その後、別の薬を処方され、ようやくかゆみも治まり一段落着いたのである。

こんな苦しい手術の話を書くと読者の方は心配なさるかと思いますが、必ずしもこのような症状等が出るとは限らないのでご安心を。実際、私も1回目の手術は入院中も退院後も特にひどく苦しいということはありませんでした。全身麻酔が初めてだったのでそれが怖かったくらいです。なので病院にもよるということでしょう。。。

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