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Door20: 扉をひらく~プラハ(チェコ)

子どもの頃、空想癖が激しかった。
日常世界から、御伽の世界を開く扉は無限にあり、それを開くことは本当に簡単なことだった。
目の前にあるものならなんでも、例えば小石や葉っぱ、封筒の切手、お菓子や果物。
近所の小道やお気に入りの木。
ありふれたものを眺めているだけで、次から次に物語のしっぽが湧き出て
そこからストーリーが膨らんだ。

その感覚は、目の前のものを通して、どこかは分からないけれど、別の世界にすっと入り込んでいくような感じで、大人になるにつれ、自然と薄まってきたのだけれど、いまだに、ふとしたはずみによみがえる時がある。

10年以上前、初めてチェコの古いアニメーション映画を、いくつか見た時、自分の感じていた、別の世界のイメージを形にしてくれているような印象を受けて、感動した。
かわいいものや、綺麗なものと、シニカルなもの、残酷なものをないまぜにして、ユーモアで包んだファンタジー。
奇妙だけれど、軽やかで、美しい世界。
チェコに行けば、その世界につながれるようなものがたくさんあるような予感がして、いつか訪れてみたいと願っていた。

実際にチェコの首都プラハに来たところ、思っていたよりずっと、観光地化が進んでいて、街並は美しいけれど、均一化されてしまっている印象を受けた。
何を売っているのか、目指しているのか、分からないような店や、使途不明な空き地、猥雑感漂う小路・・・
そういうぽっかりとした隙間のような場所が、都市から淘汰されて消えていってしまうのは、なんだかつまらないと思ってしまう。

多分、プラハの街には、ここまでツーリスティックになる前には、そういう場所やものがたくさんあったのだろうなあと感じられた。
プラハに限らず、世界中の近代化した街で感じたことではあるけれど。

少し残念に思いながら、街を散策していたら、プラハの風景には、それでもなんだか少しミステリアスな、独特な空気感があるように感じ始めた。
昼間なのに、妙に静かな通りに漂う、何かの気配のようなもの、角をひとつ曲がれば、別世界が始まりそうな気持ちがしたり、景色のどこかに何かが仕掛けられていそうな、ざわざわするような、奇妙な雰囲気。

初冬の冷たく澄んだ空気の中、紅葉の彩りが反射する、川向こうに佇むお城と、雲が濃く陰影を落としている空に、ぽっかり浮かぶ飛行船とを眺めていたら、木々のシルエットすら意味ありげに見えてきて、シュルレアリスムの絵の中に迷い込んでいるような気持ちになってきた。

そんな気持ちで、一人歩いていたら、川岸のベンチに、見覚えのある男の子がぽつんと座っていた。
ウイーンから、プラハに移動する時同じバスに乗っていた、韓国人の旅人、ムチン。
わたしを見ると、すっと立ち上がって、話しかけてきてくれた。
日本のTVドラマが好きで、見ている内に、日本語を話せるようになったそう。
一緒に橋を渡り、目的地を決めないまま歩きながら、喋り続けた。

テレビ番組の話、恋の話、食べ物の話などしていると、外国人と話している気がしない。
けれど、北朝鮮についての思いや、懲役時代の話を聞くと、同年代の日本人は持つことのない感情や体験を持っているんだなあと新鮮に感じた。
「本気で攻めてくるなんて、誰も思ってないけど、一応防備のために徴役しなきゃいけないから、みんな北朝鮮のことをめんどくさい存在だと思ってる」
「懲役中のストイックな生活を続け、訓練を受けていると、原始的な欲求が高まって求めるものもシンプルになる。」
「食べ物や、家族に会えるという賞を掲げられると、みんな死にもの狂いで、それを得ようと頑張る。」
「懲役に行くまでは、みんな大学生活も適当に過ごしているけれど、懲役から戻ってきたら、途端に真面目になる人が多い。懲役は本当に特殊な環境での体験だと思う」

体が冷え切ったので、途中カフェで暖まり、夕陽が落ちて夜景の美しい橋を戻り、夕食の時間になったけれど、2人ともお金がないので、ファーストフード店でビールを飲みながら、他愛もない話を続けた。
明るい照明のもと、ピザなどつまんでいると、昼間感じたシュールな世界がどんどん遠ざかっていくのを感じた。

プラハは、期待していた街とは少し違ったけれど、歩けば歩くほど、別の世界に引き込まれていくような感覚になっていた最中に、ふらりと男の子と再会したときの、あの感じが印象に残っていて、地味かもしれないけれど、懐かしい思い出になっている。
そして、あの国から、幻想的なアニメーションや、文学が生まれた理由が、ほんの少しだけど、肌で分かったように思う。

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