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コケて、起き上がって。そしてまた、コケる…。

19才の頃、僕は名古屋から役者を目指して上京した。

「馬鹿野郎!そんなもんで金が稼げるか!」
「真面目に働け!」
「考え方が甘過ぎる!」

もう何回言われたかなんて、覚えてすらいない。

事実、上京してから数年間はオーディションを受けては落ちての繰り返し。仕事なんて一切無い。その道で一円も「お金」を生み出せていなかった僕は、言い返すこともできなかった。

一気に自信を失くした。

そんなフワッとした気持ちでいるから、アルバイト中にも色々と失態をやらかしてしまう。

色んなことが上手くいかなくなった。

「キミは普段、何をしてる人なの?」

と言う質問をされるのがめちゃくちゃ辛くて(言葉に詰まるから。)、家族でも無い、高校時代からの友達でも無い、新しい人と出会うような場所は極力避けて来た。

何もかも嫌になった。

やりたい事で結果を出せず、社会にも馴染めない。

“いつからオレは、こんなに駄目な人間になったんだろう…。”

そんな「ネガティブな感情」が、僕の心をじわじわと支配して行く。

夢をもって東京へ来たのに、なぜこんなにも上手く行かないのだろう。

小劇場の、メチャクチャ狭い箱の中で無名の劇団員たちと正直「学園祭」レベルの芝居をやってるような自分たちを“俳優”とは呼べるのか…?

それならまだ和太鼓部として全国大会(夢の舞台)に出場していた高校時代の自分の方が、キラキラして見えた。

『仮面ライダー』に出たいと言う大きな夢があるが、当時の僕は、ローカルでも良いからテレビや映画(マスメディア)に出演して、先ずは一度でも“ギャラの貰える仕事”をすることを目標としていた。

Vシネマ『ドラゴンヤンキー』(監督:佳本周也、配給:ロマネプロモーション)と言う作品で、台詞が一言位ある役と特技の和太鼓演奏で出演させて頂いたことがあるが、こんなんじゃ全然ダメだ。

25才までに芽が出なければ役者を諦めるつもりだったが、この目標を23才までに達成できなければ、もうさっさと辞めて名古屋に帰るつもりだった。

幸い、その目標は23才の頃に思わぬカタチで達成された。

当時、キングコング西野さんの古本コミュニケーションサービス『しるし書店』のクラウドファンディングのリターンで開催されたBBQで出会った沢木 宙さんから紹介されたオーディション案件。

「『仮面ライダー』になる夢、まだ諦めなくて良いんじゃない? 良かったら受けてみなよ。」

「分かりました。そこまで言って下さるのなら、取り敢えず受けてみます。」

と、言った感じでそのオーディションを受けることになり、書類審査を通過し“生放送 公開オーディション”と言うカタチで僕は〈初〉生放送&〈初〉バラエティー番組 デビューを果たした。

占いTV『ピタットTV』イケメン占い師グループオーディション!(2017年9月~10月放送)

この時、2年ほど所属していた事務所をちょうど辞めた(芸能界を諦めた)ばかりだったので、奇跡のようなタイミングでの出来事だった。

残念ながら、このオーディションには最終選考で脱落してしまったのだが、この番組に出演したことが「まだ、オレには何かできる」と思わせる起爆剤になったことは間違いない。

少しずつ、自信が甦ってきた。

この出来事が無ければ間違いなく、きっと今頃この街(東京)を去っていただろう。

そんな昨年の出来事を経て、現在(2018年)に至る。

オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』で出会ったメンバーを始め、応援してくれる仲間が沢山できた。

ブログを開設したり、NKT Online Salonにてオリエンタルラジオ・中田敦彦 先生の『中田プレゼン塾』(月1)の生徒になったり。

生活費を工面しながら、番組の出演依頼を頂いたりと並行してタレント活動も行っている。

かなりざっくりとしてしまったが、ここまでが僕の上京してから現在までの話しだ。

一番最初に思い描いた「理想の人生」を過ごせる人って、世の中にどの位いるのだろう?

少なくとも、いまの自分はそうでは無い。

誰かが言った「生きている限り、人は前に進む」と言う言葉は、本当なのだろうか?

僕はたまに、自分で自分のことが心配なときがある。

どこへ向かっているのだろう?

18才の頃の自分へ。24才のオレはよく迷います。
悩みます。時々、めちゃくちゃ「行ける!」と思うときもあるけど、それでもまた元に戻ってしまいます。そしてまた、立ち上がります。

バカだよね?

良いのかな、オレ? こんなんで。

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