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蹴球症候群

蹴球症候群(Shukyu Syndrome):主にサッカーを生業とするような人間が、同スポーツがもつ抽象的な魅力に気付いてしまった段階から、生涯を通じて受けとる様々な「情報」や「知識」、またはそれによって得た「学び」や「気付き」などの類を、すべて半自動的にサッカーと繋ぎ合わせて考えてしまう症候を持つ人、あるいはその症状のこと。明らかにかけ離れた分野に関連することにおいても「いつか必ずサッカーに繋がる」と、ある種狂気的な確信を持っているのが特徴。原因不明。


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外国で暮らし始めるのと時を同じくして(私は現在アルゼンチンでサッカーを学んでいる27歳の日本人です。ここに来てから1年と8ヶ月ほどが経ちました)、私はこのnoteで文章を書き始めました。主に『芸術としてのサッカー論』というマガジンにおいて「サッカーを非科学的な視点から思考する」という、明確なのか非明確なのかわからないテーマで書いてきました。

こんがらがった脳内と必死に向き合いながら文字を書き連ねてきたこともあり、おかげさまで、今では2万5,000人ほどのフォローワーの方々がいらっしゃいます。あらゆる観点において、Webで好き勝手に文章を書くという行為は、今の私の暮らしには欠かせないものとなりました。あまり想像していなかった人生です。

そんな中、先日ふと思ったことがありました。

日々暮らしている中で、書籍、媒体、情報、経験などから得る「学び」や「知識」、または「着想(気付き・閃き)」などを、可能な限りひとつの場所に纏めておきたいのだけど、どのような方法(仕組み)があるだろうか…

というようなことです。

これまで様々な方法を試してきました。メモとして物理的に残すのが良いのか、それとも何かのアプリケーションを用いてデジタルで纏めた方が良いのか、それともそんなことしないほうが「頭の中」に刻み込まれるのか…

そういうことを試して考えているうちに、だったら、noteというプラットフォームで、それらのことを「出力として記録」してしまえば、後から見直すことも出来るし、またそれらのこと必要としている人がいれば共有することができるのではないか、と思った次第です。私がフォローワーを買っていない限り、2万5,000人という人々が私が書く文章に少しでも興味を持ってくれているということですので、私の「頭の中」に興味がある人だって10人くらいはいるだろう…と、そう思い立ちました。


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そもそもなぜそんなに必死になって学びを整理整頓しておきたいのか。それは、自分よりも多くの経験をしてきた人々や、既に社会的な価値をもっているような人々に対して、間も無く挑みにいこうとしている私のような若造は、教養や知恵がなければ自分の身を守ることは一向にできない、ということを、最近になってひしひしと感じているからです。自分の頭で考えられない、知識を持って言論を展開できない、社会のことが何もわからない、という状態は、私にとって『死活問題』であると言えます。健康な身体と同じくらい、もしくはそれ以上に重要なものなのです。そう感じ始めたと同時に「全然何も知らないじゃないか…」という、ある種の焦りを体験することになります。「勉強量が全然足りない。しかも、時間が足りない」と、心底危機感を感じているのは、実は生まれて初めてのことです。それゆえ、自分のところを通過する情報や知識や気付きを、1mmも無駄にできなくなってしまったのです。

『弁論術』のなかで、哲学者アリストテレス はこう言いました。

同じ自分の身を守ることができないというのでも、身体を使ってそれができないのは恥ずべきことであるのに、言論を用いてできないのは恥ずべきでないとしたら、これはおかしなことである。言論を用いることこそ、身体を使用すること以上に人間に特有なことなのだから。

幸い、私は「考える」ことが好きです。日本での非効率に忙しかった暮らしから離れ、海外で暮らすことをきっかけに「考える時間」を意図的に設けてみて初めて、これまでの人生は考える時間が圧倒的に足りていなかったのだなと、そう感じました。「考える」という行為を意図して行うことは、意外と面倒だったりします。沼から抜け出せなくなって、鬱気味になったりします。

でも私は、何かについて考えること、そしてそれを行うために必要な知識や情報を探し求めることが好きなのだと思います。それを、整理して、共有することで、誰かの新しい「学び」や「気付き」に繋がれば、こんなに素晴らしいことはありません。

現時点の予定としては、以下のような内容を定期的に(月4回以上)あげていきたいと思っています。

▶︎コンテンツ一覧(予定)
・サッカーにおける戦術的考察・理論構築過程
・サッカー観について
・他分野の知識をサッカーに変換した考察
・あらゆるものから得た知識・学びについて
・WEBの記事から考えたこと
・読んだ本について
・考えていること
・何か質問があれば答えます(リクエスト含む)
・文章のはなし(noteのコツなど)
・Twitterで呟いたことについて
・これまでのはなし
・これからのはなし
・人生や日々の暮らしについて
・言語習得について(英語・スペイン語)
・アルゼンチン(異国)での暮らしについて
・インスピレーションを受けた出来事について
・学び方について(方法論・仕組み)
・アイデアのはなし
・たくさん人が増えてきたら…何かしたい etc.

あとは、やりながら考えようと思います。


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この『蹴球症候群』というマガジンは、要するに『蹴球症候群の人間が日々サッカー、またはサッカー以外の分野から何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に思考を巡らせているのか、そして、そのプロセスにおいてどのような知識や仕組みが必要だったのか…などが書いているマガジン』ということになります。長くなりました。

・本を読んだり、記事を読んだりするのが面倒だ(時間がない)けど、新しい「学び」や「気付き」を得たい人
・河内一馬が、どういうふうに物事を考えているのか知りたい人
・他人の視点で何かを考えてみたい人
・『芸術としてのサッカー論』が好きな人
・サッカー全然興味ない人
・サッカーの変態的な話を居酒屋で5時間以上出来る人
etc.

よって例えばこんな人たちにとっては、有益なものになるのではないかなと思っています。


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これまで私はこのnote(主に『芸術としてのサッカー論』)で書く内容・形式に対して、自分で設けていたルールがあります。ひとつは当然「サッカーについて書く」ということ、そしてもうひとつが「記事を小分けにするのではなく、一つ一つを可能な限り濃い内容にする」ということです。たとえ人によっては読み辛かったとしても、とにかく数ではなく密度に拘っています。その理由も、いつかどこかでお話しできれば。

蹴球症候群 キャッチ

一方で『蹴球症候群』は、その逆です。記事の一つ一つはコンパクトで、すっと読めるようなものにしていきます。

多分このマガジンは『芸術としてのサッカー論』が終わったとしても、たとえプラットフォームが変わったとしても、日本に帰っても、末長く書き続けていくものだと思います。私が学びをやめることは(そんなに頭が良くないので)これから先もあまり考えられませんから。



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河内一馬
1992年生まれ(27歳)東京都出身 / アルゼンチン在住 / サッカーを"非"科学的視点から思考する『芸術としてのサッカー論』筆者 / 監督養成学校在籍中(南米サッカー協会 Bライセンス保持) / NPO法人 love.fútbol Japan 理事

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