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第20話 | 20歳≠大人

近頃、また人生の岐路に立っていると考えることがある。

何が自分にとって大切なものでそれを軸に生きてゆきたいのだろうかと。

ここ数年の間、私自身たくさんの人と出会いいろんな曲折を経て飲食関係の仕事とりわけパティシエをして暮らしている。

パティシエという職業は、将来図だけをみて話すと転職して他のお店に行くことこそがキャリアアップで経済的な面でも大幅に成長することが多い。
概ね同職の人たちの夢は、「自店舗のオープン」や「現職場でのシェフクラスになる」というものである。

だが今の時勢、結構いるのが「将来像が見えていない」という人たちだ。
他業種に比べて数は少ないのだろうが少なからずいる。
そういう人たちはではなぜ、今の職業に就いたのだろうか。

また男女と分けると差別にあたるのかもしれなが、ほとんどの女の子が一度は夢見たことのある職業(パティシエ)だ。

私自身、なぜ志したかは単純に作るのが好きだから、というのと自分にしかできない仕事(いわゆる手に職とういうもの)が欲しかったからだ。
好きだからという理由は本当に強い。
能動的であるからこそ頑張っていられる期間がかなり長いように思える。

実際非常に成果も出せるほど直向きになることができた。
専門学校内では主席と同等の位置付けである成績優秀者というもので卒業もできたし、個人で休日に家で籠って作っていたお菓子の数々はカレンダーにもなった。
就職も大手の菓子メーカーに内定が決まり大阪の地を離れて関東で働くことも決まった。

そんなこんなで今、東京の某パティスリーにいるのだが、ここで問題が起きた。

まず、先生や上司からの言葉というものは経験的にも年的にも上なのでナンの憚りもなく受け入れることができるし当然のことわりなので自然に入ってくる。
しかし現れたのが年下の先輩だ。

言葉遣いは職場では敬語プライベートではタメ口と言ったように自分の中で決めていたのでそうしたし、プライベートでもとても仲良くしている。

だが、なんだろうこの気持ちは素直になれない自分がどこかにいる。
自分の得意としてきた分野だからこそかもしれない。
承認欲求や優越感は少なからず人には必要なものだと思っていて、そこを傷つけられる感じがいつもする。
何か教わるときにすんなりと入ることもあればライバル視している節が心のどこかにあるからなのか対抗心を燃やしてしまうこともある。

手の器用さやお菓子に対する知識量、経験則etc…
全てにおいて劣等と感じることがあり今までの大阪で培った生意気ながらも少しの自信とやらが全て崩れたようで
これはかなり引きずった。

お菓子に関して何をしてもすごい奴がいるし努力したとしてもアキレスと亀のようにいつまでも追いつけないような気がして、その気も喪失しかけている。
プラスα- 他の同期や歳の近い先輩後輩ほどお菓子について向上心がなくなってきている。
そこそこできるようになったし、満足がいっているのかもしれない。
今はもっと料理が楽しいし、盛り付けや彩り器を見て感動する。

これについてはまた詳しく書こうと思うが、、。

20という年月からはや3年経った今、大人ってなんだろうとよく思う。
理不尽をうまく自分の中で処理できるようになること
好きと仕事の違いを心得て割り切れるようになること
たくさんの大小問わない悲しみを乗り切っていくこと
己の中の言葉にならないような感情にも向き合うこと
経験を踏まえてどんどん大人になるから20歳になったからどうとか、25歳だからどうとか逆に大人に対して遊び心あるねの遊び心が意味することとか
考えが絶えなくなるのが大人になるってことなのかな

これから先パティシエを続けていくかどうかなんてわからないしきっと今の会社にはもうそんなに長くはいないと思う。
だけど飲食業界との出会いは本当に合っていると感じたし、この先も携われたらなとは思うのでその時にまた心の整理を。。。

ps--
話数が20にもなったのでタイトルで少し遊んでみましたがこんなに書くとは思ってもみなかったし書くことで自分の整理がこんなにもつくのかと非常に感激しています。


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