くしゃくしゃで期待はずれな私の履歴書

どこまで本気で言ってたのかは分からないけど、なりたかった理想像とまで言ってもらえるなんて仕事人冥利に尽きる話だ。

だけど実際のところ、私自身のこれまでのキャリアは順風満帆とは言い難いものだった。

採用面接などで「どんなキャリアを歩んできたのか」と聞かれることは多いのだけど、期待されているようなエピソードは用意できないので、あまり他人には話したことがない。

なんでこの話を公開しようと思ったのかは後の方で書くけど、このエントリーはそんな私がたどってきたキャリアのお話です。

就職活動と最初の挫折

採用や面談をしていると「この会社で教育してもらい、成長させてもらおう」という姿勢の人に出会うことがある。

私も新卒時代はこのタイプの人間だった。
就職活動での軸はただ1つ、世の中の最前線で活躍できる仕事に就くこと。
そういう企業に就職しさえすれば、仕事を通じて自分のスキルとキャリアが自動的に育っていくのだと根拠もなく思っていた。

そんな私が選んだ仕事は大手携帯電話メーカーでのソフトウェア開発。
まだスマホ以前のいわゆるガラケーの時代だが、誰もがみんな携帯電話を持っていたし、ソフトウェアエンジニアはこれからの時代をリードしていく最先端の職業になると思っていたからだ。

恐らくその読みは外れていなかったものの、エンジニア採用だったはずの私を待っていたのは、コンテンツの制作管理をする部署への配属だった。
ここでいうコンテンツとは昔なつかしiアプリやデコメ、壁紙、着メロのようなものを指す。
つまり与えられた役割はコードを書くエンジニアの仕事ではなかった。

私のキャリアプランは一番最初から躓いてしまったわけだ。

***

配属された部門は開発組織にありながら自分たちでコードを書く仕事ではなかった。
それが災いして技術のない人でもこなせる業務であるという誤解を生み、窓際社員たちが島流しのように左遷させられてきていた。

チーム全員がダメだったというわけではないが、中堅の先輩社員はパソコンの基本操作が分かっていなかったし、昇進試験の勉強しかしていないおっさんもいた。
真偽の程は定かではないが、近くのデスクに座っていた謎の女性は、部長が通っていたクラブの元ホステスだという噂まであった。(何を言ってるのか分からないと思うが私も分からない)

会社に自分のスキルアップやキャリアの面倒を見てもらおうとしていた他人任せな私の思惑は、この時点で完全に破綻していた。
それどころか業務を通じて成長する道筋は見えず、教えを請えるような先輩社員もいない。
私のキャリアは早くも八方塞がりな状態になっていたのだ。

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それなりに忙しくはあったものの、エンジニア観点では業務から学べることが乏しかったため、プライベートの時間を削ってアプリやWebサイトを作った。

それらを作るために必要な知識を身につけることが出来たのも、アウトプットを公開してユーザーからフィードバックを得る経験ができたのもインターネットのお陰だ。
自作アプリがランキングサイトで1位になったり、巨大掲示板にスレが立って話題になったりすることは、自分の考えたプロダクトが世の中で受け入れられ、通用することの証になった。

もちろんキャリアアップのための取り組みでもあったが、大企業の中のいつでも取り替えの効く歯車でしかなかった私は、自分はちゃんと世の中に出ても通用するんだと、自分で自分自身を納得させる必要があったのだ。

最初の転職と諦めてしまったもの

そんな日々を送っていた頃、転機は突然に訪れる。
iPhoneの鮮烈なデビューから始まるスマホシフトの激流に、日本で最先端を走っていたはずのガラケー市場は一瞬のうちに飲み込まれた。

危機感のない社内には、スマホなんて流行るわけないという緩みきった空気があったし、間が悪いことに経費削減の名目で研究開発費が大幅に削られた時期でもあった。
他社が1年かけてAndroidの研究開発に投資し、日本発のスマートフォンが販売され始めた頃、社内ではようやくスマートフォンの開発プロジェクトが立ち上がったところだった。

周回遅れのスマホ開発プロジェクトに携わりながらキャリアに対する危機感は日に日に強まっていくばかり。
生き残っていくために転職はもはや避けられない選択肢となっていたが、転職活動は予想通り困難を極めた。
人材市場での私の価値は0に等しかった。
いかにプライベートの時間を費やして実戦値を蓄積していたとしても、職務上の経歴は所詮、業務でコードを書いたことのないソフトウェアエンジニア以外の何者でもなかった。

私はこのとき、ずっと夢見ていた職業エンジニアとしてのキャリアを諦め、猫の手も借りたいほど人手を欲していたメガベンチャーで、SNSプラットフォームのディレクターとして生きていく道を選んだ。

***

新しい会社は、裁量労働のくせに風紀委員みたいな奴らが毎朝遅刻チェックをしていたし、日付が変わる前であれば「早退します」と言いながら退勤するくらいにはブラックな環境だった。
(たぶん今はそんなことないと思う)

ベンチャーらしく(?)マネジメントが未成熟な会社だったし、エンジニア中心の企業文化の中で、ディレクターと呼ばれる私たち企画職の業務範囲は開発以外の全てだった。

しかし時代の流れに乗って莫大な利益を出していたため、とにかく優秀な人材が集まっていたことが私にとっての好機となった。
SNS上のプレゼンスしか脳がないような実務能力0のインターネット芸人たちも一部にはいたが、業界の最前線で名を馳せていたスーパーエンジニア達に囲まれて仕事をすることで、それまでとは比較にならないほど多くのことを学んだ。

仕事では開発経験がなかった私だが、プライベートで身につけたプロダクト開発の経験が、エンジニア達とのコミュニケーションを助けてくれた。
思い通りのキャリアパスには乗れなかったけれど、劣等感の中で必死に身につけた知識やスキルは確実に自分の財産になってくれていたのだ。

前述の通り職場環境は酷いものだったし、今更二度と戻りたいとも思わないが、この頃に多くのことを学んだ経験が今の私を形作った。
その後二度目の転職を経て現在に至るわけだが、その後の話はまた機会があれば別の文章にまとめたいと思う。

台無しにしてしまったあの頃の自分に向けて

なんでこんな失敗だらけの経歴を公開しようと思ったのか。

きっかけは、いま所属する組織で新卒出身の2人が以下のような取り組みをしたことだった。

環境に慣れてくると、身の回りの風景は変わり映えのしないものに映るし、隣の芝生はいつだって青く見える。
そんな中で、こんなふうに新卒出身の社員たちが自分たちの経歴を自信を持って公開していける環境はやはりかけがえもなく素晴らしいのだ。

救いのない私の新卒時代とは比べるべくもないのだけれど、そんな私でもこのような優秀な新卒たちが集まる企業の中で戦い続けられているという事実は、望まないキャリアを今も歩いている誰かの希望になるだろうか。
キラキラした理想のスタートを切ることが出来なかった人や、志半ばで夢見ていたキャリアが途絶えてしまった人達に、そこが行き止まりじゃないんだよというメッセージが少しでも伝われば幸いに思う。

前にしか進んでいかない時間の中で、過去のやり直しなんて出来るはずはないのだけれど、他の誰かに「なりたかった理想像」とまで言ってもらえた今となっては、台無しにしてしまったあの頃の日々を少しは帳消しにできたような気がしなくもないのだ。

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Kazutaka Irie

thanks

みんなのフォトギャラリーで写真使用頂いたもののまとめ
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