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虐待のうたがい?

恥さらしなことかもしれませんが、書いて見ます。
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ひどい癇癪(かんしゃく)でヘトヘトになった
「その日」↓ の数日後のこと。


さて、これから仕事だ!
とジーンズを脱ごうしたら、

♪ピンポン
「はい」
「こども総合相談センターです。」

_____

ヘトヘトになった「その日」は、金曜日だった。
ピンポンの訪問者は、月曜日。

土日は、子どもとずっと外で遊び、
すっかりリフレッシュして迎えた週明けの月曜日。

ジーンズにTシャツを着て、自転車に乗り、
いつも通りの時間に保育園に送り届ける。

子どもの機嫌も良く、一安心。

後ろが軽くなった自転車を、気分良く走らせて帰宅。

よし、着替えて仕事行こう!

と、ジーンズを脱いだタイミングの

♪ピンポーン

あわてて今脱いだジーンズを履いて、玄関へ行く。
ドアを開けると、
首からIDカードをぶら下げた男女2人が立っていた。

「実は、先週の金曜日、
 子どもさんのひどく泣く声と、
 大人のひどく怒る声が聞こえると言うことで連絡がありまして。
 どこの部屋かはわからないのですが、この階のどこかということなんです。
 何か心当たりはありますか?」
「先週の金曜日・・・。何時頃ですか?」
「今くらいの時間です。」
「・・・。ああ、それは、うちだと思います。窓全開で大泣きしてたんで。」

そして、その日の子どもの様子を話した後、

「その日はカンシャクが一段とひどくて、
 本当にどうしようもなくて、
 出産後初めて、子どものことで泣いた日です。」

そんなことポロッといってしまった。

そんなことを言ってしまったの私のせいなのだけど、

「今、お子さんは?」

と、二人が家の中に視線を移す

「保育園です。」
「どちらの保育園ですか?」

もちろん、ちゃんと答えたのだけど。

これって、もしかして、在宅ならあざの有無とか確かめられたのだろうか?

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あの日は、気持ちの良い気候でほとんどの家で窓が全開だったはず。
うちも、窓全開。

そして、窓全開のまま・・・大泣き、
私もイライラ・・・やってしまった。

普段から、近所の子ども泣く声も、遊ぶ声もよく聞こえるところ。
今も、どこかの部屋の子どもがグズグズ泣いている。

だからこそ
近所の人も、ゴネて泣いているくらいでは
「あらあら大変」と、気にしないだろうと甘えてしまった。

しかしさすがに30分近く泣き叫んでいたので、
尋常じゃ無いと思われたのかもしれない。

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「子育てを相談する人はいますか?」
「一時的に離れることもできますので、いつでも相談してください。」

私が伝えたのは、

その日は友達に聞いてもらって楽になったこと。
夕方、お迎えに行くとケロっとしていたこと。
今日は元気に機嫌よく行ったこと。

まるで「虐待してませんよ」という言い訳みたい。

「こども相談センター」の二人は
パンフレットを私に差し出し

「いつでも気軽に連絡ください」

と帰って行った。

______

出がけの訪問で、出発が遅くなったぶん
大慌てで仕事に向かう。

運転しながら、さっきのことが頭の中を繰り返し浮かんでくる。

「一時的に離れる?」って?
「今、お子さんは?」と家の中に視線が伸びたのは?

そもそも訪問されてしまったこと。

ひどく泣き叫ぶ子どもの声も思い出す。

やっぱりあのときの私は異常だったのだろうか、

涙がどんどん溢れてくる。

とまらない。
とめられない。

これはまずい。
さすがにまずい。

これからの仕事は講師として人前に立つ仕事。
このままでは仕事にならない。
プロとしてあるまじきこと。

・・・・と、
切り替えようとするけれど、どうにもならない。

その日の午前中の仕事はカルチャースクールの講師。

いつも30分くらい前には教室に入るのに、
その日は到着したのが5分前。

しかも、ウサギの目。

仕事人としてあるまじき。
プロとしてあるまじき。
仕事に私的なことを持ち込むな!

