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「幸福は再生できる。」を学んだ話。『まほろ駅前多田便利軒』を読んだ感想

こんにちは。Kazuhiraです。

三浦しおん先生の『まほろ駅前多田便利軒』を読んでみたので、感想を書いていこうと思う。

私がこの作品から学んだことは3つ。

  • 愛情は与えるものではなく、愛したいという気持ちを相手からもらうこと。

  • 自分が不幸な環境にあっても、誰かを愛することで、幸福を生み出すチャンスはある。

  • 修復不可能と思われることも、別な形で再生することはできる。

・ストーリー

舞台は、東京のはずれに位置する都内西部最大の町、まほろ市。
そこで便利屋を営む多田啓介は、ペットの預かり、バス運行の監視、納屋の掃除など、「なんでも」依頼をこなす。
仕事中、彼は一人の男と出会う。
それは、高校時代に同級生だった行天春彦だった。

いつの間にか行天は多田のところに居候することとなり、便利屋の仕事も二人でこなしていくことになる。

この二人には、それぞれ「失った過去」があった。
依頼を通して、様々な人と出会い、そして行天と過ごす中で、主人公の多田は、次第に自分の過去に向き合っていく…。

・愛情は与えるものではなく、愛したいという気持ちを相手からもらうこと。

これは、行天の元妻「三峯凪子」が多田に言った言葉だ。

行天は、かつて結婚していた。
子どもはいるが、行天は会ったことがないという。
行天と凪子の間には、人工授精で生まれた子どもがいた。名前は「はる」という。

この二人の関係は、特殊だった。
今は離婚しており、お互いに会うことはない。
一旦は終わった関係なのだ。

しかし、二人の離婚は円満なものだった。
現在行天の子どもは、凪子と、凪子と一緒に暮らすパートナーと一緒に暮らしているという。

凪子は、行天の子どもである「はる」を育てることで、愛情を学んだという。

ここで私は、凪子の言葉と、自分自身の結婚生活を振り返ってみた。

』とはなんだろうか。
以前までは、「こっちがこんなにも愛しているのに。」とか、「なんでこんな考え方をするんだろう。」など、妻に対して、憤りのようなものを感じることもあった。

しかし、この凪子の言葉を聞いて、私は気付かされた。
私の妻に対しての想いは、どこか傲慢なところがあったのかもしれない、と。

愛情を与える。」という言葉、行為は、見方を変えれば、その人の『エゴになり得る』かもしれないと感じた。

愛とは、互いを想って成立するもの。
自分からの一方的な気持ちではなく、相手から、自分が愛したいと思う気持ちを『プレゼント』してもらうものなのかな。と、私は感じた。

・自分が不幸な環境にあっても、誰かを愛することで、幸福を生み出すチャンスはある。

作中、特に気に入った言葉がある。

だけど、まだ誰かを愛するチャンスはある。与えられなかったものを、今度はちゃんと望んだ形で、おまえは新しく誰かに与えることができるんだ。そのチャンスは残されている。

まほろ駅前多田便利軒

これは、両親から望んだ形で愛してもらうことのない子ども「由良」に対して、多田が言った言葉だ。

この小説は、人生において、一度切れたものが完全に元に戻ったりしないこと。人と人の「歩み寄り」は必ずしもあるわけではない。という現実を淡々と突き付けてくる。

それでも多田は、由良に対し、両親は由良の望んだ形で愛してはくれないという事実を淡々と述べた上で、自分が望んだものは今は無くても、誰かに与えるチャンスは残されている。と、由良に告げる。

私はこの言葉を聞いて、全体的に暗く、どこか排他的な雰囲気のあるこの物語の中に、少しの光が刺したような、そんな感覚を覚えた。

自分自身のことを思い返してみる。
音信不通になった友人。疎遠になった家族、親戚。
確かに、もう歩み寄りができない関係は存在する。しかし、だからといって、今後の人生で、自分が誰かに与えるというチャンスは潰されていない。ということを、この言葉で学んだ。

歩み寄りは難しい。もうどうにも修復できない関係もある。
しかし、そこばかりに目を向けず、これからの未来へ。今自分の周りにいてくれる人へ、自分が与えられるものを、自分なりの形で与えていきたい。
多田の言葉は、そう思わせてくれた言葉だった。

・修復不可能と思われることも、別な形で再生することはできる。

この物語の最後に、多田は過去を振り切り、『幸福は再生する。』ということに気づく。

この物語は、「まほろ」という町の中で、多くの人が何かを失い、そして新しく何かを得ながら生きていく物語だと感じた。

多田は、離婚した妻との関係、自身の子どもの関係に悩み、過去に囚われていた。
しかし、行天との出会いや、様々な出来事を通して、「失ったものは完全には戻らない、しかし、幸福は再生し、様々な形で、求める人のところへそっと訪れる。
ということを学んだ。

私は、今の自分の現状に当てはめてみた。

メンタルを壊し、会社を休職することになった自分。
休み始めた頃は、自分が相手をしていた利用者を裏切ってしまったような気持ち。同僚を裏切ってしまったような感覚に悩まされていた。

しかし、この作品を通して、『自分は幸せになっていい。』ということを気付かされた。

おそらく、今の職場に戻ることはないだろう。
それは、これまで築いてきた利用者や同僚との縁を切ることになるかもしれない。

しかし、その出来事に不幸ばかり感じて自分を責めるのではなく、新しい『幸福』を見つけるチャンスなんだと思えるようになった。

完全に元通りに戻るものなんてない。しかし、別の形になって、再生することはできる。
この言葉を胸に、これからの長い人生、自分の幸福を探しながら生きていきたいと思う。


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