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日本人監督の現在地を知る方法は2つしかない

【監督養成の成果編】外国人を日本に招くことがサッカー界の発展に繋がらないと断言できる「8」の根拠

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根拠⑦:責任の所在が曖昧になる

日本サッカーはこれまで、W杯での敗戦、もしくは国際試合での敗戦を外国人監督の"せい"にしてきました。"責任"と言うよりは、"せい"と言う表現の方が正しいかと思います。日本サッカーの集大成(4年間の成果を出す場所)であるはずのW杯は、いつの間にか「外国人監督の実力を測る機会」になってしまってしまいました。


■戦時の日本軍

太平洋戦争時の日本軍は、作戦決行において多くの失敗を犯していました。しかし当時の重役は責任を取ることを避け、その後も同じような失敗を繰り返していきます。日本軍全体が「責任の所在を曖昧にする」ことで、作戦決行に対しての責任感の薄さを生み出していたのです。

もちろん、すべてが辻参謀一人の責任であるわけではない。しかし、同時に辻の参謀としての責任、それも越権行為、専断命令を含め、重大な責任があることも明白な事実である。にもかかわらず、日本軍はその責任を問おうとしなかった。ノモンハンの事例にも見られるように戦闘失敗の責任は、しばしば転勤という手段で解消された。しかもこれらの転勤者はその後、いつの間にか中央部の要職についていた。なかには大本営作戦課の重役ポストを占めていたものもいた。申し訳の左遷であったのである。(中略) 積極論者が過失を犯した場合、人事当局は大目にみた。処罰してもその多くは申し訳程的であった。(中略)このような陸軍人事行政は、つぎつぎに平地に波瀾をまきおこして行く猪突性を助長する結果となった。

『太平洋戦争陸戦概史』林三郎より

私たち日本サッカーの歴史は、日本の戦史から学ばなければならないことが多くあります。同じ失敗を繰り返さないためにも歴史から学ぶことは非常に重要なことですが、残念ながら私たち日本サッカーは同じ終末を迎えるではないか、と思っています。ただ「W杯で勝てない」というだけでなく、本当の意味での「敗戦」を味わうことになる、という意味です。


■日本サッカーの責任

W杯開催2ヶ月前にハリルホジッチを解任したことで、JFA田嶋会長の責任が問われていますが、これらは今に始まったことではありません。日本サッカーがこれまで繰り返してきたことの一つに過ぎないのです。

2006年ドイツW杯で「酷い負け方」をした際は、ジーコ監督の"せい"になり解任、深い検証→修正が行われないまま次の歩みを進めることになります。その後はオシム監督が病で倒れてしまった悲劇もありながら、数年間ごとに外国人監督を解任し、責任を取る日本人は現れません。責任の所在が曖昧になっている為です。

2014年に就任したアギーレ監督の八百長問題に関しても同様でした。当時の会長は「給与の30%から50%を4ヶ月返納する」という、申し訳程度の対応をし、そして今回のハリルホジッチ監督の解任劇に繋がったのです。


■来るところまで来た日本サッカー

これまではW杯ごとの結果によって「外国人監督のせい」してきたわけですが、今回のハリルホジッチ監督の解任劇においては、本大会の結果を見るまでに至らず、理由も曖昧なままの解任となりました。日本サッカーもいよいよ「来るところまで来た」のです。

私たち日本サッカーは、これまで様々な「成長の機会」を逃してきました。W杯で惨敗したことも、アジアカップで負けたことも、韓国に歯が立たなかったことも、全て忘れてしまうのです。2000年のEUROで屈辱を味わったことをきっかけに、ここまで変革を遂げたドイツがいる。サッカー後進国の私たちは、先進国の失敗さえも参考にすることができない現状があります。

このように、海軍にあっても、多くの作戦計画は、実行において失敗が明らかな場合でも、組織としての反省、批判を含めた適切な評価を下すことはついになされないで終わってしまっている。 

『失敗の本質』日本軍の組織論的研究 より

私たちは、どのような終末を迎えてしまうのでしょうか?「日本人が自ら日本サッカーの責任を取ろうとしないこと」とはつまり「責任の所在を曖昧にし失敗から学ぶことが出来ない」ということを意味します。戦時の日本人にあった特徴と、現代における日本サッカーは一致します。


■日本人で失敗する(責任をとる)

