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いがらしみきお「Sink」を再読してみた③

※本稿は②に引き続き「Sink」のネタバレを含みます。あらかじめご了承の上お読みください。

 さて、「Sink」のあらすじに話を戻します。林は、山下に「物」としての家を手放すことを迫ります。以下はそのときの林と山下のやりとりです。

「今すぐ家を出るんだ それしか方法はないんだよ」
「全部捨てろって言うのか」
「捨てるしかないんだよ すでにこの家のありさまを見てみたまえ」(注…山下家は山下がハンマーで空けた穴で天井や壁が穴ぼこだらけになっている)
「オレはな 守るためにやったんだよ」
「守るって なにを守ると言うんだね
ここにあるのは物だけじゃないのかね」
(中略)
「オレはただオレは… 昔のような幸せを取り戻したいだけだ」
(第2巻153〜156ページより)

山下はここで、異変が起こる前の日常を「昔のような幸せ」と定義しています。
それではここで、自分が印象に残ったもうひとつのシーンを振り返ります。
第1巻で、夜遅くに仕事から帰った山下が、息子の変化を案じつつテレビを見ています。画面には、「なんやいな」「わははは」と出演者が戯れるお笑い番組らしきものが写し出されています。
そのすぐ後で、リモコンはテレビの上にあるのに、ふっと画面が消えてしまうのです。山下家を途方もない異変が襲いはじめる前兆の描写です。

作中、私たちが普段感じる幸せが、もしかしたらかりそめに過ぎないものかもしれないという問いを突きつけてくる象徴的なシーンです。
(これを、執筆当時、バラエティでありがちな共演者同士だけが楽しんで内輪受けするようなテレビの様相を皮肉ったと見ることもできますが、さすがにそれは深読みのしすぎでしょう。いずれにしても、本作で、本来ならギャグマンガを本職とされるいがらし先生が笑いには問題の根本的解決や救いがない事実を描いていることには疑いの余地がないように思われます)

「Sink」の怖さの本質は、ここにあります。
私たちが暮らしているありふれた、しかしかけがえのない日常が、ある日突然悪い方向に変わってしまうかもしれないという、おぼろげな不安を、かなりシュールな表現を駆使して描いているのです。

さっきの笑いに関する指摘とは一見矛盾した話ですが、実は、この「シュールな表現」の中に、いがらし先生独自の奇妙なおかしみやブラックユーモア、アート性が感じられるところがかなり多いため、ただひたすら怖いというだけではなく、とても面白くさくさくと読み進めることができるのも本作の特徴です。

それは、たとえば、
・大量のタイヤが壁一面を埋め尽くしたり、
・秋刀魚がめり込まれた林檎が部屋の中に吊るされていたり、
・スカートをはいた少女が、スカートがめくれないように体操服を着込んでから飛び降りたり、
・何事もないような顔をした女性が首に縄をつけられた男性を道路に引きずりながら車を運転している光景(それを通行人が見ながらあーだこーだと騒いでいる)
という不穏で先鋭的なものばかりですが、いがらし先生が「ぼのぼの」以前に描かれた若い頃の作風が、かなりおぞましく暴力的で奇想天外なものだったことを踏まえてみても、納得のいく発想であり描写です。
(私自身は小学生の頃、「ぼのぼの」のファンになったばかりのときに、図書館で見つけた「いがらしみきお自選集」を開いて、4コマギャグマンガでありながらそのあまりの凄惨?な内容に少なからずショックを受けた覚えがあります)

ところで私自身はクリスチャンなので、本作がテーマにしている不安感ともいうべきものについては、自分なりに対処する方法を身につけています。
そのひとつは、実際に起こってほしくないネガティブな考え、悪い考え、ひいては怖い考えが自分の頭の中に浮かんだりしたとき、その考えを「イエス・キリストの名によって」キャンセル(撤回)することです。
そうすることで、なんとか不安な考えに支配されることがなくなります。また、それで実際に不安に思ったことが実現したこともありません。それでも不安なときがあれば、神様に頼ってお祈りしてから委ねるしかないのですが、こうした信仰は個人的には自分の心を守るために非常に大きいものがあります。

思えば、「ぼのぼの」で最も有名かつ屈指の人気キャラであるしまっちゃうおじさんも、元々は色々考えすぎて怖い考えになってしまうラッコのぼのぼのによる想像の産物ですが、作者のいがらし先生は、「好書好日」(朝日新聞社)のインタビューでこのしまっちゃうおじさんを怖い考えが幸福を逃すことを戒めるためのなまはげ的キャラであると明かされています(リンク記事参照)

