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Door21: 霧の中の村と自由~オベンティック(メキシコ)

メキシコについて思い出す時は、たいていターコイズブルーの空の下の光景が浮かぶ。
雑多で、物と人とが溢れる市場や、鮮やかな色の壁画、装飾的な教会、月のピラミッドの遺跡。
始終、視覚を通して、脳裏をざわめかせられた国という印象がある。
けれど、今回は、その中で少し色合いの違う思い出について書こうと思う。

メキシコの北部にある街、サンクリストバルデラスカサスにやってきたのは、その周囲にある、少数民族の暮らす村々を見てみたいと思っていたからだ。
広場にいると、村々から山を越えて、虹を思わせる色彩の衣装を身にまとい、黒くて長い髪を編んだ女性達が現れ、布に包んだ民芸品を地面に広げて売り始める。

通りには、民芸品を扱う土産物屋もたくさん並んでいて、わくわくしながら、一軒一軒覗いていく中、わたしは気になるものを見つけた。
カラフルな絵本の挿絵のような絵が、ポストカードやノートになって売られているのだけれど、描かれている人達が、みんな覆面のようなものをつけているのだ。
ファンタジックな色使いや、構図に惹かれただけに、この人たちはなんなのだろうと思った。

他の旅行者やお店の人に聞いたところ、それはサパティスタ(民族解放軍)と呼ばれる、ゲリラ組織の人々で、メキシコ政府から、先住民族の権利を守るために結成されたということが分かった。
それでも、温かみのある絵と、ゲリラという言葉が結びつかなくて、わたしの中ではぴんとこないままだった。

数日後の朝、宿で出会った日本人たちが、ゲリラの暮らす村に行くという話をしていた。
もっとも、オベンティックという名前のその村に入るには、村民(ゲリラ)の面接があり、最近行った人達は面接が通らず、中に入ることはできなかったということだった。

一緒に行かない?と誘われたけれど、何も知識のない私が、好奇心だけで行ってもいい場所なのか、ほんの少しためらいを感じた。
けれど、旅している間に、まずは行ってみて、後から調べてもいいのかもしれない、順番はどちらでも構わないはずと思うようになっていたし、あの絵のことを思い出したので、行ってみることにした。

その日はメキシコ滞在中、珍しく空は厚い雲で覆われ、視界の見通しも悪かった。
もやのかかった山の中、ガードレールもない、ぐねぐねの道を、タクシードライバーはスピードをあげて走る。
1時間半くらいたった頃、霧深い路上に門のような柱が現れ、そこに、目と口にだけ穴の開いた、黒い覆面をつけた門番が立っていた。
タクシーから降り、門番の後について村へ入る。

次に現れたのは子どものサパティスタだった。
門番を見たときから思っていたことだけれど、サパティスタの覆面は、想像していたものと結構違う。
ニット帽の目鼻をくりぬいたようなもので、素朴であたたかみがあり、てっぺんにカラフルなぼんぼん飾りがついていたり、なんだかポップなのだ。
子どもに関しては、かわいらしいとすら思ってしまった。
大人も穴からのぞく視線がやわらかく、攻撃的な雰囲気はない。

それでも、入り口付近の小屋に連れて行かれ、覆面集団に囲まれた時はさすがに緊張した。
ラッキーなことに、連れの1人が、少しスペイン語を話すことができたので、面接は殆ど彼に託された。

わたしは、サパティスタ達は、自分たちのことを他国の人に知ってほしいのか、それとも知られたくないのを尋ねてもらったところ、彼らは、自分たちの存在を世界中の人に知ってほしいとのことだった。
それなら、村を見せてもらえたら、日本に戻ってから、みんなに伝えるということを、壁に貼ってあった世界地図を指さしたり、身振り手振りで、みんなで一生懸命伝えた。

覆面集団は頷いたり、思案しているようだったけれど、とりあえず第1面接はパスしたらしく、二つ目の小屋に連れて行かれた。
そこでもまた質問等された結果、どういう具合なのか、私たちは村に入ることを許可された。

住民の写真以外であれば何でも撮影して良いと言われ、後は、誰かが付き添うわけでもなく、村内を自由に散策することができた。
無人の教室や、庭に建つ簡素な十字架、外にはためく洗濯物・・・
生活の端々は感じられるのだけれど、人の姿はほとんど見ることがなかった。

その代わりに目をひいたのは、ありとあらゆる建物にほどこされた、カラフルなペイントだ。
この村に支援にやってくる世界中のアーティスト達が描いたらしい様々なペイントが、水分を含んだ空気の中、より冴え冴えと映えていた。
自由と平和を求めるメッセージが込められたペイントの中で暮らす人々の気持ちを思った。

ぐるりと村を廻ったあと、体も冷えたし、おなかもすいたので、何か食べるものを探したところ、一軒の商店がみつかり、店番のおばあさんもいた。
売っていたカップヌードルにお湯を入れてもらい、みんなでその場で食べた。
この場所で出会った見慣れた容器に、違和感と同時に、少し安堵も感じた。

結局この村に行ったからと行って、その村人と殆ど触れ合うこともなかったため、わたしはサパティスタがどういう活動をしているのかよく分からなかった。
帰国して、サパティスタを含め、もともと興味のあった世界の少数民族について調べたり、考えることは増えたし、思うことはいろいろあるけれど、それについて書くのは別の機会にしたい。

日本で暮らしていると、外国に行くことも許されているし、肉体的には自由かもしれないけれど、例えば山奥で暮らす少数民族の方が、よほど自由な想像力や、感性を持っているように思うことが度々あった。

支配や洗脳によってではなく、一人一人がありのまま、複雑なまま生きても、なおかつ調和のとれた世界というのはきっとあるはずだと思うけれど、果てしなく感じる。
それに近づくためにできることというのは、自分と人との違いをどれだけ活かし合えるかということなのかなとも思うし、できることをすぐやるスピーディーさと、変化が目に見えなくても、待ち続けるような、大きな時間の捉え方との両方が必要なのだとも思う。


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