おもしろい人は、皆優しい。

 高校時代、彼氏にフラれた女の子が、教室で泣いていました。

 僕は興味もなかったので自分の席で読書をしていました。いや、実は、ちょっとだけ気になっていたので、視線は本に、聴覚はそのコミュニティにやりました。

 すると泣いている女の子に、女友だちは慰めの言葉を掛けます。

「傷ついた分だけ、優しくなれるよ」

 ん?
 空耳でしょうか?

 別の女友だちも彼女に同意します。
「そうそう。○○は傷つけられたから、次は優しい人に出逢えるよ」

 え?
 この世の会話とは思えない言葉が飛び交っていて、僕は思わず、火星かどこかに来たのかと思いました。
 読んでいた本の世界にタイムスリップしたのかと思い、本を閉じてみましたが、状況はなに一つ変わりません。これは紛れもない現実です。

「傷ついた分だけ、優しくなれる」のなら、この世はみんな優しい人しかおらず、優しい人ワールドが誕生します。
 傷ついたことがない人など、いないからです。

 傷ついた分だけ優しくなれるのなら、傷つけられた分だけ優しい人に出逢えるのなら、僕は傷つけられたいと考えます。優しくなりたいですから。

 それなのに、傷つけられたくないと思うのは、傷つけられたからといって、優しくなれるわけではないことを知っているからです。

 傷つけられたら優しくなれるんじゃなくて、優しくなろうと思う人が優しくなれるのだと思います。

 実に、単純明快!

 ではなぜ女友だちは、こんな言葉を掛けたのでしょうか?
 僕の見解はこうです↓
「傷ついて痛みを知る→人にはこんな苦しい思いをさせたくない→優しくしようとする→優しくなれる」

 でも、よく考えたら、この方程式は破綻しています。
「人にはこんな苦しい思いをさせたくない」
 これ、みんなそう思っているんじゃないですか?
 また、こうは思っていても、実際には優しくできないことってありませんか?

 だから、傷ついた分だけ優しくなれるという言葉は、少しばかりおかしいんですね。
 なにげなく、「それっぽい言葉」が蔓延していますが、言葉を簡単に使ってしまうのは危険で、あまり良い風潮とは思えません。

 言葉を大切に。

 最後に矛盾するようですが……
 どんな言葉であっても、伝わるものは伝わります。なにを言うかではなく、だれが言うか。もっと言えば、「だれが、なにを言うか」が重要なんですね。

斉藤和義/やさしくなりたい
https://youtu.be/ldUFV0ZOJR0

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