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『消えてゆくフットボールに、僕らは何を想うのか。』

小さな子供が泣いている。お母さんに何かを訴えたくて、泣いている。その時母は、泣いている子供と一定の距離を保ちながら、声を発することなく、抱きしめることもなく、ただ動画を撮っている。声をかけないようにしているのも、一定の距離を保っているのも、きっと「コンテンツ」として使うためだろう。

子供が泣いている、母は黙って動画を撮っている。こんな光景を見るようになったのは、スマートフォンが普及してからか、それともSNSが日常になってからか。僕はそのような動画を見るとほんの少し悲しくなり、初めてその光景を見た時、ちょっとだけ早く生まれてくることが出来てよかったなと、確かにそう思った。「この世界」に対するネガティブな違和感は、それくらいの頃から芽生え始めていたと思う。


ヘイト

あるときTwitterで、僕のもとに誹謗中傷のコメントが届いた。僕はこれまでもそのようなTweetをもらうことは何度かあったけれど、気にして落ち込むようなタイプではなかった。その時も、自分の為だけに並べられた意味不明な言葉たちをじっと見つめているだけで、傷付いたとか、悲しかったとか、そういう感情とはまた別の、何かネガティブな違和感が頭を支配した。傷付いていなくても、落ち込んでいなくても、そのヘイトに対する何かしらの反応は無意識に起こっている。その違和感が、急に、ものすごく恐ろしくなった。

僕は今、海外に住んでいる。海外に来たいくつかの目的を達成するためには、ソーシャルメディアを使う以外は選択肢がなかったように思う。Twitterも、こうしてnoteで文章を書くのも、いくつかの目的を達成するために1年半ほど前から始めたことだ。それから随分と日が経ち、そろそろ一度距離を置いてみようかと、あるとき届いたヘイトをみて、突然そう思った。

それから、情報を遮断した。

Facebookでは、知り合いではない人々を友達からはずし、Twitterのフォローは一度0にした。フォローを0にしたときに感じた、Twitterという世界のなかで自分がたった一人になったような感覚は非常に不気味で、尚且つ爽快だった。自然と投稿をすることもなくなり、これまで自分のために使っていたと思っていた「つぶやき」は、得体の知れない誰かに対して「つぶやく」ことだったのだと、初めて実感した。

いつから「繋がって」いたのかわからない人々やメディアが発する情報を無意識に浴びていたという事実に気付き、良くも悪くも、それらから何かしらの影響を受けて「生きている」ことに対して、それを継続する意味がわからなくなってしまった。


日本

それからしばらくして、普段はあまり見ることのなかったネットニュースを見た。お笑い芸人が号泣しながら謝罪している姿、コメント欄に並ぶ偽物の正義、そしてまた別のところでは、YouTuberとやらが炎上している。炎上を繕ったとかなんとか、一体どれが本当の炎上で、どれが作られた「コンテンツ」なのか、スマートフォンを見ているだけではよく分からない。閲覧数でお金が発生する世界は、いずれはこうなると皆分かっていたはずなのに。どうやらその「やり方」を賞賛した大学生が批判の嵐らしい。謝罪をしている。一体、誰に謝っているのだろう。お笑い芸人や大学生が「大衆に向けて」謝る必要は、あるのか、ないのか。そんなこと、今の世の中はどうでもよくなってしまったのだろうか。

ちょうどそのとき「投票率」という言葉が僕の画面を支配する。どうやら選挙の投票率が50%を下回ったらしい。もはやそこに民主主義は存在していないけれど、僕は、どの知識人が分析した「投票率が上がらない理由」にも、首を縦に振ることが出来なかった。何故なのかは、自分でもよくわからない。SNSで“若者を代表するインフルエンサー”たちがこぞって「投票に行こう」と投げかけていたのを見て、ちょっとした期待感を抱いたのも束の間、そのような力は、SNSにはないらしかった。いま若者が選挙に行かないのは、あきらかに若者のせいではないよなと、そう主張するのもばかばかしくなるほどに。

『思い出袋』の中で、鶴見俊輔は、こう書いている。「敗戦のしらせを夏休みのただなかで受けたあと、1945年9月1日、学校に向かう先生の足取りは重かった。それまで教えてきたことの反対を、おなじ子どもたちに教えなくてはならない。自分が問われる。そのとき、子どもに向かって立つ先生の肖像は、光背を帯びていた。それは国に押しつけることではすまない、自分自身のまちがいである」
中略
その夏、うだるような暑さの中で、教師たちの多くは、とまどいとためらいと恥ずかしさと苦しみの入り交じった感情を押し殺して、教壇に立った。だが、それは、ほんの瞬間のことであった。その記憶はたちまち失われ、教師たちは、取り戻した「権威」の下、「民主主義」を語るようになり、学校は秩序を取り戻す。すべては、元に戻ることになるのである。『青い山脈』は、その、奇蹟のような時期に書かれた。
『今夜はひとりぼっちかい?日本文学盛衰史 戦後文学篇』著 高橋源一郎より