前述した通り、4年に一度のW杯というものはその国のサッカーにおける全ての「成果」を出す場所です。しかし、外国人に舵を取らせた挙句、その外国人の責任を日本人がとることが出来ないのは、成長しなければならない組織としては致命的な状態です。

私は、日本サッカーが変わるためには、ひたすら日本人で失敗するべき(失敗から学べない日本人でもさずがに逃げられない状態まで)だと思っています。なぜなら、日本人は責任の所在を曖昧にすることで、失敗を受け止めることを避け続けてきたからです。もしも外国人を招聘し、その外国人が失敗を犯したら、それは全て私たち「日本人」の責任なのです。「日本」として世界の国々と戦っているわけですから。そういった意味でも、今回のハリルホジッチ監督の解任は、愚の骨頂と言えます。


根拠⑧:監督養成の成果がわからない

日本代表の指揮をとる資格があるS級ライセンス保持者は、現在450人を超えています。そういう状況の中で、(JFAが)日本代表監督を任せられるような人材は育っていない、という事実もこれまでの記事で触れてきました。

では、どのように「日本人監督が世界基準になった」と判断することができるのでしょうか?逆に言えば、何を目指して日本サッカーは監督養成をしているのでしょうか?私は主に2つの方法があると思っています。


【1】海外リーグで日本人監督が指揮をとる

現状、日本人で海外主要リーグ1部で指揮をとっている監督はいません。日本人監督が海外リーグからオファーがくる状態、もしくは指揮をとっている状態にならなければ「世界基準になった」と判断することは出来ません。ただ、そこには多くの「実力以外の問題」があります。


■Jリーグで圧倒的な結果を出した場合

例えば、Jリーグで圧倒的な結果を出した監督がいたとします。それが海外の主要リーグからのオファーに繋がるかと言われれば、そうではありません。問題はそこにあります。

まず「①日本のライセンスしか保持していない」ことが1つ、そして「②他国語が扱えないこと」が1つです。この2つを解決しなければ、いくら日本で素晴らしい結果を残したとしても、その次のステップとして「海外リーグ」という可能性が存在しません。また、いくら良い監督養成カリキュラムがあったところで日本でしか監督が出来ないですから、「世界基準の養成」とは言えないわけです。

2つの問題を解決するには、日本人監督が「自国リーグで結果を出した際に海外リーグに移籍する」という流れ(世界各国の監督がとる流れ)を可能にする必要があります。つまり、海外のライセンスを取得していて(もしくはS級ライセンスに相互性が認められて)、尚且つ他国の言語を扱える、という状況をつくることです。

「①日本のライセンスしか保持していない」という問題を解決するには、日本人に海外のライセンスを取得させる or S級ライセンスとの相互性を認めさせるしかありません。ただ(後者の)海外リーグとの相互性が認められ、日本のS級ライセンスでも海外リーグで監督が出来るようになるのはおそらく無理だと思います。実現したとしても、かなりの時間を有します。

そうなると、前者「日本人に海外のライセンスを取得させる」しかないわけですが、私が何度も主張しているように、日本は若い指導者を海外に出すために投資をしないので、母数が通常のスピードでしか増えません。


■言語の問題

若い指導者を海外に出す支援をしないのであれば、自国で教育をする他ありません。しかし、例えばライセンスのカリキュラムの中に「語学」を組み込んだところで、日本の英語教育のような状態になる可能性が高いですし、日本にいながら他国語を習得することは、非常に難易度が高いです。


■なぜ言語が重要なのか

現代のサッカーは、猛烈なスピードで進化をしています。その情報戦に乗り遅れてしまうと、日本はここからさらに世界から離されることになります。重要なのは「現代サッカーにおける進化は欧米で起きている」という事実と、「それらの情報は英語や欧米の言語で流通する」という事実です。現代サッカーにおけるサイエンスは、どこからでも(素人でも)アクセスできる時代になりました。他の分野と同様に、正解というものの価値はどんどん落ちていきます。

しかし、日本人が日本語でしか情報を追えない状態がこのまま続けば、どのようなことが待っているのかは、少し考えればわかるはずです。

これらのことを考えても、日本の指導者を若いうちに海外に出すことは、これからの日本サッカーにおいて非常に重要なことだと言えます。


■10秒台の壁

陸上100m競技において9秒台を記録するのは人間には不可能だ、と思われていた時代がありました。1960年西ドイツのアルミン・ハリーが10秒0を記録してから、1968年アメリカ人のジム・ハインズが9秒台を記録するまで、述べ8年間もの間「壁」が存在していました。

