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夫婦で卒サラ移住ストーリー①最強の夫婦が掴んだタイミング

最強の夫婦、とか言ってしまって、
自分でも言い過ぎなような恥ずかしいような気もしますが、
でも、読み返すと、やっぱりそうだと思えたので、
このままのタイトルでいきます。

楽しんで読んでもらえたら嬉しいです。


小学校の教員をしていた私、
企業でプログラマーをしていた夫、
未就学の2人の子ども+愛犬で暮らしていた。

そこから夫婦二人とも仕事を辞め、
新築マンションを売って、無職無収入のまま
地方の古民家に移住したストーリーを書いています。

地方の古民家というのは、私の祖母の家です。
築100年ほどで、増改築を繰り返した古い家。

母の実家でもあるし、
私にとっても実家の次に多くの時間を過ごした場所でした。

そして、母から
「あの家は多希に譲る」とずーっと言われていたので、
なんとなく、いつかあの家に住むか、あそこで何かやるか、
なんだなぁと漠然と思っていました。

そんな田舎の古民家。


実際の写真。空き家のころ。


祖母が亡くなり、
6年ほど空き家になっていたのですが、

私が退職して半年ほど経った頃、
母からLINEが入りました。

「おばあちゃんの家、買いたいっていう人がいるよ」

その一報を受けて、話が急展開しました。


実は、私が退職したのをきっかけに、
すでに夫との間で移住の話題は出ていました。

(過去のLINEを遡って、判明しました)


平日の昼間でも、けっこうな頻度、
夫とLINEでやり取りしていたんですよね。

子どもが昨日の夜こうだった
もっと早く帰ってきてほしい、とか、

こんな子育ての考え方があるんだね
こんなふうに働いている人もいるよ
と記事をシェアしたり、

自己分析ツール使ってみたら私の特性はこんならしいよ
夫くんもやってみて、とか、

お互いの想いや考えをかなり共有していました。


私が教員の仕事を続けていたら
日中にそんなこと絶対にできなかったし、

LINEというものがあったから
離れていてもコミュニケーションをとることができました。
(仕事中だけど💦)


そんな中で、移住もいいよねっていう話もしていたんです。


母が不動産屋さんに登録しているのも知らなかったし、

いつか私の家になり、いつか住むかもしれない、
というのがずっと頭の中にあったので、

祖母の家も移住先候補の一つでした。

とは言え、
数年、十数年先、もしくは叶わない夢だけど…
くらいの気持ちで話していたこと。


それが、母からの連絡で、一気に現実味を帯びたのです。


買うかもしれないお相手の方がいて、
何度か物件を見て前向きになっているとのこと。

もしかしたら、本当に、あの家が人の手に渡ってしまうかもしれない。


それでいいのか?私?
これからどう生きたいの?
どこでどう暮らしたいの?
あと数年、十数年、マンションに居続ける?
LINEで「移住いいよね」って言ってるだけ?
どうしたい?どうなりたい?


すぐに決断はできないものの、
不動産屋さんにお願いして、
とりあえず1ヶ月の猶予をもらえることになりました。


「ちょっと待ったー!!!」

ってやつですね。


ネックだったのは、移住となると、
夫が仕事を辞めなければならなかったこと。

私は教員を続けられなくて辞めてしまったけれど、
生活もローンもあるし、夫は当然働いていました。

当時はコロナ前で、出勤するのが当たり前。
新幹線で通うっていう案も出たけど、現実的ではない。

そんな無理してまで働き続けないといけない?

ローンがなくなれば、だいぶ楽になるかもね。


夫の退職も視野に入ってきて、
なんと、人事の関係で、2週間で決めるしかなくなった!


私の選択は一択。


人生変えたい。このままじゃいやだ。
お願い、仕事を辞めて、一緒に移住してくださいm(__)m


夫の返事は「YES」


仕事が嫌なわけでもない、人間関係も待遇も悪くない。
でも、辞める選択をした。


いつもこのことにとっても驚かれるけど、
当時を振り返って、夫曰く、

多希のやりたい気持ちにストップをかけてまで
自分が仕事を続けたい理由はない。

収入の不安定よりも、家族の安定の方が大事。

私はそれを聞いて、改めて思った。

この夫がいてくれて、私もここにこうしていられる。



私はけっこういろんな行動を起こします。

教育への想いシェア会
7つの習慣ボードゲーム会
感じるアートWS
古民家ベジCook

イベントを自宅で月に3回4回やるし、
多額はたいてコンサルや講座を受けるし、
教育をより良くする活動を始めるし、
自分のオリジナル講座で生計立てたいと言い始めるし、

こんな生き方すると思ってなかったし、
私がこんなに自分のやりたいことに邁進できるのは、
本当に夫がいてくれてこそ。

すべてのその陰に、夫の支えがある。

だから、夫のためにも、
私は決めたことをやり抜かないといけないって思ってるし、

たぶんやり抜かないと死んじゃうような人間だから、
夫はそれをわかって、やらせてくれるんだと思う。

でも、それが私たちだな、って心底思う。


お互いの特性を理解して、ただただ自然な状態でいられるように、

そしてどちらかが我慢するんじゃなくて、お互いの望みが叶うようにしている。


私が教員を辞めて、
自分の自然な状態や望むものがわかってきたからこそ、
そう思えるようになったし、できるようになった。


しがらみなく、ゼロから人生をもう一度考え直したかった。
生き直したかった。

私の人生には夫も子どもたちも必要で、
家族みんなでもう一度、という気持ちが強かった。


それで、本当に幸せになりたかった。

見せかけでもなく、妥協もなく、
本当の本当に幸せになりたかった。


それには、卒サラして移住が必要だった。

それがそのときの私たちの正解だった。




この記事を書くにあたって、当時のことを二人で話しました。

コロナ後だったら、リモートで勤め続けられたよね、
って話になったけど、

私も夫も、辞めて移住して正解だった。との結論です。

「私たちの正解」が続いてる!!


収入の安定はなくなったけど、
辞めなかったら経験できなかったことがたくさんありすぎて、
もちろん大変なこともあったし、今もすべて順調とは言えない、

だけど、

「今」は人生で一番幸せだと胸を張って言える。
そして「これから」も幸せになり続けていく自信だけはありますね。

これは、大げさでなくて、ほんとのほんとに。


それは、

自分たちで軌道修正していく力がついたし、
自分たちの手で人生をクリエイトしてるような感覚があるから。

そして、諦めなければ、なんでもできる。叶う。という経験。

これぞ生きる力。


でも、夫がいなかったら、私は今こうしていられないし、
夫も私がいなかったら、ここまでできていない、はず。

もう最高で最強の夫婦ですね!!笑


夫のおかげ、というのもとても大きいのですが、

人生を変えたいと強く願い、
移住をもちかけ、退職を推し進めた、

「私の変化」が、私たち夫婦の変化の要だと思うんです。


元々の私は、絶対にリスクを負いたくない、守りの人間だったのに、
どうして一歩踏み出そうと思えたのか?


そこは深掘りする価値がありそうですね。

私の内側の変化には、どんなプロセスがあったのか?

次回はそれを綴っていきたいと思います。


また読んでいただけたら嬉しいです!


長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございます!

これだけ書くのに、めちゃくちゃエネルギー使うので、
いいねやコメントいただけたら嬉しいです!

次もがんばって書きたいと思います!


次の記事はこちら


《卒サラ移住ストーリー・プロローグ》


《私の退職~起業ストーリー》


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