わたし、あのとき、寂しかった

わたし、あのとき寂しかったんだ。

もう30年も前の感情をリアルに思い出した。
閉じ込めていたつもりはないのに、涙がこみ上げてきた自分に驚いた。

弟が遠くの病院に入院することになった。
あのとき、学校から帰ってきてからそれを知ったのか、
学校に連絡があって家に帰る前に知っていたのかは覚えていない。

今でもはっきり覚えているのは、テーブルの上に置かれていたスーパーで買ったお弁当。
それを見て、「ふーん」と思った。
もっとなにか感情があったのかもしれないが、言葉としての記憶はない。

お腹がすいていた。
制服を脱いで、食べ始めた。

でも、食べられない。

喉を通らないという言葉がぴったりだ。
お腹が空いていて、食べたいのに食べられない。
喉を通らない。
飲み込めなかった。

中学一年生にもなると、
ひとりでお弁当を食べることくらいどうってことはないはずだ。
冷蔵庫から麦茶を取り出して飲んだ。
その日のことで覚えているのはそれだけだ。
お腹が減っているのに食べられなかった。

そのころ弟はよく「胃が痛い」と言っていた。
小学4年生に胃が痛いと言われても、風邪気味でおなかの調子でも悪いのかと思っていた。
胃が痛いと言い始めてから何日かのちに、目が黄色くなっていた。
「病院に行ってから登校します」
母は、弟の通っていた小学校に電話を入れて病院に連れて行った。
歩いて15分ほどのところにある内科だった。

近くに小児科はない。

愛媛県南宇和郡。
四国の端っこだ。
郡内に小児科はなかった。

内科の先生は、黄色くなった弟の目と、血液検査の結果を見て慌てた。
「宇和島の病院に運びましょう。救急車で行きますか?」

宇和島市までは、バスで1時間半かかる。
南宇和郡には鉄道は通っていない。
高速道路も通っていない。

「しばらく入院になると思いますので、準備してください」

慌てた母は仕事中の父に連絡を取った。
父が仕事を切り上げて、車で向かうことになった。
弟の病状はよくないものの、一分一秒を争う状況ではなかったので、
自分たちも少し落ち着いて移動したいと自家用車を選んだそうだ。

入院の準備をして、私のための夕食用のお弁当をテーブルの上に残し
父と母、弟は宇和島市の病院へ向かった。

中学生だった私が、学校が終わってから簡単に行ける距離ではない。
宇和島市行きのバスも1時間に1本程度だった。

携帯電話も普及していない時代だった。
弟が入院することになったということしかわからないまま、
お弁当を食べようとしたら、喉を通らなかったのだ。

弟は「急性B型肝炎」だった。
その日から、母は病院に付き添わなければならなかった。
点滴治療が始まった。
日に日に弟の顔はむくんでいった。
しばらく治療しても、検査の数値は良くならない。
「劇症肝炎に移行するかもしれません」
命が危ないということだった。

遠く離れた病院で、弟が危ない状況にある。
母はつきっきり、父も毎日のように通っている。

週に1度、母が帰ってきて、1週間分の食事を用意してくれた。
私は、学校帰りに野菜やパンなどを買って帰り、
冷凍されたシチューやロールキャベツを解凍して食べた。

学校帰りに、買い物かごを持ってスーパーを回るのは、嫌じゃなかった。
むしろ、楽しくて、ちょっぴり誇らしかった。
なんだか大人として認められたような気分だった。
中学校の制服姿で買い物をしていると
「えらいね」
「りっぱな主婦みたいだね」
と声をかけられるのも、照れくさく嬉しかった。

だから「寂しい」なんて思ったことはなかった。
学校では給食だったので、お昼ご飯の心配はなかった。

しばらくすると、祖母がきてくれた。
もうすぐ遠足がある。

「おばあちゃんにお弁当作ってもらったのでいい?」
母にそう言われて、ちょっともやもやした気持ちになった。
おばあちゃんのお弁当、大丈夫だろうか。
「お母さんが中学生のときはおばあちゃんがお弁当を作ってくれたのよ」
その言葉でちょっと安心した。

祖母の作った遠足のお弁当に、甘辛く炒められた肉が入っていた。
きっと私が好きだというのを母から聞いて入れてくれたのだろう。
でも、あまりにも固すぎて食べられなかった。
おでん用のスジ肉を炒めたものだった。
母が冷凍していたものをスジ肉とは気づかずに使ったらしい。
たったそれだけなのに、なぜか泣きたくなった。

そんなことを思い出したのは、
仕事の打ち合わせで西朋子さんの話を聞いたからだ。

西朋子さんは、難病を持つ子供と家族をケアするNPO法人を運営している。

「特に私はきょうだいを気にかけているんです」

その言葉を聞いた途端に、私の目の奥にじわっと熱いものが上がってきた。

「難病の子供自身の支援、親の支援はもちろん大切です。
でも、元気なきょうだいも、
本人も親も気づかないまま、相当頑張っているんです。」

涙がにじんでくるのを必死でおさえる。

打ち合わせとは関係ないのに、
促されもしないのに、
私が中学生の時に弟が長期入院したこと、
住んでいた田舎のこと、
溢れる気持ちのままに話してしまった。

私はお弁当が大好きだった。
同じものがお皿に盛り付けられているよりも、
お弁当箱にギュッと入っている方が何倍も美味しく感じられた。

でも、喉を通らなかったスーパーのお弁当。
おばあちゃんのスジ肉のお弁当。

どんな形でも私のことを思ってのお弁当だとわかっていた。
それでも、私が食べられなかったのは、
あのとき、私は自覚がなかったけど寂しかったんだ。
私も気づいていなかったけど、きっと頑張っていたんだ。

私は30年かけて、
気づかないふりをしていた過去の寂しさを認めることができた。

弟は、幸いにも一命を取りとめ、半年ほどで退院した。
家族の感染もなく、原因不明の急性B型肝炎は完治した。

今は亡き祖母の「スジ肉弁当」の話は、
家族の笑い話になっている。
私もようやく、あのときの寂しさを笑って話せるようになった。



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