現在はご存知のように多くの選手が10秒台の壁を超えています。人類には不可能だと思われていた記録が不可能ではなくなったのは、「誰かが実現した」という前例があったからだと思っています。もちろん環境の向上やTR理論の進化等様々な要因があったことは間違いないですが、人間は「自分にも出来る」というマインドがなければ何かを実現することは出来ません。そのために、前例が必要なのです。

同様に、Jリーグから海外リーグに移籍した日本人監督が1人でも出て来れば、次々とそれを実現する日本人監督が現れると私は確信しています。特に日本人は、前例がなければ動けない人種です。



■他国で成し上がることは可能か?

それとは別に、海外でサッカーを学びそのままその国で成し上がっていく、という方法があるかと思います。日本でも、高校卒業と同時に指導者になるために海外にいくような若者が出てきましたので、可能性が0とは言えないかもしれません。しかし、現実的に言えば非常に難しい。その難しさとは、実力がどうこうという問題ではないのが厄介なところです。

私はそこを目指すよりも、他国の監督がとる流れのように「自国で結果を出して海外リーグへステップアップする」という流れが日本人もできるように、環境(ライセンスや語学)を整えていくことの方が、重要かつ可能性が高い、かつスピード感があると考えています。もちろん、初めはJリーグで結果を出したとしても、2部や3部、もしくは4部からの挑戦になるかもしれません。それでも、Jリーグの監督が海外で認められるためには、何度もいうように「自国で結果を出して海外リーグへステップアップする」という流れを作ることが必要不可欠です。

私はその前例を作るべく、アルゼンチンでライセンスを習得し、Jリーグで勝負します。


【2】W杯で日本人監督が指揮をとる

監督養成の成果を測る、つまり「日本人監督の現在地を把握する」ために残されているのは「W杯で日本人監督が指揮をとる」という方法です。世界の戦術トレンドやサインエスと同じ基準でゲームを創れるか、もしくはその先を行っているのか、日本人としてのアート性はあるか、そして試合に勝てるのか、負けるのか。

W杯で日本人監督が指揮をとらなければ、そのような部分が見えてきません。Jリーグで指揮をとっていても、アジアのクラブと戦っても、世界での立ち位置は見えてきません。日本サッカーは、指導者養成をして、どう「世界基準になった」と判断するつもりなのでしょうか?そこまで考えていないのだとしたら、何を基準に監督(指導者)を育てていくつもりなのでしょうか?

つまり【1】と【2】ともに日本サッカーは実行をしていないので、日本人監督の現在地が把握出来ず、フィードバックも取れないので「世界基準の監督養成は事実上出来ない」ということになります。全ては、ピッチで証明されるべきです。


■机上の空論

「いつか日本でも海外で活躍する監督(指導者)が出てこなければならない」という言葉は、多方面から聞きます。しかし、道なりをデザインしていないので、机上の空論になっています。現状では「有り得ない」話です。

仮に日本で良い指導者育成をしたところで、もしくは圧倒的な結果をJリーグで出したところで、その先に進むことが出来ません。ここから日本サッカーが世界に追いつき、そして追い抜くためには、監督(指導者)を養成することはもっとも重要な要素であり、そのための道なりをデザインしなければなりません。


■終わりに

外国人に日本の舵を取らせることのリスクや問題点は、これまでの記事の中で充分に触れてきました。

前編:根拠①〜④

宗教/言語編:根拠⑤

通訳の育成編:根拠⑥

監督養成の成果編:根拠⑦〜⑧(本記事)

そしてまた、そのリスクを理解した上で対応策をとっていないことも。全て読んでいただいた方には、その根拠が理解していただけたかと思います。

これらの記事を持って、私は「外国人を日本に招くことはサッカー界の発展に繋がらない」と断言します。



筆者:河内一馬

1992年生まれ(25歳)サッカー監督。アルゼンチン在住。アルゼンチン指導者協会名誉会長が校長を務める監督養成学校「Escuela Osvaldo Zubeldía」に在籍中。

Twitter:@ka_zumakawauchi

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