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ひとつまえ

実行すること、向かう場所、大きな買い物、それらが最後のひとつ前と思えるようになった。例えるならば新宿に飲みに行くことはもう絶対に無いのだろう。昔、新宿で飲み倒れていたころは無限の未来を思っていた、というより何も考えていなかったか或いは終焉はないと思っていたのかも知れない。新宿はとうの昔に最後のひとつ前を超えている。

能登半島に向かった。能登半島は多分これが最後か若しくは最後のひとつ前になるのだろう。則して断捨離に徹しないとならないのだが逆に増えている。春に日本海で拾った流木とか鎌倉の骨董屋で図らずも買った掛け軸とか。最後の晩餐会の前夜祭にはまだほど遠い気もする。
小さな庭に野菜の苗を闇雲に無差別にたくさん植えた。実がなれてこないともはやなんの苗だかわからない。毎年のことだが、いちいちびっくりして感動する。僅か65円の苗が根付かないで瀕死になる。普段、浪費はするが65円の苗に追肥を施し必要以上に水を撒き復活させようとしている。植物からの救済を求める生気のパワーかも知れない。
一枚の葉っぱが微かに生きながらえている。これが最後のひとつ前。

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