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芸術としてのサッカー論

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サッカーを"非"科学的視点から思考する
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【告知】 オンライン座談会|井筒陸也×河内一馬:『サッカーを「書く」』

初めて彼の文章を読んだとき、これは何か「普通のJリーガー」ではないなと、そう感じました。『敗北のスポーツ学』という哀愁の漂うタイトルをつける井筒陸也が書く文章からは、サッカーをプレーするということに対する大きな苦しみや、葛藤のようなものを感じ、それからしばらくして彼が『プロサッカー選手を辞める』とメディアで突然発表したとき、僕は「Jリーグが新しい領域に入ったな」と、なぜだかそう確信したのを覚えています。 その後運よく出会うことができた僕らはこれまで、サッカーというものを軸に

20代の責任世代へ 『50年後のサッカーを、じっくり考えよう』

学校が封鎖する。それが1つのデッドラインだと、ある人は言いました。地方の学校が生徒不足によって閉鎖すると、そこから一気に住民が減っていき、移住者を増やすことをさらに難しくしてしまう。子供が居る家族が、もしくは子供を持つ予定の夫婦が、学校に通えない場所に住むのは極めて困難だからです。 ここで、あらゆる疑問が浮かんできます。これまで日本サッカーの選手育成において大きな役割を担ってきた地方の高校(部活動)は、これからどのような道を辿るのでしょうか?地方にある強豪校へ入学することを

自己認識を難しくする「アドバンテージ」とは——日本サッカーは強いの弱いの?金になるのならないの?

ある戦略を立てる際、現在地の把握(自己認識)がもっとも重要な要素の一つとなります。しかし時として、様々な要因が複雑に絡み合っている物事に関して、私たちは自分が立っている場所を正確に把握することが難しい場合があります。何が要因で私は今ここに立っているのか。何が要因でここまで来れることが出来たのか…。日本サッカーは、もしかしたら今、そういう状態にあるのかもしれません——。 *** これまで長く続いていた、サッカーの競技人口が右肩上がりに増えてゆく局面は終わりを迎え、既に日本全

『人口減少×サッカー』 Jリーグ経営戦略と日本サッカー成長戦略に強いられるパラダイムシフト

サッカーを日本人がプレーするに際して、強化、人材養成、またはクラブ経営におけるブランディングなど、ありとあらゆる分野において「世界の基準」または「世界のルール」で行っていく必要があり、「日本サッカー」然り「Jリーグ」然り、それらがサッカーという分野において「単体」で存在することは不可能である。と、これまで私は様々な視点で主張をしてきました。 上記のようなことを主張すると、必ず以下のよう指摘があります。 『日本は日本だから今のままでいい』『海外が全て正しいというわけではない

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『言い訳』 日本人はなぜW杯で勝てないのか

では、言い訳を始めます。 ——よく「練習しないほうがうまくプレーできる」と言いますよね?練習しなくてもいいチームプレーは、プレーそのものが自然だし、そもそも自分たちに合っているんです。逆に練習しなければならないチームプレーは、プレーがチームに向いていないんです。それに気づいてからは、練習しなくても成立しそうなプレーを考えるようになっていきました。 ダルビッシュ有(カブス)がこんなことを話していたことがあるんです。彼は変化球を試すとき、いきなり実戦で投げるそうです。それがい

「アメリカ代表」と「羽生結弦」が見せた勝ち方のお手本——。 世界の女子サッカーは今どこで何をしているのか?

女子サッカーW杯が幕を閉じた。名実ともに、圧倒的な強さで優勝を果たしたアメリカ代表が、近年女子サッカーの発展著しい欧米諸国に対して「私たちがチャンピオンである」と、厳然たる事実を叩きつけた。 彼女たちは、いかにして“必然的に”トロフィーを勝ち取ったのだろうか。そこには、複雑な要因が絡み合っている。 ■史上最高のW杯前提として、私は長年女子サッカーを追いかけて来たような人間ではない。なでしこが優勝したW杯を除いて、熱心に女子サッカーの試合を見た記憶はあまりなかったのが正直な

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「正しい」と「結果」の関係性——。サッカーに期待できる本来の「教育的効果」とは

日本では、多くの人間がスポーツに殺され、スポーツが教育(らしきもの)に利用されることで、ある種間違った洗脳をされている人々がいることを、私たちは決して否定することが出来ない。ここに並べるまでもなく、日本のスポーツ界では、度々信じられないような問題や事件が発生する。異常な練習量は日常茶飯事であり、指導者(大人)による競技者(子供)への暴力や、社会事情や政治的理由によって競技者が犠牲になること、またそれらを引き起こすのが必然とも取れる構造的問題は、枚挙に遑がない。 私たちはなぜ

