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Door17: ある夜のメッセージ~ミコノス島(ギリシャ)

ユディに出会ったのは、アテネからミコノス島に向かう船の中だった。
隣に座った彼は、30代のアジアの人のようだったけれど、どこの国の人なのかは分からなかった。
デジタル一眼レフのレンズを外し、丹念にレンズの埃をとったり、磨いたりと、手入れに余念がない。
ずいぶん丁寧に手入れをしているなあと思って見ていたら、わたしのコンパクトカメラを見て、汚れ具合に驚いたようで、ついでに掃除してくれた。

それから、売店でコーヒーとクッキーを買ってきてくれて、なんとなく話を始めた。
インドネシアからやってきて一人旅の途中で、これからミコノス島に行くと言う。
これまでに撮った写真も次々と見せてくれるのだが、ものすごい量だった。
港に停まるたびにデッキに出て、また大量の写真を撮ってきては、レンズをすべて分解し、クリーニング。
あまりの熱意に驚きながら、相当なカメラオタクなんだな・・・と思っていた。

島に着いて、わたしと友達はあらかじめ予約していた、宿の送迎車に向かった。
そこにバックパックをかついだ彼が走ってきて、宿の場所も確認せず、
「まだ部屋空いてる?僕もそこに泊まるよ。」と言った。
3人で宿にチェックインし、後で、夕日と風車が見える広場で落ち合おうということに。

宿のある高台から、海を見下ろしながらぐるりと降りていく。
白い壁にカラフルな屋根の、おもちゃのような家が並ぶ。
パステルオレンジの夕日を浴びた風車のそばで、あたたかな色に染まっていく海を眺める。
こう書くとのどかな印象を受けるだろうが、実際には強風が吹き荒れていて、凍えそうだった。

冷え切っていたら、待ち合わせ時刻よりかなり遅れてユディが登場した。
彼は着くなり、話もせずに、夕日が沈んでいく海の写真をパシャパシャ写し始めた。
かがんだり、立ち上がったり、いろんな角度から。
これは生粋のカメラ小僧だなと思いながら、日も暮れてきたのでそばに行ってみるが、もう相当数の写真を撮ったはずなのに、まだベストショットを狙って撮り続けている。

更に、わたし達に、立ち位置を細かく指定して、撮影を始めた。
三脚を持っていないことを悔しがりながらも、あちこち場所を移動し、撮りまくっている。
わたしと友達は寒さに震えながら、その様子をただ見ていた。
案の定、日が落ち切る瞬間まで撮り切り、日没の瞬間、彼は写真を撮るのをやめ、わたしたちにむかって、”I'm hungry!!!''と叫んだ。
えっ、ユディが写真撮ってるのをずっと待ってたのに・・・なにこの人、勝手すぎるとあきれたが、彼はまたもやカメラを抱え、日没後の海を撮りつづけていた。

しばらくして、やっと浜辺を離れ、ミコノスタウンの中に移動することに。
タウン内でも、撮影は続き、なぜそれを?というようなものですら、鬼気迫る真剣さでパシャパシャ。
すれ違う人にも、笑顔で声をかけ、すかさずパシャ。
撮られた人も雰囲気につられて、みんな笑顔に。
窓からの景色を撮りたいだけのために、カフェに入れてもらったり、相当強引なのに、そのゴーイングマイウェイの貫きっぷりがだんだん清々しく思え始めた。

その後、彼はわたしたちに、ギリシャでよく見かけるピタサンドや串焼きをごちそうしてくれ、クレープ屋に連れて行ってくれた。
友達が、「北海道に来たら、家に泊めてあげるよ」と言ったら、ユディは、「インドネシアに来たら、泊めてあげる。家に6部屋あって、1部屋づつ全部バスルームもついているから。あ、ビルもあるからそっちでもいいし」と言い始め、どういうこと?と思って、聞いてみたら、ユディは私と同じ年で、自分の会社を持つ、億万長者の実業家だった。
写真を見せてもらったら、立派な家の中で、女優のような奥さんと、3人の子供と一緒に笑う彼の姿があった。

「ごめん、ただの写真にクレイジーな貧乏パッカーだと思ってた。」私は思わず謝った。
ついさっきも、商店でチョコレートを買おうとしていた彼に、
「こっちのチョコの方が数十セント安いよ」と、彼にとっては本当にどうでもよかったであろうアドバイスなどしていたのだ。

彼は、「写真はただの趣味だよ。それに、旅行中は僕はただのパッカーだよ。」と笑い、「それに、めちゃくちゃ一生懸命働ければ、誰だってそのくらいは稼げるよ。僕はものすごい努力して、働いたよ。写真だって同じ。1枚のベストショットを撮るために、僕は同じスポットを何枚でも撮る。みんなに君はラッキーだって言われるけど、ラッキーなんてない。努力するだけだよ。」
「僕は偶然なんてないと思ってる。君たちに会ったのも運命だと考えているし、出会いを大切にするんだ。」
「笑顔と、ありがとう、こんにちは、ごめんなさいって言葉を、みんなもっとふんだんに使うべきだ」など、社長らしい言葉をたくさん連ねる。

でもその言葉が上すべりしないくらい、ユディのエネルギーには圧倒された。
7か国語も話せるし、日本語も教えたら次々に覚える。
そして、あきれるを通り越して、若干引き込まれそうになるマイペースさ。
彼の言葉通り、確かに彼くらいのひたむきさと情熱を持って日々行動すれば、誰でも社長くらいにはなれるのかもしれないけれど、それを実行できる人がどのくらいいるのだろう。
少なくともわたしは、彼の言葉を聞いた時、そこまで頑張ってまで、億万長者になりたいと思う情熱はないな・・・と感じた。

それでも、今でも彼の言葉や、エネルギッシュさと冷静さを併せ持つ人となりを覚えているし、怠けたくなった時に自然と思い出したりもする。
億万長者になりたいかどうかは別としても、彼の言ってることはシンプルで、きっと本当のことなのだと思うから。

小路の隅々まで作りこまれ、浮世離れた美しいミコノスタウン。
夕闇に浮かび上がる教会の白壁の曲線。
三日月と、耳のそばで鳴っているような波の音。
遠くにぼんやり見える風車のシルエット。
何組もの、上品で洗練されたゲイカップルとすれ違って挨拶をかわし、自分の隣には、インドネシアの富豪。
日本で暮らす時には決して思い浮かばなかったシチュエーションだけれど、この時は何の違和感もなかった。

ほんの少し思い切って外に出てみれば、様々な世界と交錯できる可能性があることを思い出すと、やっぱりまた旅に出たくなる。

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