パニック障害からの復活

 

私が今の仕事、音楽家の為のボディチューニングに辿り着いた大きな要因にパニック障害の発病があります。

それについては先日の投稿でもさらっと触れてはいますが、今回、パニック障害からの復活について講演させていただくことになったので、より詳細に書いてみようと思います。

私がパニック障害を発症したのは2003年のことでした。
 当時、インディレーベルからのデビューを前に、連日のようにレコーディングや作曲に追われる毎日を過ごしていました。
 そんな日々の中で、プロデューサーやディレクターと顔を合わせれば必ず言われる「曲書いてる?」の一言や、求められている要求に応えなければいけないプレッシャーや、他のアーティスト達と比べられ続けること、慣れないスタジオでの作業に、激変した環境や、それに対して追いついていかない自らのスキルへの葛藤など、発症原因となる理由は今思えば枚挙にいとまがないほどあったなと思います。
 もちろん、自分の夢が叶いつつあるわけでもあったので、辛いこと以上に刺激が多い充実した毎日を過ごせていたわけですが、その結果、そういったストレスに自分が晒されていることに気付けず、上手くそれを解消することが出来なかったことが一番の要因だったのかなと、今では感じています。
 そして、ある日のボーカルレコーディング中に、少し高めの音域を歌おうとした際に突然声が出なくなってしまったことで、私のパニック障害との闘いが始まったのです。

 さて、具体的にどのような過程を経てパニック障害へ至ったのかを書いてみたいと思います。
 まず、壊した喉の治療をするため、スタッフに連れられて行ったクリニックでの診察の際、処置も何もしないで入れられた内視鏡のせいで喉の奥の反射が出てしまい、「窒息するかも!」という恐怖体験をしてしまったんです。(通常は、喉の反射をとる処置をしてから内視鏡を入れるのですが)
 それからずっと、体の緊張が取れなくなり、喉元が締め付けられているような感覚が消えない状態が続くようになってしまいました。
 そんな状態でも、しばらくはそれなりに普通に生活できていたのですが、美容院にカットに行った際、突然自分と周りが乖離していくような形容し難い感覚に襲われ、「このままおかしくなってしまうかも!」という恐怖に襲われたんです。
 幸い、その当時の美容師さんはそういう感覚を理解してくれる方だったので、うまく落ち着かせてくださって事なきを得たものの、それからは「いつまたあの恐怖に襲われるんだろう」という不安と闘わねばならなくなりました。
 この時点で私は、既述した要因から「病院へ行くこと」と「高い音域を歌うこと」に対して、いわゆる予期不安からくるパニック発作に悩まされるようになっていました。
 よくパニック発作ってどういうものなの?と聞かれるのですが、私はいつも「ジェットコースターに乗って急降下している時に感じる胸のざわつきが、無限に止まらなくなるような恐怖に襲われるもの」と答えています。例えはなんでもいいのですが、各々が極端に苦手としているシチュエーションでの恐怖心が無限に止まらなくなるなんて、どれだけ恐ろしいことか、なんとなくイメージしていただけたでしょうか?とにかく、凄まじい緊張状態を強いられるのです。

 このままではレコーディングはもちろん、日常生活すらも困難な状況になってしまったので、医師である叔父の紹介で病院へ行くこととなりました。
 これがまた大変な行程で、病院へ行くというだけで予期不安に押しつぶされそうになるので(要は、何をされるのか何が起きるのか分からないシチュエーションが怖い)、電車の中から過緊張状態。病院に着いて診察を終えた頃には、しばらくベッドで休ませてもらったくらいでした。
 肝心の医師の診察はシンプルなもので、診断テストを済ませてからの問診。その診断は、ただのストレスによる過緊張。
 この頃にはネットで相当パニック障害や鬱について調べていて、自分は間違いなくパニック障害なんだと思っていたので、拍子抜けしてしまったことを覚えています。人って、こういう自分にとって未知の症状に晒された際に、何かしらの病名を付けて欲しい心理が働くんですよね(笑)。しかし今思えば、人は下手に病名を付けられると、逆に本当にその病気になってしまうということがあるので、それを考えての医師の判断だったのかもしれませんね。
 で、処方されたのは当時、副作用も少なく薬効も24時間続く画期的な新薬として隆盛を極めていた、SSRI系の薬。それと、不安に襲われた際に頓服で飲む用の抗不安薬でした。
 当時、なんの知識もなかった私は、「これでこの苦しみから解放される!」と、喜んで服薬したことを覚えています。その後、断薬の苦しみが待っているとも知らずに。