そんな風に考えても切り替えられず、
涙が止まらない自分が余計に情けなくなる。

ええい!5分前。もう仕方ない。
車をとめてエレベーターに乗る。

幸いなことに、その日の講座は「絵本セラピー®︎」
絵本セラピー®︎は、
同じ絵本でも人によって受け止めかたが違う、
感じ方が違う、
それをそのまま表現しても大丈夫、
みんなちがう、
あなたもちがっても大丈夫、
というのを絵本を通して感じられるもの。
だから、講座ではすでにそういう場ができている。

どんな私でも、どんなあなたでも大丈夫。

教室に入ってすぐ、講師として、情けなく申し訳ないと謝り、
正直に話した。

通報されていたこと。訪問を受けたこと。
ただ、受け止めてくれる。

傷口が大きくならないよう、
そっと見守ってくれる。

ありがとう。

講座の間も、絵本が私の心に沁みてくる。
今日はどの絵本を読んでも泣ける。

今日の仕事が絵本セラピーの講座でよかった。

_____

夕方、保育園に迎えに行き、
ご機嫌の子どもとの日常が戻る。

ふと考える。

なぜあんなに涙が出たのだろう。
虐待の事実がないと誤解が解けたのだから、よかったじゃないか。

それなのに、なぜこんなにダメージを受けたんだろう。

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そのときに思っていた以上にダメージが大きかったらしい。
しばらくこのことを消化できなかった。

こうやって書くこともためらわれた。

でも、今書きたい。
でも、これを書いてしまうと恥をさらすことにもなる。

そして虐待報道があんなにあった直後。
ひどいバッシングをされるかもしれない。

通報されるほど泣かせた。私も大きな声を出した。
それは事実。

こわい。

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ただ、通報されたことには、なんの怒りも恨みもない。
当然だと思う。本当に思う。

むしろ気にかけてくれる人がいるということ。
そういうご近所でよかったと思う。

ましてや、5歳の女の子の虐待死が発覚した直後。
敏感になるのは当然だ。

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それにしても、
なぜ、金曜日の通報で
訪問が月曜日になったのだろう。

なぜ、それも「月曜日の朝」という訪問なのだろう。

もしかすると、土日は外遊びで留守がちだったから私がいなかったのか。
もしかすると、平日の同じ時間に訪問することで様子を見たかったのか。

色々考えてみるが、
もし、金曜日の激しいやりとりの直後に訪問してくれたいたなら、
わたしはその人たちに泣きながら相談したかもしれない。

友達に聞いてもらうのではなく
その人たちに話せたかもしれない。

でも、週明けの月曜の朝。
通報を受けたからには訪問せざるを得ないとはいえ、

なぜ、
仕事に出る直前の月曜日の朝。

訪問される側のダメージへの考慮はないのだろうか。

と、考えたが、

これまで、こういう立場になる人の気持ちを想像したことがなかった。

訪問されてみて初めてわかった。

虐待の事実がなくても、
訪問されたという事実。

それがあたえるダメージ。

訪問するタイミングも難しいとは思う。

私の仕事は一般的な「おつとめ」より始まりが遅い。

訪問を受けたのも9:30くらいだ。
「おつとめ」をしているひとならとっくに出勤しているだろう。

訪問するタイミングを考慮した上で、
この日この時間なら大丈夫と考えた結果なのかもしれない。

でも、訪問されるということは、こんな風にダメージを受けるんだ。

これは、本当に支援って難しい。

_____

虐待をどう防ぐか。

行政がどうサポートできるのか。

近所がどうサポートできるのか。


思いかげず通報されて、2週間がすぎた。

私の心は、まだ意外なところが傷ついているらしい。



(書いているうちに想いが溢れて、構成も考えず、
 思いつくままに書き流しました。読みにくさ、ご容赦を。)

(つづく↓)


書いてみたこと、発信してみたこと、 それが少しでもどこかで誰かの「なにか」になるならばありがたい限りです。