考察|中山国~舜水樹を登場させた意味を考える
今日はストーリーの考察ではありませんが、この人物について少し。
趙将・舜水樹(しゅんすいじゅ)です。李牧の右腕のような存在ですが、趙の中でも徐々に存在感を高めています。個人的には、趙将の中で舜水樹が最後まで生き残る将だと考えています。
そのあたりはおいおい書くとしまして、第706話の中での虎白公との会話でキーワードが出てきました。
「北の狄の血を引く部外者」と虎白公に言われています。以前にも、異民族の血が流れていることが描かれていましたね。ここでポイントは2つ。
1つ目のポイントは、舜水樹が北狄の血を引くということの意味が重要になってきたということ。それほど重要でない登場人物であれば、出自についてそんなに触れられないというか、触れられても一度だけのはずです。ここに、原先生の「伏線」があると見ています。
北狄ですが、その中の白狄が建国した中山国という国がかつてありました。
紀元前296年に趙に滅ぼされているのですが、その狄の血が流れているのが舜水樹ということになります。史実には存在しない人物です。
次に、中山国があったと思われるエリアを「秦の趙攻略図」に重ねて見てみましょう。
面白いことに、秦と趙が大激戦を繰り広げる場所に中山国がありました。しかも、宜安も番吾も、趙軍が秦軍を大撃破する場所です。この中山国の出身者として舜水樹を登場させたことは、趙軍の反撃においてかなり重要な役目を持つ可能性が高いです。
2つ目のポイントは、舜水樹が虎白公から「部外者」と言われていることです。部外者である人材を右腕的な存在として採用しているのが李牧。彼の舜水樹に対する信頼は相当のものしょう。
舜水樹は、虎白公に対する発言から読み取ると、「戦で犬死することだけは納得しない」性格のようです。つまり、生命力が非常に高い人間ということになります。ここも非常に重要。
この点を少し解説します。その前に、下記の流れを書いておきます。
趙の公子・嘉が現在の河北省張家口市蔚県に逃げ込むのが紀元前228年。張家口市の場所については、過去記事をご覧ください。
私の妄想ですが、趙の傑物である李牧は、晩年は自らの死を覚悟していたと思います。その時に、趙王の血脈までは途絶えさせてはならないと考えて策を講じていたはずです。その策とは、「公子・嘉の亡命」です。そして李牧の死後、この策を実行に移したのが舜水樹ではないでしょうか。
李牧は舜水樹にこう伝えたと思います。
「自分が死ねば、趙は持たない。秦に支配されるだろう。その前に、公子・嘉を連れて邯鄲を脱出し、私が以前国境警備をしていた場所・雁門関よりさらに北、張家口市まで逃げるように。これを託せるのは、邯鄲の北側の地域を良く知っている北狄の生き残り、舜水樹しかいないのです。もしこれが実現出来るのであれば、秦王を暗殺する手はずも整えてあります」
史実では、「公子・嘉は趙の残党に支持されてここで代の国を興す」のですが、この「残党」という貧弱なワードに、原先生が伏線として命を吹き込み登場させたのが舜水樹ではないでしょうか。
そう考えると、舜水樹が「部外者」呼ばわりされている一方で、李牧から重用されている意味が深いものになります。
いや、私が深読みし過ぎなのかもしれませんが、李牧ならそこまで考えていてもおかしくないです。そして李牧が大好きな原先生ですから、舜水樹が李牧亡きあとの亡命劇を実行するドラマがあったら素敵かな、と。
最後に、中山国の遺跡から発見されたものをいくつか載せておきます。
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