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Door11: ゆめみる力~ハバナ(キューバ)

南の国特有の強い日差しと、それが生み出す、日向と日陰のコントラストが際立つ風景に、心が惹かれる。
その中に古びた建物や、ひなびた街並があると、更に惹きつけられてしまう。

キューバは、映画や写真集で見る限り、まさにそんな風景の国だった。
いつか行ってみたいとは思っていたけれど、なんとなく手の届かない国のようにも思っていたから、到着した時はなんだか夢心地だった。

実際、来てみて、まず驚いたのは、建物のあまりの古さだ。
趣があるというのをとうに通り越して、朽ち果てかけている。
通りを走る車は、昔の映画でしか見かけないような古いアメ車ばかりだし、
スーパーらしき所に入ったら、歯ブラシ1本、電池が3個・・・というようなディスプレイがされていた。

これが灰色の空に覆われていたり、建物も灰色の石造りであれば、鬱々した印象になりそうだけれど、すべてはあっけらかんと抜けるような青空のもと。
建物の色は、あちこち剥げ落ちてはいるもののカラフル。
その上、あちこちの街角やお店からは、サルサが流れてくる。
キューバの人達は、国から最低限度の生活物資や食糧は支給されているから、嗜好品さえ求めなければ、食べていけないという目には遭わない。

すれ違う人々は、ふっきれたように、からりと明るく、子どもからお年寄りまで、なんだか楽しそうだ。
物欲がない訳ではないと思うけれど、あからさまに物足りなさそうな顔をした人は見かけなかった。
大部分の人の間では、なにかで埋め合わされて、ぎりぎり辻褄が合っているのではないだろうか。

物に頼れない分、自分で何かを生みだすしかない。音楽だったり、ユーモアのある会話だったり、ダンスだったり、文学だったり、スポーツだったり、思想や革命の夢だったり。
最低限の生活は保障されていることが前提となって、物を持たないことや深い諦念と引き換えに、健康やあかるさが生まれているのだろう。

それは、ほんとうに奇跡的な危ういバランスで、ほんの少しでも政情が変われば、たちまち何もかも変わってしまいそうだと思った。
実際、特に、若者の間では、国に対する不満が高まり、熱を帯びているらしい。
当然のことだと思いながらも、わたしも、満たされすぎないことによって生み出すことができるものの可能性について、もう少し考えてみた方がいいのかもしれないと感じた。

キューバでは、一般民家の間借りをしていた。
滞在数日目の夕方、昼寝をしていたら、友達に起こされ、ダイニングに行くと、わたしに向かって、「happy birthday!!」

その家のパパもママもおばあちゃんも娘も小さな息子も、みんな集まってくれていた。
旅の途中、11月末のキューバで迎えた誕生日。
友達が、キューバではほとんど見かけない、ケーキを探して、用意してくれていた。

あざやかなピンクの土台に白いクリームとバラのデコレーション。
全く洗練されていないし、スポンジはかさかさ。食べると砂糖がじゃりじゃりしたけれど、なんだか夢のあるケーキだなあと思った。

そんな夢は、日本では昭和の途中あたりに置いてけぼりで、今では成り立たないだろう。
それを懐かしいなあと思うけれど、かといって、そこに戻らなくても、新しい夢はたくさん見られるはずなのにと思う。
物に満たされているのに、日本人が、キューバ人より元気なく見えるのは現実で、それを単純に、物が多すぎるせいにはしたくない。

それらの物も、もとはといえば豊かな生活を夢見る気持ちから生まれたはずだけれど、夢見る方向性にあまりにバリエーションがなかったために、物質以外にも、足りていないものがたくさんあることを見過ごしてしまい、バランスが悪くなってしまったのだろう。
足りないものが何なのか探り、満たしていくために、想像する方向性はまだまだいくらでもあると思うのだ。

一家は、キューバでは比較的裕福な家庭だと思うのだけれど、ケーキなんて滅多に食べることはないようで、おばあちゃんも夫婦も子どもも、みんな嬉しそうに食べていた。

翌朝、パパが部屋をノックして、新聞紙にくるんだピンクのグラジオラスの花をプレゼントしてくれた。
朝からわざわざ外に出て、花を買い、届けてくれた気持ちを思うと温かい気持ちになった。
旅の間、いつも、こんなふうなやさしい人の気持ちに支えられ、守られていたように思う。

それにしても、一年前には、自分がまさかキューバで誕生日を迎えることがあるなんて想像もしていなかったから、これからも、自分の想像を超える面白いできごとがたくさん起こるかもしれないなと、なんだか未来に夢が持てた。
心に残る誕生日だった。

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