みんなが政治や投票に興味がないのは、知性がないからじゃない。それは、僕が住んでいるアルゼンチンの人々を見ていればわかる。僕ら若者は、どうして、かたくなに選挙に行かないのだろう。誰も答えを持っていない物事に対して、僕らは議論をする体力も、余裕も、関心もなくなってしまった。若者が政治に興味を持たない方が権力者にとって都合が良いのは、皆わかりきっているはずなのに。

明治維新の頃、周知の通り日本には国を動かすリーダーがたくさんいた。それから約80年が経って敗戦を迎えたとき、日本のリーダーたちは、一体どうだったろうか。あれからもう少しで80年になる。今の日本のリーダーたちは、どうだろうか。80年もの月日が経って、やっと、あらゆるものに限界が見え始めている、そう思わずにはいられない。

一定の距離を置いてから、改めて画面を通して見た自分の母国は、息苦しいにも、ほどがあった。これは批判じゃない。上から何かを言っているわけでもない。だけど、画面を通して見る日本は、文字通り、終わっていた。

ここで、1つの疑問が浮かんできた。僕が画面を通して見ている日本は、「本物」の日本だろうか?それとも「偽物」の日本だろうか?


サッカー

僕が愛しているサッカーも、社会と歩みを共にして、ここ数年で大きな変化を遂げた。過去を懐かしむつもりもなければ、未来を蔑むつもりもないけれど、変わっていることは確かなのだ。

その激動の変化から取り残されまいと鼻息を荒くしている「日本サッカー」は、テクノロジーに姿を変えた(ように見える)サッカーをなんとか受け入れようと奮闘し、否定と肯定を繰り返していく中で、同時に戸惑いを隠せない。19世紀後半、近代科学が西洋からやってきたときの日本と同じように、僕らは、西洋から入ってくる新しい概念の根っこを見ようとしない。これは何も「日本サッカー」で起きている現象ではなくて、これまで「日本」のどの分野でも起きてきたことだ。ああ、僕らはいつまで経っても、歴史から学ぶことが出来ない。日本サッカーで起きていることは、どれも過去に日本で起こってきたことなのに。

明治維新の頃とは違い、今ではデバイスの画面を通して「外の世界(海外サッカー)」の「姿」が容易に手に入るようになった。そのスピードが、ここ1〜2年で加速したことは間違いなさそうだ。僕らは、この状況を手放しで歓迎するのではなく、ある種批判的姿勢も同時に持たなければならない。それは、拒絶することでもないし、全てを否定することでもない。ただ、疑いを持たなければ、僕らは“また”、同じことを繰り返す。


イメージ

僕らは「何か」を考えるとき、例えばそれが人物であっても場所であっても、頭の中に「イメージ」を先に描く。つまり、その「何か」が「どのような」ものなのか、予測を立てて考える。それからその「何か」と実際に接触したとき、自分が事前に描いていた「イメージ」との相違や類似を確かめながら、少しずつ「本物」の姿を形取っていく。

現代が少し厄介なのは、人々に「イメージ」を持たせるための手段や機会が溢れかえり、毎日毎日、僕らはありとあらゆるものに対して勝手に「イメージ」を膨らませる。本来「近づくことのなかった」ものにまで「イメージ」を無意識的に膨らませていき、そしてそれを「実際」に見ること触れることなく、僕らの頭の中にある「イメージ」が、「本物」とは乖離した状態で「存在」してゆく。そしてのその「イメージ」は、いずれ「本物」よりもリアリティを持つようになる。

画面を通して、欧米や南米のサッカーに「接触」できること、それ自体が悪いことだとは思わない。ただ、いま僕らが見聞きする「サッカー」はどれもぶつぎりの状態であり、それぞれが単体で存在している。いつだって西洋から僕らのもとに新しい「何か」がやってくるとき、既にそれは専門化され、個別化され、いわば「出来上がった」状態であることを決して忘れてはならない。「自らの手でサッカーを作り上げてきた」南米や欧米の国々にあるそれとは訳が違うということは、理解しておく必要がある。全ての知識や経験や情報は、同じ根っこから出ている。本来それらが単体で存在することは、一向にない。そして「変化」は急に起こらない。積み重ねの結果、起こるのだ。

日本は、政治も経済も、そして僕らが愛するサッカーも、日本人が時間をかけて作り上げてきた制度や構造をもってではなく、あらかじめ「出来上がった」状態のものが持ち込まれ、それに自分たちをはめ込んできた。これは悲観ではなく、これからの歩み方を考える上で、大切な事実である。

スペインはこうで、オランダはこうで、イタリアはこうで、ドイツはこうで、ブラジルは、アルゼンチンはと、「外の世界」に対して僕らが持つ「イメージ」が、そろそろ固まってきてしまった頃だと思う。いつか僕らが頭の中で描く「イメージ」が「本物」よりもリアリティを持ってしまったとき、僕らはもう「本物」に触れる必要がなくなったように感じてしまう。

