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秦による趙攻め・地理的考察

秦vs趙の平陽の戦いに突入する前に、趙の首都・邯鄲を中心にした地理を改めて見てみたいと思いました。

情報量が多くなると分かりにくいので、紀元前236年~233年までの交戦を現在の地図上に示しています。具体的には「鄴の戦い」と「第1次・第2次平陽の戦い」です。

邯鄲へ①

紀元前236年、秦は総大将・王翦を中心に、本格的な趙攻めを開始します。これは漫画キングダムでも描かれました。①~④に侵攻して城を陥落させていった場面です。

これから描かれる予定なのが、第1次・第2次平陽の戦いです。この時、秦と趙の戦線はめまぐるしく変わっていったと思われます。そんな中、秦は首都・邯鄲に迫るべく、全方位的に侵攻を繰り返していたのが分かります。このため、秦は多くの軍を展開していたでしょうし、それを凌ぐために防戦を展開した李牧も凄いことが想像出来ますね。

実は秦の首都・咸陽から見ると、邯鄲は近そうで遠く、攻めづらい場所なのです。太行山脈があるからです。王翦が兵站(兵糧)の確保に苦労したのも、この山脈越えが大変だったからです。

邯鄲へ②

地理的な不利を乗り越えるために、邯鄲の四方を陥落させていく様が地図から分かると思います。用意周到な戦略ですね。西の辺境の地にある秦が、中原に進出するために乗り越えなければならないのが、この太行山脈であり、その先にあった趙の首都・邯鄲なのです。中原への進出は、秦の悲願です。

地図にあるハートマークは、私が訪れた際に間違えてチェックインしてしまった場所です。太原市です。

太原市は、実はあの嫪毐が領地としていた場所です。

既に嫪毐は処刑されてしまっているため、太原市がこの時に秦将の誰かの領地であったかどうかまでは分かりません。もし領地だったとすると、③の戦いは、恐らくこの太原市から侵攻を開始したのでしょう。

平陽の戦い以降も、秦vs趙の戦いは続きます。ただ、平陽の戦いはサラッと流して描くことは出来ない戦いになると思いますので、ここからまだまだ見どころが増えてくると予想しています。キングダム、100巻を超えるでしょうね(笑)。

解説本を執筆したくなります。いや、恐れ多いですね…やめましょう。

本日もお読み頂きありがとうございました。

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