夫婦岩

理不尽の中で生きていくために

世の中には矛盾が溢れている。

・自分の機嫌で指示が変わる上司
・「やります!」と言ってやらない部下
・人に依って体裁を変える人間

世の中には余りに矛盾と理不尽が溢れている。

世間一般的には一貫性が大切だと言われているにも関わらずだ。この矛盾とどう付き合うかってのは人間の、少なくとも自分自身の課題だと思っている。そんな時は自分自身にも尋ねてみる。

お前自身に矛盾はないのか?

この問いに対して、首を横に振る事が出来る人間はいないだろう。つまり、あなた自身も矛盾を孕んだ存在だという事だ。

「矛盾」という言葉には、道理に合わないと言った否定的なニュアンスが含まれていると思っている。

だが、本当に否定的なモノだけだろうか?

例えば、映画火垂るの墓。

節子のためにトマトを盗んだ清太。
こっぴどくぶん殴る畑の持ち主。
泣きながら謝る清太を警察官は許した。

窃盗は明らかな法律違反である事は間違いない。だが、清太の置かれた立場、節子の置かれた立場、戦争かという状況。これらを鑑みて、一概に清太を責めることが出来るだろうか?

少なくとも、俺には出来ない。

つまり、文脈や状況次第で、物事の善し悪しはいくらでも変動しうる。一貫した「正義」などこの世には存在しない。

世の中は理不尽に溢れている。極めて理不尽が多い。誰もがそう感じている事だと思う。だが、相手の背景や置かれた立場、状況や文脈を配慮すれば、異なる見解が出てくること等、ざらにある。

そうすれば、人に優しくなれるのでなないだろうか。もっともっと思い遣りのある社会になるのではないだろうか。

そんな事を考えながら、俺は日々生きている。

誰もが「良く生きたい」と願っている。その願いが実現するかどうか、自助努力の範疇を越えたモノもある。だからすべてを自己責任論に帰結させる事はあまり得策ではないし、不毛なのではないだろうか。

関わる人へのちょっとした感情移入と自身への内省があれば、もう少しだけ優しい世の中になるのではないだろうか。

そんな風に俺は思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?