さらに恐ろしいのは、そのリアリティを持った「イメージ」の姿に、「本物」の方が合わせてしまうことである。例えばスペイン人が日本に「サッカーを教え」にやって来るとする。そのとき、我々日本人が持っているスペインの「イメージ」に「本物」が合わせにいく方が、あらゆる点で都合が良いことは少なくない。もしかしたらそれは、無意識的に行われてしまうものなのかもしれない。いわば、“スペイン人がスペイン人を演じてゆく”のである。「日本のスペインサッカー」と「スペインのスペインサッカー」が、同じようで全く別のものとして存在する日も、そう遠くはない。


WEB

僕は以前、日本サッカーは「WEB先行型」であると、どこかで書いた。実際に現場で発生する進化よりも、既に進化した(西洋で進化した)ものがWEBを通して入ってくる。この現象は抑えることは出来ないだろうし、誰も悪いことはしていない。それによってたくさんの利点もある。しかし、それに伴う弊害も同時に頭に入れておかなければならない。

WEBに存在しているプラットフォームには、無視できない構造的問題がある。それは、情報が「新しいもの」から順に表示されることである。これからもし、日本サッカーの指導者がこの構造的問題を理解せずに、「新しいもの」から順に「知識」として取り入れることが「=サッカーを学ぶ」こととなってしまった場合、日本のサッカーに未来はない。いま世の中に「コンテンツ」として存在しているものは、根っこから伸びた先端であり、僕らが本当に学ばなければならないのは、先端ではなく根っこである。例えばそれが本であれば、情報を根っこから辿ることができるかもしれないが、WEBのプラットフォームでは、構造上そうはいかない。

WEBの「コンテンツ」を生み出すのは、主にメディア、ライター、分析家、批評家やファンであるが、彼らは「ピッチ」の上で、サッカーというゲームを、実際の人間を操って創造する必要がない。これは批判ではなく、役割の違いである。ピッチの上で実際に人間を扱い、サッカーというゲームを「プレー」する指導者は、それとは次元の違う視点からサッカーと向き合わなければならない。

ゲームは分析するためにあるのではなく、創造するためにある。ピッチに立つ指導者が、分析のために分析をするようになったら、または「コンテンツ」をつくるためだけにゲームを分析するようになったら、日本人の指導者をもってして世界を相手にすることは、一向に出来ない。

これは、役割の違いである。悪い人は誰もいない。誰のせいでもない。ただ、世の中には、たとえ誰のせいでなくとも悪い方向に向かっていくことがあることも、また事実である。


検索

本来、情報とは「浴びる」ものではなく「探す」ものである。WEBを通して「本物」のサッカーを学びたいのであれば、情報を「検索する能力」と、「検索」に至るまでの過程を「自ら作り出す」能力を身に付けなければならない。サッカーの「知識」が自動的に入ってくる「コンテンツ」をフォローすることで情報を「浴びている」うちは、何1つ学ぶことが出来ていないのかもしれない。

場所や生活が変われば「検索」をする内容も変わってくる。それこそが、どこに居てもアクセスすることが出来るインターネットを利用するために、あえて環境を変えてインターネットを利用することの意義である。日本にいる時に検索するものと、アルゼンチンにいる時に検索するものは、全く別のものになるはずであるから。その違いこそが「学び」である。

僕は数年前、これからの未来はWEBでサッカーを学べる時代がくると、確かにそう思っていた。でもそれは、間違っていたのかもしれない。


これから

サッカーというゲームで世界を相手にするとき、何か1つさえあれば勝てるようなものではないことは、皆分かっているはずだ。改めて、日本は世界とはまだまだ遠いところにいる。遠いのは選手ではなく指導者であり、それ以外の要素である。

僕ら若い世代の指導者は、過去の指導方法や、あらゆる制度を批判してきた。日本の指導者養成の構造や方法に関しても、僕は批判的な姿勢を曲げることはないと思う。贔屓目に見ても、到底機能しているとは思えない。ただ、だからこそ、これからの指導者は「本物」になる必要がある。「偽物」の指導者がピッチに立っているようでは、日本の指導者が世界と肩を並べることも、僕らが世界に勝つ日も、やってこない。

そのためには、理論を追求し、理屈を整理し、それでいて欧米や南米の根っこを見続けなければならない。そうすれば、理論や理屈とはまた別のものが必要であることは、自ずと見えてくるはずである。

これから、いくらテクノロジーが発展しようとも、あらゆる情報を「離れたところから」浴びれるようになろうとも、本物に接触し、自らの頭で考え、そのうえでサッカーを創造することをやめてはならない。

「コンテンツ」をつくり出すために人間としての本来の姿を失ってしまう母親のように、現代サッカーを生きる私たちは、サッカーの本来の姿を、決して見失ってはならない。



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河内一馬
1992年生まれ東京都出身 / アルゼンチン在住 / サッカーを"非"科学的視点から思考する『芸術としてのサッカー論』筆者 / 監督養成学校在籍中(南米サッカー協会 Bライセンス保持) /  NPO法人 love.fútbol Japan 理事


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