私自身も、どちらかというと余計なことを考えすぎて、思い悩みやすいタチなのですが、だからこそ聖書では「思い煩わなくてもいいんだよ。空の鳥は人間みたいには働かないけど神様によって生かされているだろう。それなら鳥よりも価値があり、頑張って生きているあなたがた人間には(そしてなんらかの理由で、頑張りたくても頑張れない私たち人間のために)、なおのこと神様が心をとめて生かしてくださっているんだから、大丈夫だよ」と励ましてくださっているのだと思います(筆者意訳。正しい原文はマタイの福音書6章26節前後を新改訳、新共同訳などの言語に忠実な訳でお読みください)決して鳥のように働かずに生きよと促しているわけではないです(しかし、自分を捨てるというテーマをさらに深化させた2000代以降のいくつかの作品、さらに近年の「ぼのぼの」のいくつかのエピソードを読むと、いがらし先生は意外と今も、先生なりに聖書をひそかに読んで思索を続けておられるのではないかとも思えてきます。あるいは勘違いかもしれませんが、もしそうではないとするなら自分の指摘は余計なお世話どころか蛇足以外の何者でもないでしょう。昨年復刊された「IMONを創る」も最寄りの書店で先日購入しました)

さてさて、やがて「Sink」は山下が駿の力によって殺され(ここでの山下と駿の会話が第1のクライマックスというべき場面です)、我に返ってげんざの仕業に抵抗を試みる林もげんざの力によって自ら死へと至るという不条理な展開に進みます。
そして駿の母が駿を刺したシンナー中毒の若者を包丁で刺す、さらにその報復として車でひかれそうになる、そこでとうとう駿の母がげんざの長として覚醒し……という展開は悪夢そのものです。
カタルシスとは、元々ギリシャ悲劇などから取られた用語だと聞いたことがあります。初読のときにはあまり感じませんでしたが、再読のときに感じたのは、怪物になった息子をそのまま愛し続ける母親の愛でした。この母親の愛は、神の無条件の愛(アガペ)にも通じるものがあるといわれています(ちなみに自分も不登校・準引きこもり経験がありますが、引きこもりをモチーフにしたいがらし作品は、現在WEBアクションで連載中の連作短編マンガ「人間一生図巻」にも入っていますが、短いながらも非常に叙情性豊かな一編です。いがらし先生の社会で生き難さを感じ、ときにはみだしてしまう人たちへの視点はいつも温かなものを感じます)

キリストの十字架の身代わりの死と復活を信じている人間、いやそのことを知らない人間にとっても、キリスト教における原罪に対抗しうる救いはキリスト以外にはないと自分は信じています。
仮にこのマンガの主人公を山下ではなく駿の母とするなら、愛すべき存在が反社会的な怪物に変わってしまい、自分自身も悲しみと絶望の果てにその親玉となる怪物へと変わる。
そこには、赦しも癒しも、本来の喜びもありません。しかし最後のページで描かれる、もはや人間ではなくなった駿の母の表情はなぜか笑みを浮かべているのです。なぜでしょうか。

現実の悲惨なニュースを想起させる描写を含めて、読者である私にとって、いや私たちにとって想像しうる限り最悪の展開といっても良いと思いますが、これは作者のいがらしみきお先生にとっても、執筆当時に描き得る戒めとしての最上級の「怖い考え」であったのかもしれません。
そしてこの「怖い考え」そのものが、人間の偏った愛の限界を伝えるのと同時に、かりそめの幸せをぶち壊す意味においてのみ傷ついた人たちへの慰めを与えるのです。

最後に個人的なことを書きます。

私は昨年、都内のサイン会でいがらしみきお先生と初めてお会いすることができました。
いがらし先生は「ぼのぼの」の作風そのままの朴訥として誠実なお人柄が滲み出たような方でした。難聴を患われ、補聴器をつけても会話が聞き取りにくいからとの理由で質問などにはお答えできないとのことでしたが、私の目を見て「こんにちは」と挨拶を交わしてくださり、心のこもったぼのぼののイラストとサインを新作絵本「ボクたちの森のこと」(竹書房)に描いてくださいました。
実はそのときお伝えできなかったのですが、自分には先生にお伝えしたいお詫びとお礼の思い出があります。
お詫びのほうはここには書きませんが、お礼のことは、「ぼのぼの」36巻の読者アンケートのことです。
「ぼのぼののお母さんのエピソードはいつ描かれるのでしょうか?」というような質問を書いたのですが、その後ぼのぼののお母さんのエピソードが連載され、41巻に収録されました。
勿論自分以外にも多数の愛読者からのリクエストがあった上でのものだと思いますが、その中に含まれる自分の要望にもきちんと回答してくださったことは嬉しかったです。

いつか機会があれば、いがらし先生に直接お詫びと感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

また、いがらし先生の他の作品も別の機会に取り上げたいと思っています。ひとまず、拙文失礼しました。感謝。

※写真は左から「ぼのぼの」48巻(竹書房、2023)、「IMONを創る」(石原書店、2023)、聖書新改訳2017(新日本聖書刊行会、いのちのことば社、2017)

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