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オープンワールドと逆説的な手触り

ラッパーTravis ScottがMMOゲームFortnite*内でライブイベントを開催した。

*MMOゲーム
大規模多人数型オンライン(Massively Multiplayer Online)ゲーム。多数の人が同時にログインしてプレイする。Fortniteは見知らぬ人同士で、一定エリアに着地し、戦闘し、サバイブすると勝ち、というゲーム。


この感動はなんなんだろう。
「結局リアルのほうがよくない?」と開く前は思ったけど、リアルイベントとは違う非日常感に、胸が高鳴る。12万人が参加したらしい。
この高揚感は空間に包まれる感じと自分と圧倒的に違う大きさなんだろうか。


「世界がオブジェクトに影響を与える」から「オブジェクトが世界に影響を与える」へ


少し話は変わるけど、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』というゲームをご存知だろうか。プロデューサーの青沼氏が「これまでのゼルダの当たり前を見直す!」と意気込んで、オープンワールド*にチャレンジした作品。

*オープンワールド
広大な世界を用意し、その中をプレイヤーが自在に探索して攻略するコンセプトのゲーム。また、その広大な世界そのもの。『スカイリム』や『グランドセフトオート』シリーズが代表例。AAAタイトルと呼ばれる、世界で何千万本の売り上げを叩き出す海外タイトルの多くが採用している。一方、日本では開発事例も少なく、世界規模のヒット作は『メタルギアソリッドV』など一部のタイトルにとどまる。(出典:電ファミニコゲーマー)


製作時、意識されたのは

これまでの『ゼルダ』は、マップにオブジェクトを置いたときに"世界の側がオブジェクトに影響を与えてきた"けど、今回は"オブジェクトの側が世界に影響を与える"ということ(任天堂 宮本茂氏。出典:同上)

だったらしい。

具体的に言えば、広く構えるオープンな世界の中で、プレイヤーは自由に動き回り、世界に影響を与えることができる。
そのために、詳細に物理エンジンが設計されていて、

- この斜面は下からは登れないが、上から降ると掴める
- 火を野に放つとどんどん延焼していく

といった仕組みになっている。

参照:まず2Dゲームで開発、社員300人で1週間遊ぶ!? 新作ゼルダ、任天堂の驚愕の開発手法に迫る。「時オカ」企画書も公開! 【ゲームの企画書:任天堂・青沼英二×スクエニ・藤澤仁】 


外出自粛も伴い、『あつまれ どうぶつの森』が流行している。そんな中、こんな話題があった。

『あつまれ どうぶつの森』で草抜きを代行する会社「WeedCo」設立。無償で依頼人の島の草取りを行うありがたいサービス

ユーザー同士の関係に仮想的にゲゼルシャフトを持ち込んでいるところも面白いけれど、タスクをこなしていくのではなく、禁止されていないが想定されてもいないことをゲーム内で成し遂げる、ハッキング的な要素が面白いところなのではないか。
これも、世界に影響を与えている一例のように思える。


逆説的な、ゲームの世界の手触り


現実世界でも、世界に影響を与えることはできる。なぜ、ゲームの世界で与えられる影響にわくわくしてしまうのだろう。

世界に影響を与えるゲームの代表格といえば、マインクラフト。
その中では1日が20分で進む。昔、マインクラフトを研究していた友人によると、沈みゆく太陽と月を見ることで、時の流れを強く意識するらしい。
逆説的ではあるけど、ゲームの世界のほうが、現実世界よりも、タンジブルに時の流れや、世界に対する自分の影響を認識できるのかもしれない。


アーティストのLucas POPEさんの作品に『Papers, Please』というゲームがある。

内戦・隣国との戦争が終結したばかりの架空の王国アルストツカの入国審査官となり,次々と訪れる入国希望者を「審査」するゲームです.プレイヤーが偽物のパスポートを見破ることができなければ国内でテロが発生したり,逆に疑心暗鬼になりすぎることで善良な国民の夢や生活を砕いてしまうことになったり,審査の成否は家族を養う必要のあるプレイヤー自身の給料・査定に直結したり,入国スタンプを押すこと/押さずに追い返すことが様々な現実的な結果をもたらします.ヴィデオ・ゲームに付随する「ボタンを押す」ことの倫理性の問題が,本作では浮き彫りとなります.(出典:ICC )


ゲーム中では自分が行う決定で、簡単に人が生きたり死んだりしてしまう。
実は現実世界もそれに近いのだけど、Input→Outputの距離がゲームのほうが近いから、より自分の行為の倫理性に焦点を当てやすい。そんなところがゲームの面白みになっている。
(更に俯瞰してみると相対的に現実世界での自分の行為の重要性とか倫理性に焦点があたるわけだけど。)


オフライン前提のオンラインの不自由さ - 「狭い世界の安心感」と「オンラインに生きる自由」


自由空間で世界に影響を与えられることがオープンワールドゲームの面白さである一方、どうぶつの森やスプラトゥーンなど、狭い空間で遊ぶゲームの面白さも気になる。
友人は、その狭さについて、「プレイヤーのペルソナに合わせ、学校の敷地やバレーボールやバスケのコートのイメージなのでは」と言っていたけど、それと同時に、「把握できる安心感」もあるように思う。

広い空間は未知のわくわくと同時に、漠然とした怖さもある。オンラインならなおさらで、現実世界のようには行かない不自由さは誰しも感じたことがあるはず。
どうぶつの森は小さい子もやるし、そもそもほっこりな気持ちでやるものな気もする。

「(特にオンラインの)狭い世界の把握できる安心感」に思いが至ったのは、最近いろんなオンラインWSツールを試していたから。
先日リモートワークの波に乗って資金調達したMiroや、IDEOが制作に関わったらしいMuralなど、様々なオンラインプロジェクト/WSツールが存在する。

MuralやMiroは機能が多くて便利だけど、ワークスペースが広大。「どこにどの情報があるっけ…?」となってしまう。

一方、Google Jamboardはシンプルな代わりに、空間が狭い。ここに大きな安心感を感じた。


翻って、スプラトゥーンのプレイ動画を見ていると、「遠隔協力プレイでここまで一緒にできるのか」と思う。むしろ、一緒にいる意味はない(少なくともゲーム進行上は)。
それはきっとオンラインの世界の中で自由に生きている前提があるからなんだろうな。
オンラインWSを設計していると、オフラインより制限があるように感じてしまうけど、参加者がオンラインで自由に動ける整備を事前にしていれば、むしろオンラインのほうがよいWSができるのかもしれない。
むしろ、ゲームの世界でのほうが、時間の流れや世界に対する自分の影響をタンジブルに認識できるとすると、そんなオンラインWSの体験も作れるような気がしてくる。


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つれづれなるままに書いてきましたが、ゲームの世界に、非人道的行為を禁止するジュネーブ条約を守れるか、という視点を持ち込み検証しているアカウントがあったりと、まだまだゲームの世界には面白いことがたくさんありそう。
気になったものはTwitterでつぶやいてストックしているのですが、面白いものを発見したら、教えてくれると嬉しいです。


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