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Distance

無理はしない主義でも
君となら してみてもいいよ

という歌詞がある。
墓石に刻んでほしいかもしれないぐらい好きな歌詞かもしれない。してみてほしいかもしれない。

俺はうどんより蕎麦が好きだけど、君とならうどんを食べてみてもいいかもしれない。俺は絶叫マシンとか本当に意味がわからないけど、君となら乗ってみてもいいかもしれない。俺はマイク短く持って煽ってくるタイプのミュージシャンが基本苦手だけど、君となら一緒にライブに行ってもいいかもしれない。俺は虫とか嫌いだけど、君となら捕まえに行ってみてもいいかもしれない。俺はうんち見たら気持ち悪いけど、君のおむつなら替えてみてもいいかもしれない。俺は格闘技のことはよくわからないけど、君とならスパーリングしてみてもいいかもしれない。俺はダンス踊ってる人を見ると少し怖い気持ちになるのだけど、君のなら見てみたいかもしれない。俺はアニメとかあんまり見ないけど、君とならビンジしてみてもいいかもしれない。俺はピアス開けるの怖いけど、君となら開けてみてもいいかもしれない。俺は極力働きたくないけど、君となら働いてみてもいいかもしれない。俺は山とか登りたくないけど、君となら登ってみてもいいかもしれない。俺は残業とかしたくないけど、君とならたまにはしてもいいかもしれない。俺はチェーン店のが安心感あって好きだけど、君となら町中華で入ってみてもいいかもしれない。俺はバーベキューとかめんどくさいからやりたくないけど、君の家族とならしてみてもいいかもしれない。

自分というものが大事だった。というより、誰かに自分の領域を開け渡したことにより、自分というものが薄まるような気がすることに耐えられなかった。自分とかいうものは、そもそも薄まったり薄まらなかったりするようなものではない、と気づいたのは最近になってからだ。今となっては本当によくわからないが、自分というもののキャラクター設定を自分で大事にしすぎていた。蕎麦派だからなんなのだ。うどん派が蕎麦を撲滅しようとしていたわけでもなかろう。

Baby , 君とならしてみてもいいか、と思えることが増えてきて、我ながらちょっといい感じだと思う。君のためなら、でもなく、君がそんなに言うなら、でもなく、君とならしてみてもいいか、と思えている。今度ディズニーランドに行きます。

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