 服薬するようになってから、パニックの症状については劇的に回復していきました。抗不安薬が効きすぎたりしたので、その量の加減や種類の選別に多少難儀しましたが、概ね順調だったと思います。
 日常生活を送っている分には何も問題はありません。病院や公共の乗り物についても、頓服さえすれば大丈夫という感覚があったので、なんとかなっていました。
 ただ、最もトラウマになってしまった歌うことに関してはそうも上手くいかず、自宅で一人で歌う分には何も問題ないのに、誰かがいるシチュエーション、つまり、ライブやレコーディングになると途端にダメになってしまうのです。発作が襲ってくるまではいかないのですが、高音域を出そうとすると一瞬だけ襲ってくる恐怖のせいで、身体、特に首回りから背中にかけてに緊張からくる力の入りすぎで滞りが出来、喉に負荷がかかる歌い方になってしまう為、すぐに声がヘタってしまったり、高音域を出そうとすると裏返ってしまったり、散々な状態でした。なのでこの頃は背中全体に痛みがあり、呼吸をするだけでも痛むような状態だったので、整体に通うのが日課でした。
 そんな生活の中、唯一の支えになっていたのは、「この症状は、緊張するシチュエーションを敢えて何度も反復し、裏返ったりしない成功体験を積んで慣れさせていけば克服できるはず」という、根拠のない確信でした。その為、頓服の量は必然的に増えていきました。
 頓服の量に比例して、徐々にライブもレコーディングも自然にこなせるようになり、いくらか自分の身体の状態を俯瞰で見れるようになってきた時に、動悸がし始めるタイミングが大体同じことに気付いたんです。
 初めはその動悸は予期不安からくるものかと思っていたのですが、よく観察していった結果、SSRI系の薬の服薬時間から24時間ほど過ぎた頃ということに思い至りました。つまり、薬効が切れたタイミングですね。その頃はかなり症状が改善していたので、うっかり服薬を忘れたりする日も多くなっていたんです。
 そのことに気付いてから、一度医師に「SSRIは薬効が切れたタイミングで動悸などがしますよね?」と聞いてみたんです。答えは「そんな副作用はありえない」でした。
 それから、自分の中で「どうして医師はこの薬を長期間に渡って飲んだ経験がないのに、そんなことが分かるのだろう?」と不信感が芽生え、こんな副作用を体感するようなものは一日も早く絶たないと取り返しのつかないことになる、という考えに変わっていったのです。
 私はまず、SSRIを絶たないことには断薬は難しいだろうと考え、薬効が切れた時の動悸にどう対処するかを試していきました。
 結果的には、動悸がしてきたら頓服で抗不安薬を飲めば落ち着くことが分かり、そうして上手く動悸や不安感をいなしながら、徐々にSSRIを飲む量を減らし、服薬の間隔を広げていきました。この時注意しなければいけないのは、焦らないこと。無理をすれば必ず反動がきて、状態も後退してしまいます。動悸や予期不安がきたら、我慢せずに頓服に頼ることがこの段階では大切だと思います。
 そうして一進一退を繰り返しながら、ついにSSRIを断つことに成功しました。2006年頃と記憶しているので、実に3年程度掛かったわけですね。
 それでも、新幹線や飛行機などの、長時間自分の意志ではどうしようもない状況に置かれるシチュエーションの際には、頓服の抗不安薬は手放せないままでした。
 そして、その頃の精神科は、自己申請で自分はパニック障害だと言えば、何のヒアリングもなしに、こちらの言う通りの抗不安薬を処方してくれるまでになっていました。
 2006年の寛解状態から数年は、上記のような本当に特定のシチュエーションでしか頓服する必要のない状態が続いていました。
 それこそ、自分でもパニック障害を患っていた事を忘れるくらいに。
 それからは国内外問わず、様々な場所へ旅することが人生の生きがいとばかりに、あちこち旅して廻っていました。
 ところが数年後、また再発してしまったのです。

