教育の可能性

 文系だったもので、数字には弱いんです。

 これは過去の僕の発言です。
 でも、いまなら、こう答えます。

 文系だったもので、いまは数字には強くありませんが、一生懸命勉強をしています。

 文系だから、理数系のことは学ばなくてもいいと思っていました。
 いや、学ぼうと思っていませんでした。

 理由は明確で、「おもしろくないから」

 モッタイナイですよね〜
 いいとか、悪いとかじゃなくて、モッタイナイ。
 だって、学ぶことは「おもしろい」から。

 たとえば、「いま僕は、日本にいます」

 それは日本にいる可能性が100パーセントに限りなく近いから、日本にいると思い込んでいるだけで、もしかしたら僕はスペインにいるかもしれません。顔も濃いことですし。

 当たり前に思っている現象も、その可能性が高いだけで、実は違うかもしれない可能性もある。

 ワクワクしませんか?
 おもしろくないですか?

 僕は、おもしろいと思いました。
 こういったことを考えることは、物理学の分野だそうです。

 これを、「○○×○○×○÷(○+○○)……………………=で求められます」なんていきなり言われても、わけワカメちゃんの襟足です。

 でも、「もしかしたら、君はスペインにいるかもしれない」なんて言われると、おもしろくて興味が湧きます。

 それは、咀嚼して伝えてるからなんですよね!

 難しいことを、難しいままに伝えることは、簡単。
 難しいことを、簡単に伝えることは、難しい。

 これは、物理学に限った話ではなくて、文学にしても、数学にしても、何学というのか分からないけれど、愛にしても、優しさにしても、また、おもしろさにしても言えることだと思います。

 教育者は(教育者とは、すべての人のことを指すと思っています)、教育者自身が物事をよく咀嚼して、わかりやすく伝えるべきだと考えています。
 なにごとも、少しでも愉快なほうがいいですもんね!

 そうすることが、「素晴らしい教育」になる可能性が極めて100パーセントに近いのです。

 学ぶことは、おもしろい。

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