夫婦で卒サラ移住ストーリー②どん底から見出した幸せに生きる軸

夫婦で卒サラ移住ストーリーを、たくさんの方に読んでいただき、
いいねやコメントもたくさんいただき、
ありがとうございます!

励みになりつつも、勝手にプレッシャーを感じたり、
うまくまとまらずに自責の念にかられたりして、、

でも、これを書ききった時に、
私にとって必要なものが得られる気がしていて、
そのワクワクする可能性を信じて書いていきます!

最後までお付き合いいただけたら嬉しいです^^


このストーリーを書き始めたのは、

夫婦で無職、無収入になって移住って
普通じゃない。

なんであまりその部分を語ってないの??
そこに何があったの??

そう言われたのがきっかけ。


確かにすごい決断してここまで来たとは思うけど、
私たちはこれしか選択できなかっただけなんだよなー。


私たちにとっては当たり前なこと。

でもそれは、私たちだったからの選択。
「私たちだからこそ」の何かがそこにある。


じゃあ掘り起こしてみようってやってみたら、
本当にここに大事な部分が詰まっているのが見えてきました。



前回の記事では、

夫婦で卒サラ移住に至ったきっかけとして、
「大好きだった祖母の家が、人の手に渡るかもしれない!?」
そこから急展開、約2週間で夫の退職&移住を決断した経緯を書きました。


なので、移住は「タイミングだった」ってよく話すんです。

でも、いくらタイミングでも、
そう簡単に、小さい子どもたちがいて、無職無収入になって、
環境をガラリと変えることはできないよ。と。

そこにいったい何があったのか?


よくよく考えてみると、おばあちゃんの家は、
私たち家族のライフシフトの

「きっかけ」ではあったけれど、
「絶対条件」ではなかったんです。


大好きなおばあちゃん、思い出のある家。
であることは間違いない。

でも、私たちにとって、絶対にその場所である必要はなかった。


一番は、

人生を変えたかった。


その想いがめちゃくちゃ強かった。

それができるタイミングを待っていて、
そしたら、それが目の前にやってきたから掴んだ。

それが夫婦で卒サラ移住だったというわけなんです。


そう、私は人生を変えたかった。


でも、私はそのタイミングですでに退職していたので、
これから何をやるにも自由の身でした。

転職してもいいし、専業主婦になってもいいし、
学びたければ学べばいい。休みたければ休めばいい。


その時は、一馬力だけで不安だというのはあまりなかったので、
とりあえず、好きなように選べばよかった。

その先に「人生を変える」ということはできる。

夫が安定して稼いでくれていれば、
その方が肩の力を抜いていろいろできたかもしれない。


でも、それを選ばずに、二人で無職無収入になる道を選んだ。

なぜ、そっちに向かったのか?

というところなんですよね。


働く環境が変わればよかったのではなかったんですね。

私が一番変えたかったのは、


無理してがんばって疲弊する
その繰り返しの人生であり、

その結果、
自分も家族も傷ついたり我慢したりする人生。


です。

それを本当に本当に変えたかった。



移住ストーリーの一番最初に、

教員でつまずいて
子育てでもつまずいた

と書きました。


私は、教員時代も子育てでも、
無理して自分のキャパ以上にがんばって、

その先にせめて幸せがあればよかったけれど

疲弊して、環境を悲観して、無価値感にさいなまれて、
家族に当たって、そんな自分を責めて、

どんどん不幸のほうに向かっていました。


これまでの人生で一番のどん底だったのが、
教師として担任をもちながら、学校に行けなくなったこと。

育休から教員に復帰して、
育児と教師の仕事とに奮闘したけれど、
ある日プツンと糸が切れてしまい、
私が不登校になってしまったのです。

そんなこと、絶対に自分に許せない人だった。
任された仕事があるのに、それを放棄して自分のことを優先するなんて。
何が何でもがんばり抜かないといけない。

でも、もう限界だった。
そしてバーンアウト症候群、うつ状態、ということで休職しました。



しかし、母親の仕事は休めない。

夫は都心に勤めていたので、私が主に家事育児。
働いてないんだから、当たり前。

3歳1歳の子どもに、
ごはんを食べさせる、お風呂に入れる、着替え、寝かしつけ、トイレのお世話、保育園送り迎え、、、

書いてみるとこれだけだけど、
この行間にいくつもいくつもいろんなことがあるわけで、

私は自分を保てなくなっていました。


そんな私を、夫は仕事もありながら、フォローしてくれました。

でも、夫は稼いでくれてる。
だから育児は私の役割。やるしかない。
やれない自分は許せない。

でも、全っ然上手くいかない…。

3歳1歳の子どもに、イライラをぶつけ、怒鳴ることも。

「お母さんがこんなにがんばってるのに、どうしてわかってくれないの?」

と子どもを責めてしまう始末…。


そして、そんな自分に自己嫌悪しまくって、
夫にも当たるし愚痴をはく。

夫のフォローは増えていく。
穏やかだった夫も、かなりストレスを感じていて、
すれ違うことも増えていきました。



こんなにがんばってるのに、私は誰も幸せにできない。
私自身も全然幸せじゃない。

むしろ私は悪影響でしかない。
私なんていない方がいい。


そんな生き方をしていて、違和感はありつつも、
人生を止めることって、なかなかできないんですよね。

でも私は休職して止まることができた。
今となっては、本当に良かったと思っています。



これらの経験があって、

「無理のない自然な状態でいること」

これが私の中の譲れない軸になっていきました。



私が一人で子育てを抱えようとすると、それは、
無理しなくてはいけなくて、不自然に私を歪ませてしまうことだったんです。

私は子どもを愛せていないのかも…母親失格だ…
って悩んだこともありましたが、

今となっては子育ての概念も変わってきて、
子育ての形は十人十色。
必ず自分に合った形があると思っています。

今は最高の母親だ〜と思ってやってます。笑


当時はそこまでわかっていなかったけど、
とにかく夫がいてくれると、本来の自然な自分でいられる。

子育てにもっと夫が関わってくれて、
父親として子どもを見てくれる時間が増え、
母親として悩む私の話を聞いてくれる時間が増え、

つまり、夫がもっと家にいる時間が増えたら、
私たちはもっと幸せになれるよねって、

その共通認識をもっていたんです。



無理してがんばって
やるべきことをこなしていく人生じゃなくて、


無理せず自然な状態でいて
自分も相手も幸せにしていく人生に変えたい!



子育てを夫婦でもっとシェアしていく。
それが私たちが求めていた形。


そう、だから、
祖母の家の話が舞い込み、退職して移住を掴み取ることができたんだ。

ストーリーを書いて、改めて気づくことができました。



さてさて、移住ストーリーを①②と書いてきて、
もうこれだけでも十分な気もしますが、

しかししかし、
もう一つ、語らねばならないことがあります。


無理をしない人生、もちろんそうありたい。
そこへの強い気持ちもわかった。

だけど、それだけじゃあ無職無収入で新しい人生は歩めない…

だと思うんです。


そう、そこに飛び込むことができたのは、もう一つ理由があります。


そして、それがあるから私たちは、
安定がなくなった今だけれど、
これからも幸せになっていく自信がある、と言えるんだと思う。


これを語らざるして完結できません~


ということで、引き続き、書いていきます!


今回も長い文章を最後まで読んでくださり、
ありがとうございましたm(__)m


次のストーリーはこちら。



《これまでの移住ストーリー》


《私の教員退職~起業ストーリーはこちら》


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