 2013年の夏、通勤のため電車に乗っている際に車両トラブルが起き、次の駅の手前で停車してしまい、満員電車内に閉じ込められてしまったその時に、また名状し難い不安感や、その緊張からくる腹痛に襲われ、それ以降公共の乗り物全般に対してNGになってしまったんです。また、腹痛の原因は過敏性腸症候群と診断されました。
 これは本当にキツくて、乗りたくても「また止まって閉じ込められたら…そして腹痛がきたらどうしよう…」という予期不安に飲み込まれてしまい、通勤したくても少しでも電車が混んでいたら乗れない、空いていても次の駅まで2分区間なら大丈夫なのに3分以上の区間だとそれだけで不安感に襲われる、バスも乗ったことのない区間のものだとNG、特急や急行、新幹線は考えただけでもNG、という状況でした。
 幸い、当時の職場は自転車でも通える距離だったので、そこは助かりました。ただ、悪天候の日は大変でしたが…
 また、最初の発症時とは違い、日常生活においては全く問題なかったのもありがたかったです。
 とにかく、二度目の発症時には、また服薬を繰り返す生活には戻りたくないという考えのもと、様々なアプローチを試していました。
 健康でいるために「食」の重要性にも気付き、学び始めたのもこれがきっかけでした。
 そうした中で、2014年の秋頃に知り合いから「天城流湯治法」を紹介してもらいワークショップへ足を運んだところ、「自分の身体は自分で守る」というコンセプトと、その効果の即効性に感動し、「これなら服薬しないで回復できるかもしれない!」と感じ、それから毎日、セルフケアをしていくようになりました。それが高じて、今では天城流湯治法の師範にまで昇りつめてしまいました。人生、何が功を奏するか分かりませんね。
 さて、具体的に何をしていたかというと、硬くなってしまっていた胃腸を柔らかくするための腸マッサージ、血流を戻すための脹脛マッサージ、そして浅くなっていた呼吸を戻すためのエクササイズを毎日していました。
 すると、一ヶ月くらい経った頃から「ちょっと電車に乗ってみようかな」という気持ちが芽生えるようになり、実際に乗ってみても以前のような恐怖に襲われることがなくなっていたんです。そうして二ヶ月が経ち、三ヶ月も経った頃には各駅停車の電車やバスは何の問題もなく乗れるまでに回復していました。
 また、食の面からも自分なりに過敏性腸症候群の改善法を探っていった結果、自分には牛乳が合わないということに気付きました。恐らく乳糖不耐症なのですね。なので、牛乳を摂取しないようにしてからは、面白いくらいに腹痛は止まりました。

 ただ、このパニック障害の後遺症ともいうべき厄介なものがありまして、例え肉体的・精神的に回復したとしても、恐怖体験をしたという「記憶」に由来する予期不安が残ってしまうのです。というのも、頭ではもう大丈夫だと分かっているのですが、その「記憶」が邪魔をして、冒す必要のないリスクを避けるようになってしまうのです。
 私の場合は、電車は各駅停車のみ、旅行に行く際は自分で運転する車で行ける範囲まで、という風に行動が制限されてしまいました。ですが、もともと毎年のように海外や国内の各地へ旅に行っていたくらい行動派だったので、徐々にそんな状態にも嫌気がさしていきました。
 抗不安薬を飲めばあらゆる交通手段を使えることは分かっていたのですが、それはここまで努力してきたプライドがありますので、自分的に許せません(笑)。でも、何もないまま試しに乗ってみるのは憚られる。そんな葛藤を長いこと繰り返していました。
 ですが、ついに2018年の春、京都で執り行われる親戚の結婚式へ出席するため、嫌が応にも新幹線に乗らなくてはならない状況になってしまったのです。
 この2年ほどは、既に電車が区間途中で緊急停止しようが、満員電車に乗ろうが、何の身体的・肉体的反応も起きないまでに回復していたので、恐らく乗っても問題ないだろうことは分かっていたのですが、「万が一パニック発作が起きそうになった時でも、これがあれば乗り切れる」と思える何かがあると予期不安を乗り越えやすいので、それをどうするかが課題でした。
 そこで考えたのが、アルコールを摂取することでリラックス状態にすることと、レスキューレメディを携帯すること。
 私の場合はこれがてきめんに効き、車内ではスマホで映画を楽しんでいるうちに京都に到着してしまうくらいエンジョイ出来てしまいました(笑)。
 その後も何度か長距離の電車にトライしてみましたが、いずれも大丈夫でした。
 2019年現在、もはやアルコールも何も携帯せずとも予期不安が来ることすらなく、毎月のように新幹線や特急に乗り、あちこち出張へ行けるまでになりました。
 また色々な場所へストレスもなく旅が出来ることにワクワクする日々を送れています。

そして、それは誰にでも可能なんです。
 

さて、冒頭でも触れた講演ですが、こんな話を9/29に東京にてお話しさせていただきます。

ただ体験を語るだけではなく、鬱やパニックが増えている理由を「音」の観点からも考察していきたいと考えています。

これが自分で言うのも嬉しいくらい、面白いんです。(笑)

講演についての詳細を知りたい方は、k_ohmasa@icloud.comまでご一報ください。

Valanced Tone Lab 代表 大政 和寛

https://valanced-tone-lab.com

 

 
 

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