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Door19: おばちゃんって素敵~ロサンゼルス(アメリカ)

ロサンゼルスに到着した日は、雨がしとしと降っていて、ロスに抱いていた、からっとした青空のイメージとは全然違ったけれど、しばらく、太陽の照りつける中南米を旅した後だったので、逆に気持が落ち着いた。

予約した宿は、リトルトーキョーと呼ばれる地域にあり、周りは日本語の看板がたくさんあった。
スーパーに行けば、納豆やお茶漬けのもとなど普通に売っているし、日本食レストランも並んでいる。
入ってみたら、従業員の日本語の私語が聞こえてきて、久しぶりの感覚を懐かしく思った。

宿の支配人は、年配の台湾人女性で、日本語がぺらぺら。
自分のことを「おばちゃん」と呼ぶ。
宿に着いたら、早速スーパーや安い食堂の地図を描いてくれ、部屋にいると、おまんじゅうを持ってきてくれた。
気持ちがじわじわとなごむ。

旅の間、居心地の良い宿も、悪い宿も何十か所も泊まったけれど、居心地の良い宿だと思った所には、必ずそれを支える女性がいたなあと思う。
しっかり者だけれど、程よく適当。親切でおおらか。鷹揚さのある、懐の大きな女性達。
いろいろな国でそんな女性達に、安心感を与えてもらった。

朝起きて、キッチンでごはんを食べていると、おばちゃんが現れ、
「今日、飲茶食べに行く?」とお誘いが。
午前中に郵便局に行く以外、特に予定もなかったので、「行く」と即答。
お昼になると、おばちゃんは、レセプションのボードに「2:30には帰ります」と書き、
一緒にバスを乗り継ぎ、チャイナタウンへ。

リトルトーキョーが日本だった以上に、チャイナタウンは中国だった。
これまでいろんな国のチャイナタウンに行った。
パリ、キューバ、ペルー、ハワイ、ニューヨーク・・・
どんな街でも、その一角を、中国色に染め上げ、異次元の空間を作り出すパワーには圧倒された。
同時に、漂うアジアのムードや中華料理に救われもしたし、独特のエキゾチックなムードに魅了された。

おばちゃんは行きつけらしい、いなたい雰囲気のチャイニーズデリに入り、点心など数種類買う。
どれも、とてもおいしそうだし、本当に安い。
それを、近所の別の飲茶屋へ持って行って食べるらしい。
2件目の店にも、おいしそうなものがいっぱいで、おばちゃんはさっさとお気に入りを注文してくれた。
海老餃子、しゅうまい、湯葉で何かを巻いて揚げたもの、中華まんなど。

席は地元の年配の人で埋まっている。
わたしたちと相席していたのは、ベトナム人のおじいちゃんで、飲茶につける醤油や、袋に入ったラズベリーを分けてくれた。
おばちゃんは、固くて気に入らなかった点心をおじいちゃんにあげていた。
おなかがぱんぱんになったところで、「春巻もたべたいわー」と更に追加しに行くおばちゃん。
春巻だけじゃなく、エッグタルトも持って戻ってくる。
おまけに、大きなちまきと、揚げたお餅のようなものを、わたし達の分もテイクアウトしてくれた。

その後、おばちゃんの好きなチャイニーズスーパーに。
なんだか分からない、漢方薬らしき根っこや、木の実がどっさり売られている。
おばちゃんは、勝手につまんで、「食べてごらん」と言う。
いいの?と聞くと、「いいのよー。いっつもおばちゃん買ってんだからー」とのこと。

近所のお店にもちょこちょこ立ち寄る。
商品の9割がバンブーの花屋や、とてもロスだとは思えない、昭和感溢れるレトロなケーキ屋。
本当は、お気に入りのタピオカジュース屋に連れて行こうとしていたらしいが、残念ながら休みだった。

もう1件大きなチャイニーズスーパーに寄り、中華料理の食材の豊富さに驚く。
見たことのない野菜や、調味料。
肉売り場では、豚の鼻だけが山盛になっていたり、売られ方に度肝を抜かれる。
魚売り場の床では、落ちたナマズがばちゃばちゃ跳ねていた。
おばちゃんは、漬物用に何株もの野菜や、重たい調味料の瓶、何ケースものチョコレートなど、ここぞとばかりにどんどん買い込む。
勿論それらの荷物を持ち運ぶのはわたしと友達。

更に、山盛りの洋服すべて、1~2ドルで安売りしている店をのぞき、デリに寄って、夕食用の野菜炒めなども買い、宿に戻ると、もう夕方。
「親切なおばちゃんねー。夕方まで案内してあげた!」と言っていたが、一番満喫していたのもおばちゃんだ。
買ったまんじゅうや点心など分けてもらい、部屋に戻ったわたしたちは、夜まで昼寝してしまった。
アメリカに来たとは思えない1日だったけれど、あの時の点心は、旅しながらいろいろおいしいものを食べた中で、今でも記憶に残っている。

そして、改めておばちゃんの力ってすごいなあと思わされた。
日本では、いかにおばちゃんぽくならないかが、30~40代くらいの女性の大きなテーマになっているような気がして、それに共感しない訳ではないけれど、おばちゃんのいない世の中なんて、どんなにぎすぎすするだろうとも思う。

旅の間、世界を支えているのは、世界中のおばちゃん達だと思うことが何度もあった。
多少の悪いニュースは右から左に聞き流し、マイペースで楽観的。
時々お節介だったり、図々しかったりもするけれど、憎めなくて、何より生活する力と知恵に溢れたおばちゃん達。
いい年して、いまだに、ままごとみたいな生活してるなと、時々思ってしまう自分には、なんだかまぶしく感じられるし、おばちゃんの魅力をもっと追求してみたくなる。

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