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「どんな声で話せばいいかわからない」という人へ

noteで人気の吉玉サキさん
twitterでこんなことをつぶやいていました。

私、このつぶやきをスルーできませんでした。

図々しいかな、エラそうじゃないかな、どうしよう・・・。

と思いながらも、ええい!とリプライしてみました。

ああ、なんだかやっぱりエラそうかもしれません・・・。

これは

「はじめましての人」と「どんな声で話せばいいのかわからない」

という部分についてのリプのつもりでした。

このことについて、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

「相手の声を聞く」

そして

「その声に調和させる」

ポイントは、

「相手の声を真似するのでもなく、相手の声に合わせるのでもない」

ということです。

あくまで

「調和させる」

のです。

でも「調和させよう」と思ってさせることは難しい。

だから、何をするかというと。

「相手の声を聞く。」

漢字としては「聴く」の方がふさわしいかもしれません。

意識して「聴く」

すると、その声に自然と調和しようとします。

無意識レベルで、

です。

これは、
「合唱」の気持ち良さや楽しさを知っている人なら
わかりやすいかもしれません。

私は、合唱の楽しさは「歌うこと」ではないと思っています。

人と声をあわせること、
人の声の中に自分の声が溶け込んでいくこと、

だと思っています。

特にハーモニーがぴったりあったとき。

自分の声が溶けていく感覚。
自分がそこに受け入れられていく感覚。

合唱をしていても、あの至福の感覚は
いつも味わえるものではないのですが
そこに調和のヒントがあると思います。

あの至福の感覚は、
「人と声を合わせよう」
と意識しても味わえません。

自分が歌いながら、
人の声をただ「聴く」
「しっかり聴いた上で、自分も歌う」


そうしたときに、声が溶けていく感覚が味わえるのです。


そのことには「人と会話する」ときのヒントが隠れています。

人と会話する時「どんな声で話せばいいの?」と
考えたり、意識したりしても
きっとちぐはぐになってしまうでしょう。

だから、ただ「相手の声を聞く」
意識して「聞く」。

すると、調和できる声になるはず。

もし、調和できないと感じる時は

相手の何か、または相手そのものを
拒否しているときかもしれません。

そういうときは、
「どうしよう」
と思わずに、

「これ以上聞きたくない気持ち」
「調和できそうもない気持ち」
があることを自分で意識すること、
そしてその気持ちを認めてしまうと、
なぜか早々に相手の話が収束に向かいます(笑)

自分の声と話し方が嫌い
について、こちらに書きました。



書いてみたこと、発信してみたこと、 それが少しでもどこかで誰かの「なにか」になるならばありがたい限りです。