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自分の人生とは。

20歳。8月6日で20歳になった。

日本では成人とされるこの年齢になったことは、自分を何か新しい気持ちにさせてくれる。これまでの20年を振り返ってみれば、実に面白い20年だったと思う。

小学生の頃は、友達との遊びと、サッカーに明け暮れる毎日で、何も考えずに生きていた。勉強するのが大嫌いで、夏休みの宿題を完璧に出した事はない。毎日のように勉強をして、図書館に通う姉とは正反対で、毎日親に勉強することを促されていた。その反発もあってか、サッカーをして好きなだけ遊んで人生を過ごそうと考えていた。

中学生になると好きだったはずのサッカーへの気持ちが少しずつ曖昧なものになってくる。小学生の頃とは全く違うレベルの中で、自分は試合に出ることができずに、地元の友人と遊ぶことに楽しさを見出していた。今だから言えるが、練習終わりに遊びにいって帰りが12時を過ぎることも多々あった。そうなると、学校の成績も自ずと悪くなる。文武両道を目指すジュニアユースのチームで学校の成績が悪いことは許されない。そのため、サッカーをさせてもらえない。サッカーを出来ない日々が続けば、サッカーも好きではなくなる。負の連鎖にハマった。サッカーを辞めてもいい、むしろそのうち辞めるんだろとさえ思ってた。

そんな気持ちは、坊主にしようが、いくらキツイ走りをしようが変わることはなかった。ただ、それでも辞めなかったのは、応援してくれる家族やサポーターの言葉がサッカーを辞めることへの足止めになっていたからだ。

そんな自分に光を与えてくれたのは、当時の監督だった。中学3年になったばかりの時に深川グランドの片隅にあるベンチで2人で話したのを今でも覚えてる。その当時の自分の生活を肯定から入ったのは自分の周りでは監督だけだった。その面談で自分の気持ちが明確になった。自分にはサッカーしかないと。三年生になって初めての試合でスタメンの名前に自分が呼ばれた時から、必死にサッカーに取り組み続けた。

初めて日本一を取り、拳を空に掲げた日のことを一生忘れることはないだろう。

高校生になると同時にユースチームに昇格した。ユースでもベンチを暖める時間が本当に長かった。約2年間、ひたすらチャンスだけを狙ってベンチにい続けた。だが中学の頃と違かったのは、目標を見失わなかったこと。サッカーで成功したいという気持ちが、自分を成長させ続けた。高校2年の頃からどこか日本に退屈さを感じ、海外に行きたいという気持ちになった。トップチームでの遠征帯同や、練習参加を通して、海外に興味を持ち、ダラス遠征で確信に変わった。自分が進むべき道はここだと。ちょうどその頃からだろうか、サッカーを真剣に取り組みながらも、何か違ったこともできるのではないか、むしろやってみたいと思うようになった。アメリカという地はそんな自分にとってベストな選択肢だった。

そう決めて、アメリカの大学トライアウトを高3の5月に受けに行った。英語が全く話せない中で、約1週間続いたトライアウトは様々なことへの不安との戦いだった。結果は合格。University of South Florida (USF)のサッカー部に認められた。

そこから入学まで、人生で一切してこなかった勉強との戦いだった。いくらサッカー部に認められても、大学で決められたテストの点数を取らなければアメリカの大学には入学出来ない。日本の大学の入学はアメリカの大学より半年早いので、アメリカの結果を待ってからでは、日本の大学には入れない。テストの点数が取れずに、途方に暮れてしまう可能性もあった勉強期間は本当に長く感じた。しかしその選択をしたことへの後悔は一度も感じることは無かった。それは中学、高校で培った、自分を信じて目標に突き進むという信念が心のどこかにあったからかもしれない。

最終的には、無事にテストの点数を取ることができ、志望していたUSFに入学することになった。テストの点数が記載されている封筒を開けて、その点数が合格ラインを超えていた時には思わず、拳を天井に突き上げた。

まるで中学三年生で始めて日本一を取った時のように。

そんな勉強期間を終えて、新しい環境に身を置くことに、恐怖と興奮をもちアメリカに飛び立った。

アメリカで約一年をすごしたが、ここに来たことに後悔はない。むしろ正解だと思っている。去年は怪我もありなかなか試合に出れない日々が続いた。今年も未だにスタメンの座を必死に争っている。同じ世代でプロで活躍している選手は多くいる。焦りがないと言えば嘘になる。ただ自分の道を進み続けることに迷いはない。中学生の頃に気づいてから、忘れることはない。結局自分にはサッカーしかないんだと。文武両道を掲げて、アメリカに進学して、色々な事をやりたい。ただ自分の人生を見返すとサッカーと共に過ごした人生だ。そう。

自分にはこれしかない。自分の人生とは。これからもそれを自問自答し続け、挑戦したいと思う。

誕生日前後を家族や、様々な友人と過ごした。20年で一番色々な人に祝ってもらった誕生日だった。この夏に新たな良き出会いもあった。やはり自分は色々な人に支えられて生きてきた。周りのみんながいたからここまで来れた。その事を再認識することができる誕生日だった。これからもやりたいことを精一杯頑張る。これからもその結果で恩返しをしたい。

Believe in myself  どんな時も。



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