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『お前は一体、サッカーで何がしたいんだ?』

父は「野球のルールは複雑だから、お前にはまだ難しい」と僕に言った。自分がサッカーを始めた理由は、多分、これだと思う。実際のところは覚えてないけれど、キャプテン翼に感化されてサッカーを始めたわけでも、憧れの選手がいたわけでも、身内にサッカーをしている誰かがいたわけでもなく、なんでサッカーを始めたの?と聞かれても、答えることが出来なかった。 今となっては、この「サッカーを始めたきっかけ(理由)がわからない」ということに対して、特に何も思っていない。むしろ、数あるスポーツの中から

勝ち負けにおける「適切な精神的状態」の定義——。 正しいから当たるのか?当たるから正しいのか?

人が何かを成し遂げようとする時、そこには「精神力」や「集中力」が必要である、とはよく謳われる。特に私たちがいる勝負の世界では、それを口にしない人はいないであろうし、またそれは間違いない事実であろう。では、サッカーにおいて“適切な”精神的状態とは、一体どのように定義するべきであろうか?その定義を明確に定めなければ、本来サッカーにおいて「精神力」や「集中力」などの言葉を使うことは出来ないはずである——。 ▼前回の記事(Vol.4) ■「技術」と「影響」前回の記事では『Comp

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サッカーという競技は「技術」に集中するべきか?それとも「影響」に集中するべきか?

人が何らかの目的を達成しようとするとき、時や場を同じくして、同じ目的を達成しようとする「他者」の存在があるかないかによって、必要になる戦略や、それに伴う自らの行動指針が変わることに疑いの余地はない。しかし何かを「争う」者たちは、時にそれを忘れてしまう——。 ▼前回の記事(Vol.3) ■「時空間」と「妨害」の概念 “競争と闘争の違いで最も大きなポイントとなるのは「時空間」と「妨害」である。「妨害」とは「競技者が目的を達成しようとする過程において、相手競技者に意図して干渉

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『モナ・リザ』を観る人と『スポーツ』をする人の思考——。“2つの事実”にどう向き合うべきか?

例えばサッカーをプレーする選手の「思考」と、美術館で芸術作品を鑑賞する人の「思考」には、どのような共通点があるだろうか。共通点が見えれば、そこから相違点を探ることもできる。勝ち負けがあるスポーツ競技と、勝ち負けが存在しない芸術鑑賞は、一体何が異なるのだろうか——。 ▼前回の記事(Vol.2) ■「競争」と「闘争」の関係性私は18歳から21歳まで東洋医学を学んでいた。学校も卒業し、国家資格も取得している。それでも1年くらい勉強した段階で「自分にこの道を極めることはできない(

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人間の脳には『“思考態度”のエラー』と『“思考回路”のエラー』が存在する

スポーツ競技とは「争」うことであり、事前に定められたルールに基づいて、どちらが多くの得点を奪うか、どちらがより美しいか、どちらが先に目的を達成するか、などの「優劣」をつける行為であることは間違いないが、では、「“競う”ことで争う」行為と「“闘う”ことで争う」行為、この両者に違いはあるのだろうか。 ▼前回の記事(Vol.1) 前回の記事では「サッカーとは何か?」を把握するために、存在するスポーツ競技を単純化することで「6つ」の競技に分類し、その分類方法を『Competiti

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【総論】 なぜ私たちは闘う必要があるのか?:Competition and Struggle Theory(競争闘争理論)

——— ある何らかの事柄を分析する際、私はよく、その事柄自体を抽象化し、他の類似する事柄と対比させることで、それによって生まれる相違や類似、または一致を元に思考を重ねていきます。私にとってそのような思考法は、これまでの人生において無意識的に行なっていたものでしたが(それに気付くのにも随分と時間がかかりました)、こと「サッカー」という、人生における最も重要な事柄においては、ある種、意識的に行う必要があるのではないかと、そのように思っております。 まして、私は「サッカー」という

なぜ彼らは異常なまでに「見た目」に気を配るのか——。“弱い”と“ダサい”は比例する

人は本を表紙で判断する。最高の製品、最高の品質、非常に有益なソフトウェアなどを備えていたとしても、見せ方がいい加減であれば、いい加減なものにしか見えない。創造的で洗練された見せ方をすれば、望ましい特性を持たせることが出来る——。  ▼Vol.3 * 冒頭の文章は「本の売り方」について書かれた書籍から引用したものではなく、ニュージーランド代表ラグビー集団「オールブラックス」について書かれた著『問いかけ続ける』から引用した文章である。この本には『世界最強のオールブラックスが

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